4:再会
今日もはらはらと雪が降っている。
白銀のそれがふわりと重なり、無垢な色をした地面を作り続けている。
踏み固められた雪の上に、更に雪が蓄積している。
その中に足を踏み込むと、つま先の上まで沈み込むのだ。
雪をギュッギュと踏み込みながら、大勢の人々がこの町を行き交っている。
彼らにとって、この雪景色は日常である。
カルカロスは雪の中にある大都市である。
アゴナス地方の中で最も大きく、そして領主が住む城が聳え立つ場所である。
「おい、聞いたか?」
「ああ。いよいよ陥落したそうだな……」
「ここは無事なのか?」
「無事だってな。なんでも、新しい王は意味の無い侵略をする気は無いらしい」
行きかう人々がそんな風に噂話をし合っている。
そんなうるさい人ごみの中を、馬屋に馬を預けた後、三人とそり犬は歩いていた。
「もう噂になっているのか。早いな」
そう言ったのは先頭を歩くルドルフだった。
「うん……」
頷きながら、エーミールは晴れない表情をしていた。
何故なら、これから行かなければならない場所があるからだ。
その原因を作っている張本人のフェリシアはというと、エーミールが歩いている場所よりも更に後方で、ゆっくりと歩くヴィズが引く犬ぞりに足を掛けて乗って、一生懸命に一人でバランスを取ろうとしている。
しかしすぐにバランスを崩した様子で、「わわ……」と言って降りた後、また「よいしょ」と足を掛けて乗る。
そうやってマイペースに遊んでいられるのは、彼女が向かう先で待ち構えている事の重大さを理解しきっていないせいなのだろう。
(まあ……仕方ないよな)と思って、エーミールは苦笑するしかなかった。
特に怒る気持ちにもならない。なにしろ。
(フェリシアの心は、五歳か四歳くらいの女の子だからね)
子供がマイペースに遊ぶのは当たり前のことだとしか思わなかった。
しかしルドルフは未だにそれを受け容れる事ができない様子で、眉を潜めていたが……。
やがて一行が到着したのは、カルカロスの町の中でも小高くなっている場所に建っている、灰色の石造りの宮殿。
アゴナス地方の本拠地である、アゴナス城だった。
両開きの門の左右にはパイクを持った門番が一人ずつ居るが、門そのものは開放されている。
どうやら城内は庶民に対して開かれている様子だ。
門をくぐり、さらに城の扉を入ってすぐの場所が謁見の間となっている。
大きな長方形のホールといった造りとなっており、真ん中には、暖炉というよりも囲炉裏といった佇まいの暖房器具が設置されている。
謁見の間の位置が開放的である代わりなのか、アゴナス兵が部屋の端に、等間隔で十人ほど立っている。
そこに踏み入った、その時だった。
「フェリシア様!!」
そう叫んだのはエーミールでもルドルフでもない。
「っ……?!」
エーミールは咄嗟にフェリシアを抱き寄せ、ルドルフは腰の剣に手を添えると素早く辺りを伺った。
まさか、銀髪に恨みがあったり鬱憤を向けたがっている者が、フェリシアの正体に気付いたのかと思ったせいだ。
しかし駆け寄ってきたのは違った。
栗色の髪をお団子に結っている、メイド服姿の若い女性は、三年ほど見ていなかったものの、エーミールにも見覚えがあった。
「えっと、まさか――カリーナさん?!」
思わず声を上げるエーミールの近くへカリーナが駆け寄ってくる。いや、正しくはフェリシアの方へ。
「どうしてこんな髪になられたのですか! ああ、おいたわしや……いえ、それでも良いのです。あなた様が生きていらっしゃったのですから……! ああ、良かった。良かった……!」
カリーナは涙をぼろぼろ溢れさせながら、手に持った箒を取り落とすとフェリシアを抱き締めようとした。
彼女はかつてフェリシアのお付きのメイドだったから、どれだけ髪型と髪の色を変えていようが、すぐに彼女の正体がわかったのだろう。
しかしカリーナの思いと裏腹に、フェリシアは怯えた表情を見せると、エーミールの腕に縋り付いたのだ。
「やだっ、来ないで! お姉さん、誰なの……?!」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべるフェリシアと、その傍らに立つエーミールの姿を見て、カリーナは呆気に取られていた。
「フェリシア様? と……――えっ。ええぇぇぇっ?!」
カリーナはやっとエーミールの姿が目に入ったようで、エーミールの顔をまじまじと見た後、大声を上げていた。
そのせいで、カリーナと一緒に清掃をしていた数人のメイドが駆け寄ってくる。
「なに、どうしたのですか?」
「騒々しいですよ。静かになさってください」
そんなメイドたちに紛れて、一人のアゴナス兵の姿も。
「こんな場所で、一体何をやっているんだ?」
どうやら不審者に見えてしまったようだ。
「いやいや! 私たちは不審者じゃありませんとも!」
