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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 女神の追憶
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11:引き継ぐ者

 色彩の者が来てからというもの、瞬く間にイドの時間は過ぎ去っていく。


 それから三年間はあっという間だった。


 イドの人々はこれまでの遅れを取り戻すがために、グランシェスから裁縫を学び、加工を学び、冶金も学んだ。

 三年のうちに折り重ねた布をまとう人は居なくなり、染色加工まではされなかったものの、毛皮で作られたコートやズボン、チュニックなどを身に着けるようになった。

 イドの民にとって、グランシェスの存在はまさに“革命”そのものだったのだ。


 イド人は皆グランシェスの事を敬愛していたが、グランシェスにとって最も信頼を置いていたのは、今年で十七歳になる若者ドーヴァだった。

 今日もグランシェスは昨年に建てられたばかりの石造りの自宅にて、ドーヴァと共にテーブルを囲んでいた。


「これを、ああして……こうすれば……」


 今、ドーヴァは真剣な面持ちをして、樹皮紙の上に鳥の羽根で作られたペンを走らせていた。


 やがてドーヴァは満足げに頷くと、「できた」と言ってペンを置いた。


「どれどれ」


 傍らからグランシェスが、ドーヴァが書き上げたばかりのそれに目を通す。

 そんなグランシェスに、ドーヴァが話し掛ける。


「どうかな? 僕なりに考えてみたんだけど」


「ふむ」


 グランシェスが真剣な眼差しを向けるそれには、設計図が描かれていた。

 繊細で緻密に線が引かれ、どの部位にどの材質を用いるかまで事細かに記されている。


「――これなら良さそうだね」


 やがてグランシェスは表情を和らげるようになっていた。


 グランシェスは書き上げられたばかりの樹皮紙を手に取ると、何度もうんうんと改めて頷いていた。


「うん。隅々まで私が言った通りに描けている。これがあれば、イドの人々も作成に取り掛かることができるだろう」


 そう言ってグランシェスが天井の方へ掲げたその樹皮紙に描かれていた物――それは、暖炉の設計図だった。


 グランシェスは理屈っぽく物を喋るのは得意だったが、簡単な物ならまだしも、大掛かりな設計が要るような類の物においては、知識の無い者のためにわかり易く説明したり絵に起こす事が苦手だった。

 今、それを補ってくれているのが、ドーヴァだったのだ。


 彼は運動神経も無ければ、手先が器用なわけでもない。

 しかし、几帳面な絵を描く事には長けていて、グランシェスが語る知識をよく理解してくれた。


「キミは本当に頭が良いね」と言って、グランシェスがドーヴァに笑顔を向けるようになった。


「飲み込みも早いし、理解力もある。もしも私の国に居れば、間違いなく文官になる事ができただろう」


「そんな」


 ドーヴァは赤面すると、落ち着きなさそうに髪を掻いていた。


「そうやって褒めてくれるのはグランシェスぐらいだよ。これまでは、いつも何をやっても上手くいかないし、足も遅くて獲物を狩るのも苦手だから、ドジって言われてばかりだったんだけど」


