2:最初の王
源流。
まさに荒々しく原始的なエネルギーの塊そのものであった。
それこそが世界の脈動で、竜が君臨する世界の全てだ。
竜とは、森羅万象のエネルギーの結晶である。
そのため、竜の居る土地には常に大災害が起き続けている。
否、むしろ、大災害が起きるほどに莫大な自然エネルギーの結晶が竜なのだ。
そのため、どちらかと言えば、竜が居るから大災害が起きるというよりも、大災害が起きているから竜が居る、と言ったほうが正確かもしれない。
そのため、竜は轟きの中に常に身を置いていた。
時たま、竜の支配する地域の外界から、小さな生き物が侵入して来ることは知っていた。
だが、いつも彼らは隅っこの方で、微々たる資源を盗んで行く小物ばかりだったから、気に留めた事など無かった。
それは、この土地で吹き荒れ続けている嵐と共に生きている緑竜にとっても、同様の事だった。
ところが、その小物だと思っていた灰色の毛を持つ生き物が今、地域の隅っこどころか真ん中の方まで強行軍してきたと思ったら、わらわらと一箇所に群がって地面に奇怪な紋章を描き、呪詛を唱え始めた。
その呪詛とは、竜にとって、真に奇怪で恐ろしいものだった。
空の上にあった身がぐんぐんと引き寄せられて行ったかと思うと、ついにはその大きな落書きの真ん中に貼り付けられてしまったではないか。
何の力も無いと思っていた小さな生き物が、竜の周りを取り囲む。
竜は貼り付けられた姿勢のまま、地を震わせるような声で彼らに問いかけていた。
『うぬらは何故、私をこのような目に遭わせる?』
「我々は長らくの間、あなたが生み出した大過によって苦しめられ続けてきた」と、小さな生き物は答えた。
『私はただ、我が地を闊歩していただけではないか』
竜はそう答えた。
「あなたが悠々と闊歩する傍らで、幾百年もの間、命を脅かされ震えていた生命が居たとは知る由もあるまい」
小さな生き物はそんな風に答えた。
『うぬらは私を殺そうと考えているのか? 私を殺せば、たちまち森羅万象の一部は消えうせ、竜を全て殺せば、世界は死んでしまうぞ。死んだ土地において生きられる者は、ただの一人もあるまい。私は知っているぞ。うぬらが死んだ土地から這い出ては、私の居る生きた土地に忍び込み、生きた糧を得ることで、生き永らえてきたということをな』
「確かに、我々にとっても生きた糧は必要だ。だから、殺しはしない。しかし、しばらくの間眠りについてもらう。代わりに、あなたの持つ竜の力を引き継ぐ社を建て、森羅万象の穴埋めをしようではないか」
『ブレスを受け容れられるような社を、ただの小さな生き物が用意できるものか』
竜はそう言って嘲笑ったが、竜は知らなかったのだ。
目の前に居る小さな生き物が、竜が森羅万象を司るのと同じように、願望や思念を司っているのだということを。
「僕らは――」と、ビュウビュウと吹き荒れる嵐の中、両手を高く掲げたのはアジンだった。
すると、その黄金色の鱗を持った四翼の巨竜は目を細くすぼめる。
そんな巨竜に向かって、アジンは堂々と宣告していた。
「僕らこそが、新たなるものを創り出す者。イメージして概念に落とし込む事によって、実現化する力を持っている、創造の民なんだ。小さな生き物とあなたが見下しているうちにも、僕たちは僕たちの力を正しく扱う秘術を編み出した。あなたを縛り付けているその魔円陣も、その中の一つなんだ」
アジンの言葉を聞いて、竜は表情を険しくさせる。
『……なんだと? 馬鹿な。現象を思念によって屈服させられるとでも言うのか?』
「できるよ」と、アジンは答えていた。
「目の前に明らかになっている物事に対して、たった一人の力では、頼りないかもしれない。けれど思念というのは、何十人、何百人、何千人が集まる事によって、ずっとずっと大きく巨大なものへと膨らむんだ。一つの物事に意を共にする事によって、僕たちは現象を乗り越えることができる!」