慌ててルドルフは両手を大きく振りながら兵士にそう言った後、「どうなっているんだ、エーミール!」とエーミールに耳打ちしてくるようになった。
「いや、それが……」と、困惑しながらもエーミールはカリーナの方へ視線を戻していた。
「フェリシア=グランシェス=コーネイル姫殿下のお付きのメイドの、カリーナ=ヴィステルホルムさん……ですよね?」
エーミールの問いかけに、「ええ、そうですとも」とカリーナは答えていた。
カリーナはメイドの仲間に言っていったん仕事を抜けると、エーミール達を謁見の間の奥にある客間へと通していた。
ちなみに謁見の間の玉座には領主は座っていなかった。
どうやら基本的には更に奥にある執務室に居るため、普段は不在にしているらしい。
カリーナは客間のソファに座るようフェリシアを促したが、フェリシアはエーミールの腕に縋り付いて離れなかった。
「やだ……エーミールと一緒が良いよう」
不安そうな表情で今にも泣き出しそうな声を出すフェリシアの態度は、カリーナにとって違和感しか無かった。
「フェリシア様? ですが、エーミールくんもルドルフさんも庶民ですから。席を共にするのは如何なものかと思いますよ」
カリーナはやんわり言ったが、「やだ! 絶対にやーだ!」とフェリシアは頑なに首を横に振るばかりであるため、カリーナは困惑するしかない。
「どうなさったのですか? フェリシア様は……」
質問を向けてきたカリーナに、エーミールはこれまでの経緯を伝えていた。
フェリシアが雪の中で倒れていたところを助けた事や、介抱して一命を取り留めたものの記憶障害と幼児退行が残ってしまったこと。そんな彼女が唯一覚えていたのが、エーミールだったこと。
それらの経緯を一通り聞いた後、カリーナは「……そうですか。そんな事が」と言って唇を噛んだ。
何故そうやって悔しそうな表情をしているのか、エーミールにはわからなかった。
今のエーミールは、結局フェリシアがどうしてもと言って聞かなかったので、フェリシアと一緒にソファに座る形となってしまっていた。
その椅子は本来なら庶民が座るようなものではないため、これまで体験した事もないほどにフワフワの座り心地だった。
そのためエーミールは腰掛けた時から、特に理由も無いのにガチガチに緊張してしまっていた。
ちなみに誘われなかったルドルフは傍らに立っており、カリーナも傍らに立つ形で、エーミールの話を聞いていた。
その間にカリーナと違うメイドがやってきて、フェリシアの前に淹れたてのお茶を置いて立ち去ったから、「あれ?」とフェリシアは首を傾げていた。
「他の人の分は無いの?」
それがフェリシアの疑問だったから、カリーナは苦笑していた。
「フェリシア様。それは王侯貴族の為に淹れられた物なのですよ。庶民が口を付けるには恐れ多いほどの高級品が使われています」
「…………」
フェリシアは釈然としない表情をして目の前のカップを見た。
納得していない様子の彼女を見て、カリーナはエーミールの話が事実である事を改めて認識していたのだ。
「ところで」と、カリーナに対しておもむろに話しかけたのはルドルフだった。
「あんたがフェリシア様お付きのメイドだったというなら、何故こんな場所に居るんだ? あんたは本当ならばグランシェス城に居たのでは?」
「それは……」と、今度はカリーナが経緯を話すようになった。
「フェリシア様が居なくなった後、私は新しく養子に入られたフレドリカ様の専属メイドを勤める事になりました」
そこからカリーナの話は始まっていた。
カリーナは、フレドリカにあまり信用されていなかった事や、テオドルという執事を連れて来ていた事を簡潔に話した。
「そして――あれはシンバリに敵襲があるより三日ほど前でしょうか。ある時テオドルさんが私を呼び出して、フレドリカ様のために、カルカロスまで買い付けに行ってほしい物があると仰られて……」
カリーナは俯くと唇を噛んでいた。
「テオドルさんは、私にしか頼めないと仰られたのです。フレドリカ様の専属メイドである私にしか頼めない品であるからと……。でも本当は違っていたのですね。テオドルさんはきっと、私にフレドリカ様を任せられないと思われたのかもしれません。危機が迫っていたからこそ、信頼に足らない私などよりも、自分自身が付き添いたいと……そう思われたのかも」
カリーナは悔しそうでいて、悲しそうでもあった。
「グランシェス城が落ちたとの知らせを聞いたのは、カルカロスに居る時でした。帰る先の無くなった私は、ここの領主様の勧めでそのままこのお城のメイドとして落ち着く事になったのです。ですが、私は結局、責務を果たせませんでした……」
「本当なら、私こそがフレドリカ様のお気持ちを一番よく理解できる立場であった筈なのに。フレドリカ様の孤独なお気持ちは知っていたつもりだったのです。ですから、フレドリカ様のお力になって差し上げたかった」と、まるで懺悔でもするかの如く、カリーナはそんな風に話していた。




