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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 女神の追憶
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15:雪解け

 銀色の髪をしたその赤ん坊は、スーラと名付けられた。

 雪解けの意味を持つその名前には、古き時代から新しき時代へと移り変わる、“黎明”という意味が宿っていた。


 ドーヴァとジェーンの手によって、スーラは実子さながらに愛されながら、すくすくと育って行った。

 スーラが十二歳になる頃には、彼の下には三人の兄弟が生まれていた。


 一番上がトアという名前の少女で、スーラより二歳年下の十歳である。

 その次がチェトレという名前の少年で、こちらは三歳年下の九歳。

 末っ子がフェンという名前の少年で、こちらは五歳年下の七歳だった。


 物心付いた時には、スーラは長であるドーヴァの長男という恵まれた立場に居たが、いつも不安が拭えなかった。

 それは何故かというと、髪の色のせいだった。


 イドという雪山の集落に暮らす人々は、誰もが灰色の髪をしている。

 それは、自身の兄弟や両親ですらそうなのだ。

 そんな中にあって、スーラは異質だった。

 ただ一人、透き通るような銀色の髪を持っていたからだ。


(僕はきっと、お父さんとお母さんの実の子供じゃないんだ)

 スーラは幼い頃から自然とそう思うようになっていた。


 でも、なんとなく気がはばかられて、ずっとその事を両親に切り出せなかった。

 優しくしてくれる両親にそんな質問を投げかける事は、まるで悪い事であるかのように感じられたせいだ。


 しかしその日は、なんとなく違ったのだ。


 その日は珍しく、いつも書斎に篭ってばかりいた父が、居間にある暖炉の前でロッキングチェアを揺すっていた。

 傍らの台所では、母がベリーのスープを淹れていた。


 スーラを除く他の兄弟たちは、スーラが父親の書斎漁りに夢中になっているうちに、ちょうど遊びに出かけてしまったようで、ここには両親と自分の三人しか居なかった。


 この部屋にはのんびりとした空気が流れていた。

 だから、スーラは食卓テーブルの椅子に腰掛けると、なんとなく切り出していたのだ。


「僕ってさ、お父さんとお母さんの子供じゃないんだよね」


 どうしてその日ばかりはサラッとそれを口にすることができたのか。

 それは自分でもわからなかった。

 久しぶりに兄弟が居なくて、珍しく家族三人だけという空気だったせいかもしれない。


 スーラのその言葉を聞いた瞬間、ドーヴァとジェーンは驚いて、同時にスーラの方を振り返るようになっていた。


 スーラは思いの外落ち着いた様子で、テーブルに置いた自身の手を眺めていた。

 そんな彼の態度を見たとき、どうやっても誤魔化せないのだろうということを、ドーヴァは確信していたのだ。


「……ああ、そうだよ」


 ドーヴァはサラッと答えていた。


「…………」

 スーラは黙り込んでいたものの、驚かなかったし、落胆もしなかった。

 ここまで異質な自分なのだ。やっぱりそうなんだな。としか思えなかった。


「キミは確かに僕たちと血は繋がっていない。けれど、僕たちにとって掛け替えの無い我が子だ。知っているだろう?」


「……うん」


 ドーヴァの言葉に、スーラは小さく頷いていた。

 両親の愛を疑ったことなんて無いのだ。


 母はいつも気にかけてくれているし、父は仕事中に書斎に入っても、いつも怒らずに優しく仕事の事を教えてくれる。


「でも、もう少し後でも良いかと思っていたんだが。やっとそうやって聞くつもりになったんだ。スーラには、実の父親と母親の話をしなければいけないかもしれないね」


 ドーヴァはそう切り出していた。


 ジェーンがカップに注いだベリーのスープを二人に出す中、ドーヴァはゆっくりとスーラに話して聞かせた。


 ドーヴァの掛け替えの無い親友だった、色彩の民グランシェスのことを。

 そしてグランシェスが命を懸けて愛した、雪と氷の女神のことを。


「キミは人と神の子だ。僕たちとは違う。スーラは半人半神なんだ。しかし孤独を感じる必要は無い。キミの父親であるグランシェスは、本当に立派な人だった。この集落の誰もが敬愛していたよ。女神イスティリアだって、キミが聞いている通りだ。キミは尊敬された両親の血を受け継いだ、誇り高い者なんだよ。そして、唯一無二の、僕たちの一番目の息子でもある」


