14:女神の子
『良かったの?』と、彼女が聞いた。
「ああ」と、彼は答えた。
『でも、私は』と、彼女が言った。
「なんだい?」
彼の質問に、彼女が答える。
『……雪と氷の女神だから。傍に居れば、あなたは死んでしまう。何故なら人は、温もりが居るから。火の生き物だから。本当は、一緒に居てはいけないのよ』
女神イスティリアはその端正な顔に悲しげな表情を滲ませると、そう呟くのだ。
「良いんだよ」
グランシェスは優しく答えると、イスティリアのその張り付くほどに冷たい手を取っていた。
「私が決めた。私が選んだことだ。それでもキミの傍に居たいと。そう思うことは、罪なのか?」
『それは……罪ではないけれど』
「だったら」と、グランシェスは言う。
「行こう、一緒に。これからは私がずっと傍に居てやれる。一緒に暮らそう、イスティリア」
『……グランシェス』と言ってイスティリアは微笑んだ。
イスティリアは解っていた。
何もかもを知っていたのだ。
彼の血色が悪いことも、繋がれたその手が赤く爛れているということも。
――けれど。
『それなら、一緒に行きましょう』
イスティリアはそう答えていた。
『ここは私の力が万全ではないから。白きブレスの袂へ……そこなら、制約無く一緒に居ることができます』
「ああ、行こう」
グランシェスは微笑んでいた。
それから二人は手を繋いだまま、白銀の世界の頂の方へと登って行ったのだ。
白い雪で覆われた山の中、一歩一歩歩みを進ませる。
一面の銀景色の中、無垢な色を宿した雪が、はらりはらりと舞っていた。
グランシェスが集落を出て行った後、イドの人々はすぐに探索隊を編成して派遣することに決めた。
少し頭を冷やしたら、すぐに連れ戻そうと決断したのは長だった。
いつもグランシェスは集落の外れでイスティリアと会っていた。
だから、今回も集落からそう離れて居ない場所で見つかるだろうと考えての事だった。
結局、何日探索してもグランシェスを見つける事ができなかった。
それから、半年もの歳月が経った。
もはや誰もがグランシェスの事を諦めていた。
グランシェスがかつて使っていた家は、彼の遺言通り、ドーヴァが引き続き仕事場として使うようになっていた。
ドーヴァがグランシェスの代わりに知恵を出し、設計図を引き、イドの暮らしを改善して行く。
ドーヴァの傍らにはジェーンの姿があった。
彼らは決して仲が悪いようには見えなかったが、いつまでも子供の兆しは見えなかった。
そんなある日の事である。
「ドーヴァ、ドーヴァ!」
そう言ってドーヴァの職場に駆け込んできたのは、ジェーンの双子の兄であるウィレスだった。
グランシェスの元で仕事に勤しむようになると同時に、ウィレスはいち早く婿に行ってしまい、それ以来疎遠になっていた。
そのため、ウィレスにこうやって話し掛けられたのは随分と久しぶりであるとドーヴァは感じた。
「やあ、ウィレス。元気にやっているかい? 猟師になったと聞いていたけれど、最近はどうなんだ?」
執筆の手を止めて、笑顔で話しかけてくるドーヴァに、「それどころじゃないって!」とウィレスは血相を変えながら叫んでいた。
「猟に行った先で、グランシェスを見つけたんだ!!」
ウィレスの言葉に、「えっ?!」とドーヴァとジェーンは揃って顔を見合わせていた。
グランシェスはウィレスの手によって、長の家へと運ばれていた。
グランシェスはすっかり真っ白な顔になって客間のベッドに寝かされており、その傍らには、「オギャア、オギャア」と泣き続けている、銀色の髪をした赤ん坊の姿があった。
まるで女神イスティリアのような色の髪をしたその赤ん坊を、イドの女性が抱っこして、ちょうどあやしている途中だった。
「グランシェス!」と、ドーヴァはすぐに駆け寄った。
