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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 女神の追憶
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10:マルゴルの秘術

 グランシェスがイドの一員として認められたその日、雪の中の集落では盛大な祭りが行われた。


 今日ばかりは毎日忙しく働いている人々も仕事を休むと、新鮮なマンムート(牙毛象)エルク(北領鹿)、多種多様のベリー、チーズなど、ありったけのご馳走を集会場に持ち込むようになる。

 それはグランシェスのために執り行われた、イド人なりの精一杯の持て成しだった。


 賑やかな祝祭は日が落ちるまで続いた。



 その日の夜、喧騒が静まり返るようになった頃、グランシェスは長に呼ばれ、一人長の私室を尋ねていた。


 長は部屋の真ん中にある焚き火の焚かれた囲炉裏の前に座って、静かにグランシェスの事を待っていた。

 グランシェスもまた囲炉裏越しに長の前に向き合う形で腰を下ろすと、「――それで」と長に声を掛けていた。


「何か御用でしょうか?」


 グランシェスの問いかけに、長は頷くと、炎の明かりを眺めながら話し始めていた。


「お前もイドの一員になったからには、話しておかなければならない事がある」


「話……ですか?」


 キョトンとするグランシェスに対し、「うむ」と長は頷いた。


「それは女神イスティリアの事だ」


 パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、静かな声で長はそう言っていた。



 それはイドの者(マルゴル人)ならば誰もが知っている神話。

 真実まことの神の物語。


 今となっては唯一の、マルゴルの神イスティリアは、美しい乙女の姿をしているが、孤独な神である。

 それは彼女の力が、人々に病や困難や停滞をもたらすからである。


 誰の信仰も得ることができなかった彼女は、ただ一人、今もリュミネス山の頂に座している。


 本来、神とは肉体も無く声も無く場所という概念も無い。そのため、普遍的にどこにでも居ると考えて差し支えのない存在である。


 しかしイスティリアは別だ。イスティリアには距離がある。

 それは彼女の抱えている、白きブレスにまつわる性質故のものである。


 女神イスティリアが包容する、白きブレスは雪と氷をもたらすもの。

 それを忌み嫌う衆生は多かった。それが故イスティリアは、最北の地に閉じ込められた。


 彼女が雪の力を発揮する事ができるのは、リュミネス山を含んだボルデ領域(北一帯の土地)のみとなっている。

 それは過去に始祖たるマルゴル王が定めた概念であり――イスティリアは、唯一リュミネス山を出る事ができない神である。



「だからこそ我々は」と、焚き火が燃えている囲炉裏越しにグランシェスを見据えながら、長はゆっくりと話した。


「女神イスティリアを大切にしている。彼女は我々にとって、恩義のある神でもあるからだ。それが故、外界にどれだけ豊かな土地があると知ろうとも、ワシらはここを出て行く気が無い。イスティリアの目の届く場所で、これからもワシらは生活を営み続けるつもりだ。……まあ、これからは山から降りる事もあるだろうがな。とは言え、あくまで我々はボルデ領域の中で暮らしを続けて行くつもりだ」


 そこで言葉を切った後、長はグランシェスの目をじっと覗き込んでいた。


「ここは寒いかもしれない。お前が元居た土地よりも、住み辛いかもしれない。……しかし、我々の一員になったからには、お前もそのつもりで居てほしいのだ」


 長の言葉に、グランシェスは迷わずに頷いていた。


「もちろんです」


 彼に迷う理由などどこにも無かった。

 とうの昔に決心はついていたのだ。

 彼らと共に生き、彼らの土地に骨を埋めようと。


「……済まない」と、長は表情を和らげて言ったから、グランシェスは首を横に振っていた。


「いいえ、謝る事はありません。ちょうど、最初から私も考えていたのです。後の生涯はあなた達と共に在りたいと」


「そうか」と長は微笑したまま頷いた。


 そんな長に、グランシェスもまた笑みを返していた。


「これからは私もイドの者として、この集落の発展に協力させてください」


 ハッキリと彼はそう言ったから、「そうだな」と長は頷いた。


「これからはお前の力をどんどん借りる事になるだろう。何しろお前は博識で、ワシらの知らない知識を持っている」


「はい」


 グランシェスの一つ一つの返答に迷いは無かった。

 彼は真摯にイドの民と向き合い、そして共に歩もうとしているのだ。


(――この者は、最初からそうだったな。前向きで、恐れを知らぬ。それはワシ達が今、最も必要とするものだ……)


