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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第一章 雪上の契り
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6:危機一髪

 雪の上、樺の木々を右へ左へとすり抜けながらエーミールは駆けていた。

 その彼の後ろを、巨大な北領鹿エルクが角を振りかざしながら追い掛けて来るが、どうやら巨体にとって森の中は走り辛いようで、頻繁に木に角をぶつけては足を止めている。

 お陰でエーミールは今のところ追い付かれずに済んでいるが、(このまま逃げるだけじゃダメだ!!)と考えていた。


 とはいえ、このまま足を止めるわけにもいかず、エーミールはバラバラに生えている森の木々の隙間を掻い潜りながら蛇行する形で走り続けていた。

 しかし、雪の中いつまでも走り続けるには体力にだって限りがある。


 やがてエーミールは肩でハァハァと息をするようになり、樺の森のちょうど真ん中でザバッとうつ伏せに雪の上へと倒れ込んでいた。


「ハァッ、ハァッ……!」


 激しく息を切らせるエーミールの後ろに、案の定物凄い速度でヌシが走り寄ってくる。相手は鹿、人間と比べると疲れ知らずそのものである。

 そんな鹿の方を振り返りながら、エーミールは考える。


北領鹿エルクが相手を攻撃する時は、その平たく鋭利な角をまるでスコップのように扱い、掬い上げるようにして投げ飛そうとする。つまり――)


「僕を攻撃する時、北領鹿エルクは必ず頭を伏せる!」


 そんなエーミールの言葉通り、走り寄ってきた北領鹿エルクが、まさにエーミールを突き上げようとして頭を低くしたその時である。

 エーミールはごろりと前転の要領で前方へ回転しながら、手元にあったピンと張られた縄を引っ張っていた。

 すると次の瞬間、ゴッと縄で吊るされた丸太がエーミールの低く伏せた頭上を霞めるようにしてヌシの方へと向かっていく。

 主は丁度頭を低くしていたため、角にもろに丸太が突き刺さるようになった。


「ブルルルッ!」と動揺した様子の鳴き声を出しながら、丸太が刺さった大きな角を右へ左へと振り回すうちに、丸太から繋がっている紐までもが角に絡みついて行く。


 エーミールは這いつくばったまま距離を取りながらも、「やった……!」と息を大きく吐き出していた。


(ここに白猪ビーヴ用の罠があることを覚えてて良かった……!)


 エーミールは胸を撫で下ろすが、せっかくヌシ用に張り巡らせていた筈の罠は無用の長物となってしまった事にガッカリもしてしまう。


「時間掛けて考えて張ったのになあ。北の方向へ追い立てるつもりが、南の方向に追い立てられたからな……」


 とは言え、角を紐に取られながらがむしゃらに暴れるだけとなった北領鹿エルクは、今やまな板の上の鯛ならぬ――


(吊るされた兎!!)


 エーミールはスチャッとクロスボウを背の固定ベルトから取ると、矢を番えて急いで弦を巻き上げていた。


 ストックを肩に当てると、目の前の主へ狙いを定める。


(さすがの僕だって、この至近距離で外すような男じゃないさ!)


 エーミールは丁寧に照準を合わせると、いよいよ引き金を引いていた。


 スパンッ!