 ドーヴァは褒められ慣れていない様子で、喜ぶどころかソワソワとした態度しか取らなかった。

 そんな彼の様子を見て、グランシェスは笑みを深めるのだ。


「人には誰しも、得手不得手という物があるものだ。キミはドジなんかじゃないよ。これまで自分の才能を生かせる機会が無かった。ただそれだけさ」


「そうなら良いんだけど……」


 そう答えたドーヴァに、「そうさ!」とグランシェスは大きく頷いていた。


「今やキミは私と遜色無いほどに様々な物事を知っているじゃないか。そればかりか、こうして設計図も描けるようになっている」


「それは、グランシェスが色々と教えてくれたお陰だよ」


「ドーヴァ程に教えやすい生徒は居なかったからね」


 グランシェスの言葉に、ようやくドーヴァは素直に照れ笑いを浮かべるようになっていた。


「こんな僕がみんなの力になれると言うなら、これほど誇らしい事はない」


 微笑を浮かべながら、ドーヴァはそんな風に語るのだ。


「なれるとも」とグランシェスは頷いていた。


「キミが居れば大丈夫だろうと私は既に核心しているんだよ。万が一、私が居なくなっても、キミが居ればイドの人々は安心だ」


 ふとグランシェスが話した言葉を聞いて、ドーヴァはギョッとしていた。


「……居なくなっても? よせよ。不吉な事を言わないでよ」


「はは、そう聞こえたかな? なんとなく、そう思っただけだよ」


 笑みを深めるグランシェスに、「そうだよ」と言ってドーヴァは頷いた。


「まだまだグランシェスには居てくれないと、僕らは困ってしまう。僕とジェーンとの結婚の儀だって是非参加してほしいし、それにまだ終わっていないプロジェクトがあるじゃないか」


「そうだな」とグランシェスは頷いた。


 ドーヴァの言うとおり、これだけは達成しようと誓った最後のプロジェクトがまだ終わっていない。


 それは――外界に暮らす色彩の民とのコンタクトである。


 白銀の世界の中、仲間達と次々はぐれてグランシェスはうつろな状態でイドに迷い込んでしまった。

 そのため、グランシェスですら、元のオプタール王朝へ戻る方向がわからなくなってしまっていたのだ。


 結局、イドを開くつもりになったところで、この厳しい雪によって断絶された土地の中に居る以上、外界と接触する事が難しい。

 長らく山から降りていないイド人も地形を知らないし、グランシェスもどこをどうやってここにたどり着いたか、覚えていなかった。


「私が生きているうちに、オプタール王朝への道を切り開いておかねばな。私はかつてそこの学士だったから、仲介役ができる筈なんだ」


 グランシェスの言葉に、ドーヴァは頷いていた。


「そうさ。だから、居なくなるなんてことは冗談でも口にしないでほしい。約束だよ」


 ドーヴァの眼差しは思ったよりも真剣だったため、グランシェスは面食らっていた。

 しかしすぐに表情を緩めると、頷いていたのだ。


「――ああ、わかっている。でも、私の今の言葉は本気だったんだ。もちろん、居なくなるつもりはない――しかし、キミになら安心して私の後を任せることができる。考えておいてほしいんだ。キミは私よりも、十近くも年下なのだから」


 グランシェスに肩を叩かれ、ドーヴァは頷いていた。


「ああ、グランシェスが言うなら、そうしても良いよ。でも、頼むから長生きするんだよ。それは僕だけの望みじゃない。ジェーンだって、他のみんなも、イドの者なら誰でも思っていることだよ」


「そうだね」


 グランシェスは頷いていた。


 そうやって話しているうちに、いつの間にか外はどうやら日が陰り始めていたらしい。

 コンコンという家の玄関ドアをノックする音が聞こえたから、「おっ」とグランシェスは手に持ったままだった樹皮紙をテーブルに置いていた。


「そうか、もうこんな時間か。キミのフィアンセが迎えに来たのではないか?」


「そうだろうね」


 ドーヴァが答えるうちに、ドアの開く音の後、声が聞こえてくる。


「ドーヴァ、グランシェス! お邪魔するわよー!」


「ああ、どうぞ」


 グランシェスがそう答えると、少しした後、二人の居る部屋のドアがキイと開く。

 そこからひょっこりと顔を出したのは、灰色の髪を一つに束ねている、ドーヴァと同い年の少女ジェーンだった。

 三年前はそばかすだらけだった顔も、十五歳の成人を超えると共に消え始め、十七歳になる今では愛嬌のある顔立ちになっている。


「居た居た。お仕事は終わったの?」


 ジェーンは部屋に入ってくると、ドーヴァの傍へと歩み寄るようになる。


「ああ、そうだね」と頷きながらドーヴァもまたジェーンの方へ歩み寄っていた。


「ちょうど設計図が描き上がったところだよ」


「じゃあ、帰りましょう。お爺ちゃんが、『夕飯はまだか!』って言い始めているわよ」


「悪いな。いつもご馳走になっちゃって」


「仕方ないわよ。ドーヴァのところ、お母さんだけだったのに、去年でお母さんまでも亡くなってしまったんだし……。私が食べさせてあげないとドーヴァ、野垂れ死んじゃうでしょ?」


