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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 女神の追憶
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3:聞く者と縋る者

 不死王と彼は呼ばれた。


 灰色の髪を持つその若き王は、決して不死であるわけではない。

 しかし、国の起こりから代々と受け継ぎ続けてきた、ただ一つの王の為の名前は、まるでたった一人の人物が悠久の時の中を巡り続けているかのように衆生に思わせた。


 だから彼は不死王と呼ばれていた。


 不死王アジン――それが、灰色の髪の少年の呼び名だった。


 灰色の石造りの円形の屋根を持つ城の中、コリコリというペン先が粘土板のタブレットを引っ掻く音だけが響いている。


「アジン様、先ほどの者で最後となります」


 そう言ったのは、壁掛けの大きなタブレット板に、今しがた立ち去ったばかりの祈願者の願い事を書き終えたばかりの男。

 折り重ねられた布のような衣服を羽織っている灰色の髪をしたこの男は、不死王アジンに仕える関白である。


「そうか、ご苦労」


 重厚な玉座に腰掛けているのは、不死王アジンたる灰色の髪の少年。

 彼はつまらなさそうな表情を浮かべ、肘掛で頬杖をつきながら、今しがた閉ざされたばかりの両開きの石扉を眺めていた。


「今日だけで幾人の民が訪れた?」


 アジンの質問に、関白は淡々と答えていた。


「百四十二名で御座います。しかし、外には行列が続いておりましたから。まだ聞き足りぬのでしょうな」


「そうか」と言ってアジンは溜息を零していた。


「衆生は毎日毎日よく飽きもせず、神への祈祷を請うために城門の前に行列を作っているものだ。それほどまでに神の加護が欲しいのか、あいつらは」


「色彩の者共は、自ら神に触れる術を持ち合わせてはおりませぬからな。彼らは知らぬ間に灰色の髪を持つ我々のことを、マルゴル(魔導師の民)と呼んでおります。けったいな呼び名を付けられたものですな」


「魔導師、か」と言ってアジンは失笑した。


「魔導師とは摩訶不思議な力をもってして奇跡を呼び起こす者と言われているそうじゃないか。衆生は“奇跡”のような不確定な代物に、生活を一任したいと考えているのか?」


「仕方ありません。色彩の者が、灰色の者を特別視するのは。何しろ、秘術を用いる事ができるのは、灰色の髪のマルゴルに限られているのですから」


 関白はそう言って嗜めたが、それをアジンは鼻で笑った。


「ふん。僕らが特別なのはな、僕らが純血を重んじてきたからだよ。僕らこそが始祖の血脈なのだ。秘術なんてな、純然たる人間なら、誰しもが持つ力だ。やつらは祖先に、その純血を捨てた者をルーツに持っているから色付きの髪なんてしているのだ。結局のところ、色彩の民など、人間以下ではないか。本当に僕らは、そんなやつらを保護してやる義理なんて持ち合わせているのか?」


「……それは」と、関白は言葉を詰まらせたのを良いことに、アジンはパンと肘掛を叩いていた。


「僕はな!」と、アジンは語気を強めていた。


「今の関係を快くは思っておらんのだ! 一体誰のお陰で民衆は今の豊かな暮らしを手に入れたと思っているのだ! 一体誰のお陰で安全な暮らしが出来ていると思っているのだ! だというのにやつらと来たら、毎日毎日飽きもせずに参拝に来ては、アレが足りないだのコレが足りないだの不平不満ばかりを口にする! おい関白よ、今日の昼頃に来たやつなんか、なんて口走ったか覚えているか?!」


「それは」

 唇を噛む関白に、アジンはハッキリと言った。


「あいつ、“先月の祈祷で豊作は望めたが、味が薄くて売れなかった。次は味良く豊穣の実りを求む”と言って帰って行った!」


「…………」


 関白は沈黙を始めていた。

 アジンの言い分を、灰色の髪を持つ者なら、誰もが同感だと感じる面が近頃あったせいだ。


「それだけじゃない! 近頃衆生の願いはエスカレートしている! 神は万能だと信じて疑っていない愚か者が、望むような結果を得られなければ僕に愚痴を垂れ流して去って行く! マルゴルと呼ばれチヤホヤされてもな、これじゃ何のためにここに居るんだかわかりやしない。灰色の民は、色彩の民にとっての乳母ではないのだぞ!」