しかしその血色から、間もなく全てを察していた。
「…………」
沈黙するドーヴァに対して、沈んだ面持ちで長が首を横に振った。
「……ダメだったようだ。ウィレスが見つけたときには、既に事切れていたらしい」
すると、ジェーンがわっとその場に泣き崩れるようになった。
ジェーンの泣き声を聞きながら、傍らに歩み寄ってきたウィレスに対して、ドーヴァは静かに尋ねていた。
「……どうだった?」
「ああ……」
頷いた後、ウィレスはドーヴァの尋ねたい事を察すると答えていた。
「山の上部半ばでうつ伏せで倒れている姿を見つけたんだ。半年前に出て行った、その姿のままで。連れて帰ろうと思って抱き起こしたら、彼の下で……その赤ん坊が眠っていた」
「……どういう事だと思いますか?」
ドーヴァはすぐに長の方を振り返ると意見を求めていた。
長は「う……うむ」と頷いていた。
「その赤ん坊の容姿。そしてグランシェスが出て行った時の動機と、見つかった時の状況。これらを踏まえて考えると、恐らく……――」
長が口に出したのは、この場の誰もが薄々感付いていた事だった。
「……――その赤ん坊は、女神イスティリアと、グランシェスの子」
「…………」
「…………」
誰もが沈黙するようになった。
ジェーンもやっと泣き止んだ様子で、ゆっくりと立ち上がるようになった。
「そ、そんな事って、ありえるの……?」
ジェーンの疑問に、長は静かに頷いた。
「ありえない……とは、言い切れん。何しろイスティリアはブレスを宿した存在。ブレスとは、森羅万象の源だ。森羅万象は“生命の営み”という根本的なエネルギーを宿している。彼らが愛し合っていたというなら……十分に、可能性としては……」
その時ちょうど赤ん坊が泣き止んだようで、イドの女性が長に声を掛けるようになった。
「この子の事……どうするんですか?」
女性の腕では、赤ん坊がすやすやと眠っている。
「うむ……そうだな」
やがて長が目を向けたのはドーヴァだった。
「お前はグランシェスから特段の信用を得ていたな。グランシェスがもし生きていたならきっと、お前になら信頼して託せる事ができると話したに違いない」
「それじゃあ――」
目を丸くさせるドーヴァに対して、「うむ」と長は頷いていた。
「お前の所はちょうど子供も居ないようだし……どうだ? と言っても、ジェーン次第なのかもしれんが……」
次いで長が目を向けたのは、呆気に取られた表情を浮かべているジェーンだった。
「グランシェスの子供を、私達が……?」
驚きの声を上げるジェーンに、「うむ」と長は頷いた。
「どうだね? 故人の意を汲んで、二人にこの子供を任せたいのだが」
長はドーヴァとジェーンのことを見比べていた。
ドーヴァとジェーンは揃って互いの顔を見合わせたが、すぐにどちらからともなく頷くようになる。
「グランシェスの子というなら、僕らにとっても大切な子供です」
そう言ったのはドーヴァだった。
「お爺ちゃん。その赤ちゃん、私達に任せてほしいの」
そのように後を繋いだのはジェーンだった。
「よしよし」と言って長は破顔していた。
「それでは、この子供は今日からお前達の子供だ」
そう言った後、長は傍らに居るイドの女性を促していた。
女性はゆっくりとドーヴァの方へ歩み寄ると、彼の腕の中にそっと赤ん坊を預けていたのだ。
その時の動きで目を覚ましたようで、ぱちりと赤ん坊が目を開いた。その瞳は氷のように透き通った青い色をしていた。
赤ん坊は透き通るような青い瞳をドーヴァに向けると、にこりと微笑むようになったのだ。
だからドーヴァは、思わず笑みを零していた。
その赤ん坊はグランシェスの面影が伺える、端正な顔立ちをした男の子だった。
「よろしく頼むぞ、ドーヴァとジェーン」
長に言われ、二人は揃って「「はい!」」と頷いていた。




