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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 望まれぬ者
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9:覆えない違和感

 イド村の朝は、今日も雪に埋もれて寒い傍らで、のんびりとした牧歌的な空気が流れていた。


「おはよう」と言ってエーミールが自宅の居間へと行くと、そこではもう母が台所に立って朝食の仕度をしていた。

 その傍らには、フェリシアの姿もあった。


「フェリシア?」

 キョトンとするエーミールの疑問に答えたのは母である。


「お姫様ったらね、今朝、自分から起きてきて、料理を教えてほしいと言ってきたのよ。それだけじゃなくて、これからはお掃除もお洗濯も覚えるんですって。そうよね、今後はここで暮らすんだもの。幼い分苦手な事は多いかもしれないけれど、これからは、お姫様だってイド村の女として立派に働いてもらわなくちゃね」


「そっか」と頷いて、エーミールは、まだ何も並べられていない食卓に腰掛けていた。


「お姫様が来てくれたお陰で、イド村もちょっとだけ賑やかになったわね。後はエーミールが成人したら、お嫁さんを連れてきてくれたら良いんですけどね。エーミールったら、準成人だっていうのに浮いた話の一つも無いんだから」


 母の嫌味交じりの指摘に、「ははは……」とエーミールは気の抜けた笑い声を零していた。


「親族以外の女の子が居ない村で、どうやって浮いた話を持ち込めってのさ……」


「何言ってるの。ウインテルへ行けば良いじゃない。狩猟品を交易するついでに、女の子の一人でもナンパしてきなさいよ。誰か宛は居ないの?」


「その事例がシグムンド兄ちゃんトコだろ? 結局、アンダソン家はウインテルの家に婿入りしちゃったじゃないか」


「くっ……どうしてみんな、快適な方快適な方へ行っちゃうのかしらね?」


 悔しそうに言う母に、「まあ……当たり前の選択だよねえ」とエーミールは頷いていた。


 そんな二人の会話に対して、「お母さん、エーミールには私が居るから大丈夫だよ」とフェリシアがにこにこと笑った。


「えっ?」と母が目を見開いたのは、意外だったから以外の他の何者でもない。


「なに? 私がエーミールのお嫁さんになるの、お母さんは嫌なの?」


 フェリシアがムッとして、母は大慌てで首を横に振った。


「そ、そんなことはないわよ? そうじゃないんだけど、ただ、大丈夫なのかしら? と思って。だってお姫様は、お姫様だから……」

 母が困惑気味に口を閉ざしたのは、フェリシアの表情が変わったからだ。


 お姫様は本当は銀髪の血筋だから、庶民と結婚するには恐れ多い存在なのよ。


 そう母が言おうとしていたのは誰の目から見ても明らかで、それがフェリシアに今の話題を中断させるに至らせた。


 実際のところ、いつまでもイド村に居ても言いと言ったって、フェリシアの元の身分をこの村の人々は全員気にしているのだ。


「――ねえ、母さん。今日の朝ごはんはなに?」


 沈黙を破ったのはエーミールの質問だった。

 エーミールは今の気まずい空気を払拭するために、話題を変えることにしたのだ。


「今日? 今日はね――」と、母もまたそれに乗ってくれる。


 再び普段どおりの空気が流れ出した頃、父親が「おはよう」と言ってリビングへやって来る。


 父はエーミールの姿を見つけるなり、食卓の空いた席に腰降ろしながら話し掛けてくる。


「エーミール。もう狩りには戻れるんだろ? ずっと休んでいた分、こき使わせてもらうからな」


「うん、戻れるけど――そりゃ狩りには行ってないけど、僕、べつにゆっくりと休んでたわけじゃないんだけど」


「狩りの腕が訛ってはいないか、今日はこの俺が確かめてやろう」


「あはは……お手柔らかによろしく頼むよ、父さん」と、エーミールは答えていた。



 朝食を終えると、母とフェリシアに暖かいスープを入れてもらった後、エーミールは父と一緒に狩りへ出掛ける事となる。


 コートを着てクロスボウを背負い、そりを引かせた二匹の北領犬サバーカを連れて行く。

 一匹はエーミールの犬であるヴィズで、もう一匹の灰色の毛並みをしたその犬は、父のパートナーであるコーダという名前の犬である。


 フェリシアは母と一緒に、二人の男手を見送った後、教わりながらも手分けして家の仕事を行うようになる。


 こうして日常に立ち返った。


 しかしそれは果たして本当に日常と言えるのだろうか?