 長は目を細めていた。


(ワシ達マルゴルは、色彩の民をずっと誤解していたようだ……)


 長は溜息をつくと、おもむろに髭を撫で始めるようになった。

 しばらく落ち着きなくそうしていたから、グランシェスは不思議に思っていた。


「……長殿?」


「いやなに――」と、長は改めてグランシェスに目を向けるようになった。


「つくづく、お前には世話になっている。お前は今、イドの者たちに新しい知識や技術を教えてくれている。しかし、我々は貧しく文明も遅れているが故、お前に何も返せてやれそうにないと思ってな……」


 長は気まずげにそう言ったが、グランシェスは表情を緩めていた。


「いや、必要ありません。私にとってあなた方は命の恩人なのですから」


「しかしだな」


「むしろ、これが私なりの恩返しなのですよ」


 グランシェスはそう答えたが、長は納得しなかった。


「うむう」と唸った後、しばらくの間熟考した様子になるが、しばらくの後。


「――一つ。一つだけだが……」

 やがて長が重々しげに口を開くようになった。


「我々がお前に教えてやれそうな事がある。色彩の民が知らぬ、マルゴルの秘術だ」


「……マルゴルの秘術?」


 目を見開くグランシェスに、「うむ」と長は頷いた。


「マルゴルの秘術は概念を操るものが大半だ。そのため、色彩の民は知ったところで操れぬだろう。だが、しかし――そうではないものも中にはある。それが、神への祈祷の方法と、それから」


 長はグランシェスの目をじっと見ると、こう言った。


「神の具現化だ」


「……神の具現化?」と、グランシェスは聞き返していた。


「そうだとも」と、長は頷いていた。


「本来神には姿も声も無いが……それでは不便があると先代は思ったのかもしれんな。姿や声の概念が宛がわれている。恐らく、お前たちも神殿で見た事があるかもしれない。神像――姿形を作り変えていないなら、あれこそが神の姿だ」


 長の話を聞いて、グランシェスは驚いていた。


「では、私が母国の神殿で見ていたあれは……――民がイメージして作り上げたものではないということですか?」


「そうではないし、そうであるとも言える」


「……?」


 怪訝そうな面持ちをするグランシェスに、長は話していた。


「マルゴルの力は、イメージの力でもあるからな。思念と概念の力によって、エネルギーの方向性を定める力だ。だから神の姿というのは、イメージが形になったものでもあるのだ。嘘か真か、マルゴルは原初の人であるらしい。だから、そういった力が他の民よりも強いのだ。……とは言え、既に概念が宛がわれ、定められているものに関しては、色彩の民であれど適切な儀式によって、その効果を期待することができる」


「はあ……」


 未だに釈然としない表情を浮かべているグランシェスに、「お前だからこそ」と長は言った。


「この秘術を打ち明けても良いだろう。本来ならば門外不出の秘法だ。――これが我々の、信頼の証と思って受け取ってくれたまえ」


 長は右手の平をグランシェスの方へ向けると、微笑んでいた。


「……長殿」と、グランシェスは頷いていた。


 グランシェスにとって、彼らの言うマルゴルの秘術というものは半信半疑の迷信じみたものだった。

 しかし、彼が信頼の証と言うなら、それは喜ばしい事だとグランシェスは受け取ったのだ。


「ありがとうございます。長殿のお気持ち、有り難く頂戴致します」


 グランシェスは破顔すると頭を下げて礼を伝えるのだった。


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