 ドーヴァは椅子から立ち上がると、スーラに歩み寄るようになる。

 そしてその銀色の髪をくしゃくしゃと撫でていた。


「長からキミを任された時――おっと、今の長は僕だったね。キミにとっては、曾お爺ちゃん。キミが三歳を迎える前に亡くなってしまったが――とにかく、その長からキミを託された時、僕は嬉しかったんだ。キミを愛し、守り抜こうと胸に誓った。僕の腕の中で笑顔を見せてくれた、まだ赤ん坊だったキミと目が合ったとき――僕は確信したんだ。グランシェスが死んで確かに悲しかったけれど……僕の手にはキミが居る。キミの存在さえあれば、他に何が無くたって僕たちは前へ進む事ができるだろう――ってね」


 そう言ってスーラに微笑みかけてくるドーヴァの眼差しは、確かに父親のそれだった。


「そうだね、お父さん」


 スーラは頷いていた。


「髪の色の違いなんて、気にしたって仕方ないよね? 僕はお父さんとお母さんの息子なんだから」


 スーラの言葉に、「そうだとも」とドーヴァは頷き、「そうね」とジェーンも微笑むようになった。


「……――でも、実の両親の事も、もう少し知りたいな。たまには話を聞かせてもらっても良い?」


 そうやって疑問を続けたスーラに対して、ドーヴァは頷いていた。


「もちろん、良いとも」と言ってドーヴァはスーラの頭をまた撫でていた。


「僕も親友の話が出来ることは嬉しいよ。親友だって、スーラが話を聞いてくれると知れば、喜ぶだろう」


「えへへ、そっか」

 嬉しくなってスーラは微笑んでいた。


 ずっとタブーだった、胸に引っ掛かっていた事を、これからは気にせずに吐き出す事ができるのだ。

 それに胸にあった引っ掛かりは、思ったほどに重たい物でもなかったようだし。


 結局スーラは、自分が両親の子でないことは核心していたが、その疑問を直にぶつける事によって、両親との関係が変わってしまうのではないか? という事を、恐れていたのかもしれない。

 しかし両親はいつもと同じ態度で、意外にもあっさりと、それがまるで大した事でもないかのように話してくれた。

 だから、そこまで重く捉える程の事ではなかったんだと、スーラも思う事ができたのだ。


 その上、これからはずっと気になっていた実の両親の話を聞くことができる。

 その事はスーラにとって、プラスとは思えどマイナスであるとは思えなかった。


 まるで過去を懐かしむように、父は話してくれるのだから。



 それからスーラはしばらくの間、折を見ては両親に、グランシェスとイスティリアの話を聞かせてもらうようになった。

 しかし、スーラは実両親のことを知るにつれて、胸の内に変化が起こるようになっていた。


 スーラは、優しい両親と三人の弟や妹に囲まれて、賑やかな毎日を過ごしている。

 けれど聞けば聞くほどグランシェスとは孤独な人で、女神イスティリアに至っては、もっともっと孤独だった。


(僕って、こんなに恵まれているけれど。本当に、これで良いのかな……)


 スーラはいつの間にか、実の母親の事を考えるようになっていた。


 最愛の夫に先立たれ、我が子であるはずの自分を腕の中に抱き締める事もできないまま、今も在り続ける女神の存在を。


 イスティリアは確かにこの世界には存在しているはずなのに、冷たく寒いからという理由で、常に距離を保っている。

 触れそうで触れられないこの距離感に身を置き続けて、母は孤独を感じないのだろうか?


(……寂しくないわけがないよね)


 スーラはそう思っていた。


 だって、聞けば聞くほどイスティリアは、人間じみた気性を持っていると思ったから。

 そしてまた、聞けば聞くほど優しい存在に思えてならない。


 女神イスティリアは、誰よりも孤独で優しい神様なのだ。


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