 それはそれは良い音を立てながら、放たれたボルトは主をこの場に捉えていた丸太から伸びている縄を撃ち抜いていたのだ。


「うわあぁっ!!」


 焦るエーミールに対して、主はというと、ブンブンと大きく首を横に振って丸太をやっと角から外していた。

 しかし今の出来事は恐れさせるに十分だったようで、身を翻すと走り去ってしまったのだ。


「はあ……」


 狩れなかったとはいえ、命拾いした事は確かである。

 肩を落としながらエーミールが寝転がるのと入れ替わるようにして、ザバッと雪の中から父が姿を現した。


「――さあ、ヌシよ!」と父がクロスボウのストックを肩に当てる。


「俺の息子に手を出すつもりなら容赦はせんぞ! 俺の本気を見せてやろうじゃないかッ!」


 構える父の目の前には、とうの昔に主の姿は無い。


「…………おや?」


 首を傾げた父に対し、「逃げたよ」とエーミールは答えていた。


「なんだ」


 父は肩を落としたのも束の間、エーミールの方を振り返る。

 その目は珍しく怒りに燃えていた。


何故主ヌシを狩ろうとした? 俺は危険だと言った筈だ」


 そんな父に対し、エーミールは気まずげに目線を背けていた。


「何故だ!!」


 父に詰め寄られ、やがてエーミールは観念して上体を起こしてその場に座り込むようになると、渋々と話していた。


「大物を狩ったら巡礼団の人に喜んでもらえるかなって気持ちがあったんだ。でも――」


「……でも、それだけじゃなかったんだ」と、エーミールは話を続けていた。


「……イド村ってさ。狩りが出来る人は、僕か父さんしか居ないだろ? だから、僕か父さんがやるしかないんだ。そうじゃないと、村の村長さんやお隣のエドラお婆さん、近所のスノーフさんとか……みんな食べられなくなっちゃうよね」


「……エーミール」と、父は戸惑いの声を漏らしていた。


「俺がきちんと狩ってきているじゃないか。言っとくがな、俺は狩人としては一流だ。今日だってお前を尾行する傍ら、既に北領鹿エルクを二頭ほど狩っているんだぞ。お前が気に病むような事は何も無い」


「……父さん、でも、父さんだっていつかは歳を取ってしまう。このままじゃダメなんだ……僕は僕自身の力で、狩りができるようにならないと」


「だからって、どうして今なんだ? ただでさえ巡礼団の方々が来る日が迫っているというのに。焦らなくても、準成人まで、まだ二年もあるじゃないか」


 戸惑う父に、「……まだじゃないよ」とエーミールは答えていた。


「もう二年だよ! 後二年しか無いんだ……それに」


 エーミールは顔を上げて父の目を見据えると、グッと拳を握りしめていた。


「僕にとってこの機会はチャンスなんだ! いつもいつも村の人たちは僕のことを、いつまでも幼い子供のように扱うけどさ……あのヌシほどに大きな北領鹿エルクなら、巡礼団の人が何十人と来たとしても食べられるだろっ? 大勢来るなら、父さんが狩ってくる獣の数だけじゃ足りない筈だよ。僕、みんなの役に立ちたいんだ!」


 エーミールの真剣な眼差しを見て、やっと父は表情を和らげていた。


「そうか……お前」


(子供っぽいとは思っていたが、エーミールなりに色々と考えてはいるんだな)


 そう感じたから、やがて父は頷くと、「――わかった」と言っていた。


「――父さん」


 目を見開くエーミールに、父は笑い掛けていた。


「確かにお前が言う通り――俺一人では足りるかどうか怪しい事は確かだ。通例通りなら、食べ盛りの騎士団が五十名近く来る筈だからな。牙毛象マンムートでも狩ることが出来れば足りるが、残念ながら……――」


 父の表情はどこか寂し気だった。


「……うん。牙毛象マンムート狩りをするには人数が要る。もう、イド村は牙毛象マンムートを狩れるような状況じゃないもんね、この村は……」


「……ああ、そうだとも」と言って父は頷いていた。


「正直言ってな。流入者が無い以上、お前の代になる頃には、イド村は終わっているかもしれないだろ。だから、そうまでして狩人に固執しなくても。出て行った他の者と同じようにお前も町へ行けば、他にもっと色んな職業があるじゃないかと、父さんはそう思うんだが……――」


「しかし、子が親の仕事に憧れてくれるという事が嬉しい事も事実なんだ」

 そう、父は話していた。


 それから父はポンとエーミールの頭に手を乗せると、その灰色の髪をくしゃくしゃと撫でていた。自身と同じ色と髪質のそれを。


「お前がそこまで考えているというなら――ヌシ狩りについては何も言わん。しかし、一つだけ条件がある」


「なに? 父さん」


 真剣な眼差しを向けるエーミールに対し、父もまた真剣な目を向けていた。


「今日の事でわかったろう? 止めを刺す術の無い狩りは危険だ。だから、止めを刺す術を用意しろ」


 父がエーミールに伝えた条件は、それだった。


「確実にヌシを仕留められるような“術”を用意した上で挑むこと。――これが主狩りをお前に任せる為の条件だ」


「確実に仕留められる術……」


 エーミールは表情を引き締めていた。


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