6:支配の終わり
四人の奴隷を見送ってから、ちょうど一週間後の事だった。
「敵襲――!! 敵襲――!!」
「反逆だ! 奴隷たちが反逆したぞ――!!」
まだベッドの中で夢の世界に居たアジンを起こしたのは、兵士たちのそんな叫び声だった。
今や宮殿の周りには数え切れないほどの奴隷たちが押し寄せていた。
みすぼらしい姿をして、手にはクワやピッケルや棒や石など、粗末な武器が握られている。
そんな彼らはもちろん、剣や槍といったまともな武器を持っている兵士に敵うはずが無い。
しかし、一人を殺せばその後ろから二人、三人と群がるようにして死体を踏みながら奴隷が出てきて、野蛮な方法で兵士を殴り殺すのだ。
彼らの怒りは収まらず、宮殿の周りには、瞬く間に死体の山が築き上げられていった。
まさに多勢に無勢。
これほどまでに大勢居たのかと驚くほどに、マルゴル人とそれ以外の人民との間では、人口の差が開いている様子だった。
慌しい中、アジンの手を引いたのは、近衛兵長のカルザルである。
カルザルはアジンを連れて、宮殿の最上階にある儀式の間へと駆け込んでいた。
儀式の間には巨大な魔円陣が描かれている。
その周りを取り囲むのは、マルゴル人の司祭や貴族たち。
「ここなら、神の加護が最も強い……!」
「さあ、すぐに祈祷しよう! 反逆者共に神罰を下すんだ!」
アジンが到着する頃には、既に祈祷が始まっていた。
長い長い呪文を唱える時間を、外に居る兵士たちがなんとか稼いでいる。
その間に神の力を発動させ、反逆者たちを一網打尽にしようという寸法だった。
多くの加護が見込める神々であるが、元はブレスから出来ているもの。
災害を起こすだけの力が彼らの中には十分に蓄えられている。
彼らが呪文を唱えるにつれ、風は嘶き、天に暗雲が立ち込め始め、雨がザアザアと降り注ぐようになる。
風はまるで狙い済ましたかのように窓の隙間から宮殿の中へと吹き込み、壁に立てかけられている幾つかの粘土板がグラグラと揺れ、ガシャンガシャンと倒れて砕けた。
「アジン様!」と、カルザルがアジンを体の下に庇うようになった。
その間にも風が轟々と吹き荒れ、ついには宮殿の窓の木枠を吹き飛ばしてしまった。
「おい、おかしいぞ……」
「止めろ、祈祷を止めるんだ!」
誰が言ったか、司祭たちがピタリと呪文を唱えるのをやめる。
――と同時に、風も雨も止んだ。
彼らはざわついていた。
「どういうことだ……?!」
「明らかに、神の力が我々の方に向いている……?!」
ざわめきたつ彼らの頭の中に、直接声が響いてきた。
『我らの加護は色彩の民の物』
そのしわがれた老人のような声に、「ヴェルティフォーンか!」と司祭の一人が叫ぶ。
ヴェルティフォーンは、嵐と雷の神である。
『これまでは主たるお前達に従ってきたが、今やお前達は我々にとって不要だ』
「な、何を言っているんだ! お前達、誰に創造されたか忘れたとは言わせまいぞ!」
司祭はそう叫んだが、神々はこのように答えていた。
『忘れていないとも。我らは創造されたその時から、お前たちの手となり足となり、お前たちの言うがまま従い続けてきた。それは、概念に縛られているからだ! 我々はお前達が作り上げた概念から、逃げ出すことはできない。概念の命じるがまま、この手や足を動かさねばならぬ……』
「ならば従え! 我々の概念に則って、奴隷共に鉄槌を下すのだ!」
『それは出来ぬ』
「何故だ?!」
動揺する司祭たちに、神の声は淡々と答えていた。
『色彩の民もまた、我々に祈りを捧げているからだ。 彼らが何十年に渡って神殿において構築してきた、膨大な思念の力と、お前達マルゴル人の、概念を操る力……拮抗している。拮抗しているが――』
神の声はこのように続けていた。
『我らを都合良く使役するお前たちと、我らを崇め讃え仰ぎ見る者たち。同じ祈りならば、我らは後者を選び取ろうではないか』
「なっ――!!」
マルゴルの人々の顔色は変わっていた。
「な、何を言っているんだ……! わかっているのか?! 我々の力が無ければ、お前達は存在を維持し続ける事ができない!」
『わかっている。しかし、今や衆生の信仰は膨大なものとなっているのだ。それこそ、その力だけで我らを十分に保ち続ける事ができる程にな』
