4:支配者と奴隷
不死王アジンは今日も頂から民衆を望んでいた。
先々代のアジンが作り上げた、マルゴル人への反逆罪は、今日も良い塩梅に功を奏している。
「ここは良い眺めだな」と言って、アジンは城のバルコニーから石造りの町並みを見下ろしていた。
町の道路を歩くのは、マルゴル人だけ。
つい先月、アジンはお触れを出したのだ。
『この町の一等地に住む事を許されるのは、マルゴル人のみとする。
汚れた雑種の民は、町の外周に住むように。以上』
「おかげで薄汚れた賎民や、ボロをまとった貧民を目に映さずに済むようになったよ。感謝するよ、関白」
アジンが振り返ったそこには、灰色の髪の壮年の男が立っている。
「お安い御用ですとも、アジン様」と言ってその男はニヤリと笑った。
「――しかし、それにしても」とアジンはふと再びバルコニーの外を見遣り、遠くに思いを馳せていた。
「先々代までは一体何をしていたのだろうな? 異民族のために神の力を使っていたそうじゃないか。よくやるよ。僕らはボランティアじゃないんだよ?」
「そう思われたからこそ、恐らく反逆罪が生まれたのでしょう」
そう受け答えした関白に、「そうだな」と言ってアジンは微笑した。
「神は僕達の為だけにあるべきなんだ。何しろ神の力があれば、異民族など簡単に屈服させることができるのだからな。今やこの地上において――」
話しながら、アジンはぐるりと丸い屋根を携えた石造りの町並みを見渡していた。
「僕達の上に在るものは何も無い。ずっと古の頃には灰色の石を舐めながら生きていたそうだが――」と、アジンは語る。
「異民族とて僕らマルゴルの民に感謝しているであろう? 何しろ、僕達に服従するだけで灰色の石を舐めずに済むのだからな」
アジンの言葉を聞き、「ふっ」と関白は笑みを零していた。
「それはもう、感謝の極みでしょうとも。何せ、今も下位民族が生きていられるのは、我々上位民族であるマルゴル人のお陰なのです。我々の為の労働など、在り難がって勤めるべきなのです。とはいえ――」
言葉を濁す関白の方を、「なんだ、どうした?」とアジンは振り返る。
そんな若き王に対して、「いえ」と関白は首を横に振っていた。
「大したことはないのですよ。ですが、不届きにも反発する者が未だに居続けている事は、牢獄の不足を見てもわかるでしょう。下位民族は真に愚かな連中ばかりでして、今日も二十名ほどが牢へ運ばれましたが……そろそろ労働力が不足してきたようでしてな」
「ならば今居る労働力にもっと働かせれば良いではないか。逆らう者には然る儀式の後、神罰を下したまえ」
「それがですな」と、関白は困惑の色を見せる。
「近頃、神々の力が思ったほどに発揮されないようになりまして……」
「……ふん。神離れか?」
つまらなさそうな表情を見せるアジンに、「左様です」と関白は答えていた。
「下位民族の信仰者が減っているのです。神は信仰者の数と比例してその力を強めますから……多少は下位民族の為にも恩恵を使ってやるべきなのかもしれません」
「あんな低俗な人種でも、神の概念の力を強めるための思念力はあるということか」
アジンは頷いた後、溜息を零していた。
「……仕方がない。下位民族に儀式を開放したまえ」
「はっ?! し、しかし、儀式の手段を明かすということは……――」
動揺の声を上げた関白に、アジンは微笑を向けていた。
「なんだ? まさかお前は、下位民族が神の力を僕達に向けるかもしれないことを案じているのか?」
「それは……」
沈黙する関白に、「大丈夫だとも」とアジンは答えていた。
「仮にそれを選んだところで、やつらには神々と通信する手段が無い。僕達にはある。僕達と彼らが同じ儀式を行ったとしよう。神々は、僕達の味方をせざるをえんだろうよ。何しろ、神々にとって僕達は親も同然なのだ。親に逆らえる子が居る筈もないだろう」
「それに」とアジンは話を続けていた。
「下位民族は何百万人居ると思うんだ? やつらのためにわざわざ僕達が儀式をしてやるのか? それでは骨が折れて仕方がないではないか。言っておくがな、やつらに割いてやる手などは持ち合わせていないぞ。だったら、自分達で勝手にやらせた方が、信心も勝手に育って都合が良いとは思わないか?」
「確かに……それもそうですね」
関白はようやく納得した様子を見せると、ニヤッと微笑むようになった。
「でしたら、すぐにでも馬鹿な下位民族に合わせた粘土板を焼くように致しましょう。そして神殿を建てさせ、祈願しやすいように石像を作って一緒に置いてやれば満足するやもしれません。神の力を借りれば、労働者の作業効率も上がるでしょう」
「それが良い。わざわざ下位民族のために秘術を公開してやるのだ。やつらも泣いて喜んで、反逆者の数も減るに違いない」
「仰るとおりですな。早速、そのように致しましょう」
関白は一礼の後、バルコニーを後にした。
そしてすぐに下位民族である色彩の民のために、儀式の手段を記した巨大な粘土板を焼き、それと共に神の概念をイメージとして固めるための補助となるであろう石像を作らせたのだ。
神の祝福を与えられると聞いて、民衆は喜んで神殿を建てるために働いた。
そして彼らの救いになることを望み、石像を建て、彼らは労働の合間を縫って、せっせと祈願に通う事になった。
色彩の民にとって、神は姿も無く声も無かったが、彼らの願い事を引き受けたから、再びどんどんと信者が膨れ上がるようになった。
それと共に弱まっていた神々の力も強化され、アジンはただ一人、宮殿の高みからほくそ笑んでいた。
そしてアジンの目論見の通り、反逆者の数は減ったのだ。
――これで民は満足して、これからもマルゴル人の奴隷として働き続けてくれるだろう。
アジンはその事を確信して満足していた。
神への信仰心と共に、王への服従心も高まってゆくことを期待していた。
しかし、その通りには行かなかった。
確かに、表立ってマルゴル人への反発を口に出す者はほとんど居なくなった。
彼らは足繁く神殿へ通いつめた。
そして神の石像を前にして跪くと、両手を重ねてこのように祈っていたのだ。
(やつらマルゴル人は、我々をまるで物のように扱います)
(髪が灰色ではないというだけで、生まれた頃より奴隷として定められ、マルゴル人の為に働き死んでいくしかありません)
(我々は何のために生まれたのですか? 我々は我々のために生きることすら許されないのですか?!)
(我々は我々自身のために生きたい! この手足を自らのために用いる権利ぐらい、与えられても良いではないですか!!)
静かな沈黙の中で、着々とその意思が、思念が、蓄積されうず高く積み上げられてゆくのだった。