「――確かに、仰るとおりですな」


 やがて関白は頷いていた。

 関白はとうとうアジンに同意していたのだ。


「ならば無償で引き受けるのはいい加減に止めはしませんか? これからは税を取ることにしましょう。税を取る代わりに、祈祷するのです。そうすれば、衆生も無尽蔵に願い事を言い出しはしますまい」


「なるほど、それは良い案じゃないか」


 アジンは関白に賛同していた。


「これで僕にも、少しでもこの玉座から離れる時間が得られれば良いんだが」


「きっと得られるでしょう。これで少しは衆生も、願い事を控えてくれれば良いのですが」


「そうだな」


 そう言ってアジンは深々と溜息を零していた。





 そして五日の後、国中に御触れは出された。

 以後、祈祷代を頂くという旨を認めて焼き上げた粘土板が、各所へと運ばれた。


 それを見た民は、その広場に立て掛けられた粘土板を一斉に押し倒すと、粉々に割り砕いてしまった。


「ふざけるな!!」


 民衆は顔を真っ赤にすると、叫び声を上げていた。


「税を取るだって?! ただでさえ我々はマルゴル人のために、労働した糧を税として差し出しているのだ!」


「「そうだそうだ!」」と民衆は声を重ねて叫んだ。


「俺達が汗水垂らして得た糧で豊かな暮らしをしておきながら、ほんの些細な願い事すら渋るというのか!」


「「そうだそうだ!」」と、また民衆は一斉に同意していた。


「あいつらの暮らす宮殿は誰が建てたと思っているんだ! あいつらが食べる食事は誰が用意したと思っているんだ!」


「その挙句、願い事すら聞いてくれないなんて、そんなものマルゴル人の意味が無い!!」


「こうなったら、抗議してやろうぜ!!」


 そう言って民衆たちは一丸となると、マルゴル人が住んでいる城へと向かって行った。


 城門の前で民衆を引き止めたのは、剣を腰に吊り下げている、灰色の髪をした門番だった。

 王侯貴族や役人は、全員がマルゴル人から構成されている。それは兵士とて例外ではないのだ。


 神と正しく交信して良い国造りをするためであると公には言われているが、色彩の民はそれに心底から納得しているわけではない。


「王様と会わせてください!」

「税を取るなんて、あんまりではないですか!」

「衆生の小さな願い事すらも聞きたくないと仰られるのですか?!」

「金持ちの願い事しか聞けはしないと仰るのですか!」

「余りに残酷すぎますよ、陛下!」


 彼らは毎日のように大挙して押し寄せ、毎日のように似たような事を叫んで帰って行った。


 来る日も、来る日も。

 こうして根気強く懇願していれば、いつかそれが聞き入れられると信じて止まなかったのだろう。



 それが幾日か過ぎた、ある日のことだった。


「うるさいっっ!!」


 アジンは叫んでいた。

 窓の外から聞こえる民衆の声に、堪忍袋の緒が切れたのだ。


「あいつらは自分で何とかしようと思わないのか?! 懇願することばかりを考えおって!!」


 アジンは玉座から立ち上がっていた。

 そして関白に向けて叫んでいたのだ。


「うるさい者から順にひっ捕らえろ!! 以後、マルゴル人への過剰な反発は軽罪として対処せよ!!」


「承知いたしました」と、すぐに関白は答えていた。


 そして関白が命令する前に、傍らに立っていた灰色の髪の兵士二人が走って行くようになった。

 誰も彼もがアジンと同じ気持ちを抱いていたのだ。


 衆生の要求は度を超えている。


 これで少しでも落ち着けばいいのだが。と思って、関白は溜息を零していた。


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