 そんな一抹の疑問がエーミールの中から払拭されなかった理由は、フェリシアの態度にあったのかもしれない。


 エーミールにとって、もはやフェリシアという存在は、血が繋がらないながらも実の妹に等しい存在であると感じているのだ。

 ――それなのに、彼女という存在は。



 それは、イド村へ帰郷してから数ヵ月が経った頃の出来事だった。


 夜、誰もが寝静まる時間になった頃、エーミールは催した事によって目を覚ましていた。


 部屋の傍らにあるコート掛けからコートを取り、寝巻きの上から羽織った後、すぐに家を出る。

 離れのトイレへ行き事を済ませた後、再び寝床に戻ろうとして寒空の下、引き返そうとした。


 その時――月明かりの下、目に入った。


 この日は満月が近く、月明かりを雪が反射して比較的明るかった。


 そんな白銀の闇の中、傍らに生えているかばの木の下、佇んでいる一人の少女の姿があった。


 珊瑚色の肩まで届く髪をしたその少女は、エーミールや他の村人と変わらない質の、無着色のコートを着ているのに。

 その愁いを帯びた横顔は丹精で、青い瞳はハッとするほどに透き通っている。

 月明かりに照らし出されて、まるで淡い光を放つかのような白い肌はきめ細かで、無垢な透明感を感じさせる美貌を彼女は持っている。


 牧歌的な夜の村の景色の中において、そこだけまるで切り抜いたように、どこか気品を感じさせる雰囲気をまとっているのだ。


 切り貼りをしたかのようなその光景に気付いた時、エーミール自身もさすがに誤魔化しきれなくなる。


 ――本当のところ、彼女はイド村の住人ではないし、エーミールの妹でもないのだ。


 そんな感情を払拭するかのように首を横に振った後、気を取り直してエーミールはフェリシアの方へ歩み寄っていた。


「どうしたの?」と声を掛けると、やっと気付いた様子でフェリシアが振り返る。


「エーミール」と言ってフェリシアは小さく微笑んだ。


「眠れないの?」


 エーミールの疑問に、フェリシアは「……うん」と頷いた。

 フェリシアはそれからエーミールに手を伸ばそうとしたが、思い留まったかのようにその手を降ろす。

 近頃のフェリシアは、そういった態度がままあった。


 これまでのように、いつでもどこでも、ベタベタとくっ付いてくる事を控えている様子だった。


 代わりにフェリシアはその伸ばしかけていた手を自身の首元へ持ってゆくと、きゅっとコートの隙間を手の中へ引き寄せた。


 再びぼんやりと月を眺めながら、「ちょっと、考え事をしていたの」と、フェリシアは囁くような声で言った。


 エーミールはそれで口を噤んでいた。

 彼女にずっと違和感を感じていた原因である核心へと触れたような気がしたからだ。


 エーミールがずっと黙っていると、「……ねえ」とフェリシアが話し掛けてくるようになった。


「本当に私、このままで良いのかな……」


「…………」


「結局フレドリカ様に何もしてあげられていないままで……私のせいでグランシェス王国は無くなっちゃったのに、私自身はこうやって、騒動から遠い場所で平和な暮らしを続けていて……本当にこれで良いのかな? って、ずっとずっと……考えちゃうの」


「……フェリシア」

 それはキミが考えるような事じゃないよ。と、エーミールは言いたかった。


 そんな事、考えるのは大人の仕事で、四歳か五歳の少女が思い悩むような事じゃない。

 でも――フェリシアは違う。そうじゃない。


 本当は、十八歳の成人なのだ。


「何も考えたくないと思って、何も知りたくないと思ったけれど……でも、忘れられそうにないの。忘れたいのに……忘れたい事ほど忘れられない。だってさ、忘れられっこないよ。みんな、みんなみんな……――私のこと、“お姫様”って呼ぶんだもん」


 そう話すフェリシアは寂しげで悲しそうで、エーミールは思わず喉を詰まらせる。


 そんなエーミールの方へ、フェリシアが振り返ってくるようになった。

 彼女の面立ちはまるで“本物の王女”のように、淑やかで上品に見えるのだ。


(フェリシア……)


 グッと拳を握るエーミールを目の前に、フェリシアは穏やかな口調で「それにね」と話しを続けた。


「……頭から離れないの。あのメイドのお姉ちゃんの悲しそうな顔が、ルドルフおじさんの話していたことが、……――あの日見た、煙が上がるシンバリの景色が。だから――ごめん、エーミール。私、この村にずっと居たかったけど……居られそうにないや」

 それからフェリシアは寂しげに笑うのだ。


 泣き出したいだろうに、泣き言を言わない彼女は、幼児らしくない。


(――フェリシアらしくない)と、エーミールは思った。


「私、行く事にするよ。イスティリア様の大神殿に行く。なにができるか解らないけれど……――行かなくちゃいけないんだよね? アゴナスの領主様が、そう言ってたもん。だから――」


「エーミール、今までありがとう」と最後に括った彼女の表情は、微笑を湛えながらも、まるで泣き出したいのを押し殺しているように見えた。


 そんなもの――フェリシアらしくないのだ。


 明るくて天真爛漫で無邪気だったフェリシアらしくない。

 まるで――まるで、三年前に見た――……。


(……まるでお姫様みたいじゃないか)


 背を向けて歩き出そうとするフェリシアの後ろを、エーミールは追いかけていた。

 そして手を取ると、やっと言葉を発していた。


「フェリシア」と、エーミールは自分よりも背の低いフェリシアのことを上から見下ろす。


 威圧感を覚えて足を止めるフェリシアに、エーミールは頑なな口調で言っていた。


「僕が、なんだって?」


「…………」


「今までありがとうって? まるで生涯の別れみたいに言うけどさ――」と、エーミールは言う。


「どうして一人で行くつもりで居るの? ――僕を頼れよ。これまで通りにアテにしろよ! だって僕は、フェリシアの――何なんだよ! 僕は一体、何なんだよ!」


「……――」

 フェリシアは目を真ん丸く見開いていた。


 こうやってエーミールに怒りの感情を直にぶつけられたのは初めてだったせいだ。

 エーミールは優しそうに見えて、如何にも猟師の息子らしい頑固で一本気な面が往々にしてあるのだ。


「え、エーミールは……」

 呆気に取られたままフェリシアは口を開こうとして、その後頬を染めるようになった。


「それにさ」とエーミールは続けていた。


「キミに責任があるってなら、僕にも責任はあるよね? だって、三年前にキミに禁忌を犯させたのは――この僕なんだよ」


 エーミールはそんな風に話していた。


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