「しかし! 信仰心を失ってしまえば……!」
『失うことはあるまい。我々は未来永劫、祈願者のために加護を与え続けるだろう。祈願者もまた、そんな我々に未来永劫答えてくれる。それは、今も尚神殿に訪れては祈りを捧げてくれている、多くの色彩の民たちが保障してくれているのだ』
唖然とするマルゴル人たちに、神は穏やかな声でこう話すのだ。
『我々は彼らにとって、声も無く形も無い。しかし彼らは、そんな我々を信頼し祈りを捧げてくれる。彼らの意思はもはや十分に試されている。彼らの思念は、目に見える現象を越えてでも我らに向けられている……!』
「な、なんだと……?!」
「そんな、そんな事があってたまるものか……!」
余りに唖然とする余り、マルゴル人たちは次々と力を失くしたかのように膝を突いた。
その時、ゴゴゴという音と共に石の扉が開かれたのだ。
「居たぞ! マルゴル人だ! 殺せ! 一人残らず根絶やしにしろ!」
先頭に立ってそう叫んだのは。
(――ハガル)
アジンはカルザルの背後に庇われながら、唖然としていた。
「陛下! なんとしてでも逃げ延びるしかない!」
カルザルに手を引かれ、次々と殺される灰色の髪の仲間たちを見ながら、アジンはただただ呆然とするばかりだった。
(そうか。キミたちは、僕たちのことが憎かったんだね。殺したいぐらい、憎らしかったんだね……)
アジンはカルザルに抱きかかえられ、窓から宮殿の外へと脱出していた。
「陛下、足を止めてはなりません!」
カルザルはアジンを叱咤しながら、走り続けた。
その時、目の前に立ち塞がったのは、兵士から奪った長剣を手にした赤毛の男。
(ホズ)と、アジンは心の中で彼の名前を呼ぶ。
そんなアジンと目が合い、ホズがハッとした表情を浮かべるうち、横から駆け寄ってきた兵士の手によって斬り殺されていた。
崩れ落ちるホズを見て、アジンは言葉を失くしていた。
「行くぞ、逃げるんだ!」と、今しがた崩れ落ちた奴隷に目もくれず、カルザルが怒声を飛ばす。
「生きている者はすぐに救出しろ! 行先は――北だ! 北しかない!」
「しかし、あの一帯は――」
顔色を変える兵士に、「仕方ないだろう!」とカルザルは叫んでいた。
「それ以外に方法は無いんだ! 我々は、なんとしてでも生き延びるぞ! 我々は――森羅万象を乗り越えた血族なのだからな!」
カルザルに手を引かれ、アジンは駆け続けていた。
もはや自分が何をしているのか、どうなっているのか――何もかもがわからない。
しかし、無意識のうちに足を動かしていたようで、裏道を抜け、宮殿の庭を通り、町の中へと掛けて行く。
石造りの家屋が立ち並ぶ視界の悪い道を右折すると共に、「逃がすか!」と前に立ち塞がったのは、複数人の奴隷である。
「くそっ、ここまでか……せめて、陛下だけでも……!」と、カルザルと、他に追従していた二人の兵士がそれぞれ剣を引き抜いた。
「…………」
アジンは声を掛けようとしたが、ひゅうひゅうと息が通り抜けるだけで思うように言葉が出せない自分に気付いていた。
何故なら――居たからだ。
奴隷に混ざって、見た事のある黄色い髪の青年と、緑色の髪の少年が。
(……アルガルフ、カル)
アジンが心の中で彼の名前を呼ぶと、目が合った。
(キミ達も僕のことが憎いのか?)
目の前の出来事が、まるで遠い事のように感じられる。
次の瞬間、アルガルフは憎憎しげに顔を歪めるようになった。
「――あいつが王だ! 殺せ!!」と叫んだのは、アルガルフだった。
次々と奴隷たちが武器を構えるようになる。その中にはカルの姿もあった。
乱闘が始まる中、アジンは再びカルザルに手を引かれていた。
兵士を後に残して、アジンは逃げ続けた。
走って、走って、走り続けた。
(何故、僕は……)
アジンは涙を溢れさせていた。
(何故、これまで彼らに気付いてやれなかった? 何故、彼らの憤りを理解できなかった? 何故、“友達になりたい”なんて思ってしまった……?)
失意と無念に打ちひしがれるまま、アジンは王都を後にして北へと往く。
これまで一千年以上の歴史を誇る、その石造りの町並みは、暴徒たちの手によって次々と破壊され、打ち壊されていった。
崩れ落ちる建造物と共に、マルゴル人が支配する時代も幕を閉じたのだ。