そしてアジンは竜に手のひらを向けていた。
同じように、周りを取り囲んでいる他の灰色の髪の者たちも、手のひらを竜へと向ける。
「今こそ理の中へ往け! これが僕たちの力、概念とエネルギーを結び付け、形作る力!!」
彼らは異口同音に、竜の知らない言葉を唱え始めた。
魔円陣に括り付けられ、身動きが取れない間にも、その呪文は竜に多くの概念を縛りつけ、原始的で単純だった存在を、複雑で解し難い存在へと作り変えていくのだ。
そのプロセスが進むにつれ、吹き荒れていた嵐はやがて徐々に勢いを和らげていき、ついにはそよ風が通り抜ける程になる。
それと同時に目の前に居た竜の姿は、忽然と消えていた。
後にはこの土地には、起伏のある大地と、爽やかな風が残るのみ。
それは人類にとって、初めての勝利だった。
「やった――成功したぞ!」
「成功だ!! 私達は竜に勝ったんだ!!」
ワッと一斉にはしゃぎ始める仲間たちをよそに、アジンはただ一つ残った魔円陣を見つめていた。
「あなたが司っていた万象は、あなたの消失によって消えるわけではない。それは、僕たちが新たに生み出した、あなたの代わりとなる概念――複雑で解し難い、目に映す事も難解である『神』という概念となって、恵みと呪詛を齎しながら、この世界において生き続けるんだ」
そう、彼らが使った秘術は、消失のための術ではないのだ。
ブレス《竜の力》という単純で粗雑でただただ乱暴なだけのエネルギーを、複雑で微細なエネルギーに作り変え、新たに生み出した『神』という解し難い複雑な概念が絡み合った社の中へ吸い上げる事によって、強大すぎたエネルギーを緩和する。
それが、彼らが竜という存在に打ち勝つために生み出した秘術だった。
竜の消失は、同時に神の誕生を意味していた。
複雑で解し難い存在である神は、目に映したり声を聞くことによって容易に解する事ができるような存在ではない。
しかし、複雑な儀式や祈りというプロセスを踏むことによって、人々に以後、恵みや困難を齎すのだ。
こうして、同じような手法でアジンたちは各地を回り、八柱居た竜の全てを『神』という概念の中に封じ込めた。
それら全てが終わる頃には、世界は均一になっていた。
ある場所は風が吹き荒れ、ある場所は雨が延々と降り続け、ある場所は火の手が上がり、ある場所は地が揺れ続ける。
これまであったそのような事は起きなくなり、全ての土地に満遍なく風が吹き、雨が降り、日差しが注ぎ、地が肥えるようになったのだ。
新たしく生み出された、竜を原型とする八柱の神々は世界の全てに満遍なく恵みを齎し、また望みを聞いてくれる。
これまでアルディナの地で震えるばかりだった人々は、新たなる神と、灰色の髪の英雄達に熱狂した。
とは言え、新たに不便が生まれなかったわけではない。
風や雨や日差しが生まれた事で、人々はようやく衣服や家屋の必要性に駆られ、自らの住まいを整えるようになった。
しかし、それを差し引いてでも、手に入れた豊かで飢えの無い暮らしというのは、人々にとって掛け替えのない物だった。
「アジン様あー!」
「アジン様に祝福あれ!」
「アジン様と神々の恵みに、万歳!」
髪の色彩を問わず、よく晴れた暖かな日差しの元に集い、人々は灰色の髪の王を仰ぎ見る。
石を組み立てた小さな家屋が軒先を連ねる中、初代の王アジンの家だけは高台に作られた。
それは人々が彼らの活躍と勇気を讃えるために作り出したものだった。
彼らが素足で踏む足元には柔らかな草が芽生え、風が新鮮な空気を運んでくれる。
それこそが人類が勝ち得たもの。
幾百年もの間、苦難に耐えながらも待ち望み続けたものだった。