「あはは……大袈裟な」


 頭をぽりぽりと掻く呑気な態度のドーヴァの背中を、「もう」と言って叩いた後、ジェーンはグランシェスの方へ目を向ける。


「グランシェスも一緒に来る?」


「ああ、私のことはお構いなく。今日はもう他の家に誘われているんだ」


 グランシェスのその回答を聞いて、「そう」とジェーンは頷いていた。


「じゃ、行こっかドーヴァ?」


 ジェーンはすぐにドーヴァの方へ目を向けたから、ドーヴァは頷いた後、グランシェスの方を振り返った。


「じゃあ、僕はこの辺で――って、なんだよ?」


 ドーヴァが怪訝な表情をするのも無理はなかった。

 グランシェスは何やら、今にもからかいだしそうな笑顔を顔いっぱいに浮かべていたからだ。


「いや」とグランシェスはニヤニヤと笑った。


「仲が良さそうで何よりだな、と思ってね」


「そ、そうかな?」


 ドーヴァは落ち着きなさそうに視線を逸らし、ジェーンは目を丸くさせるようになった。

 そんな二人の態度に対して、「そうだよ」とグランシェスは頷いた。


「キミたちを見ていたら、結婚も悪くないような気がしてくるよ。私も早く妻を探した方が良いだろうか?」


「そうだね」と言ってドーヴァは微笑むようになった。


「グランシェスはこの集落の独身者の間では随分と年上だけどさ、長に言えば幾らでも紹介してくれると思うよ。気になる人は居ないの?」


「はは……残念ながら、今のところは」


「そっか」とドーヴァは頷いていた。


「キミたちのように仲睦まじくなれそうな人が居れば良いんだけどね。なかなか上手く行かないよ」


 グランシェスは笑ってそう話していた。


「おっと、引き止めて悪かったね。じゃあ、また明日」


 我に返った様子でグランシェスに手を振られ、ドーヴァとジェーンはそれぞれ挨拶を口にすると、グランシェスの家を後にしていた。


 雪の道を歩きながら、ふとドーヴァは隣に居るジェーンに尋ねていた。


「良いの?」


「なにが」とジェーンは答えた。


「グランシェスのことだよ。ホントは好きなんだろ」


 ドーヴァの言葉を聞いて、ジェーンはどれだけ驚いたことか。


「なっ――なにを……――」


 絶句するジェーンに対して、ドーヴァは足を止めていた。

 そして改めて。


「好きなんだろ、グランシェスのこと」と、何てことないかのように言っていた。


「……何言ってるの?」


 振り返ったジェーンは微笑んでいた。


「グランシェスの信用を一身に受けている。あなたはお爺ちゃんが死んだ後、次のイドの長になるのよ」


「知ってるよ。長からジェーンの許婚に指名されたってことはさ、そう言うことだもんな」


 ドーヴァはそう言って微笑んだせいで、ジェーンは黙り込むしかなくなっていた。


「…………」


 沈黙を続けるジェーンに、やがてドーヴァは言っていた。


「グランシェスはさ、知らないみたいだね。結婚というのは、長が決めた相手とするものだって事を」


 それからドーヴァはまたゆっくりと歩き始めたから、ジェーンもまた彼の隣を歩くようになる。

 そうしながら遅すぎるタイミングで、「……そうね」と頷いていた。


「僕達のこと、仲睦まじそうに見えるんだね。グランシェスは」


 溜息混じりに零したドーヴァの言葉に、「そうね」と、ジェーンはまた頷いていた。


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