3:帰路と心変わり
日が明ける頃、ルドルフが繰る馬車に再び乗って、エーミールとフェリシアはアゴナス地方への道のりを戻ることにした。
その日も空からは雪がしんしんと降り続けており、外の空気は凍て付くような寒さを伝えてきている。
これまで降らなかった分が、これから降り出すのかもしれないと思って、エーミールは覚悟を決めていた。
ところで、同行して三日目ともなると、ルドルフには一点、どうしても気になる事が生まれていた。
それはエーミールとフェリシアの事であり、フェリシアが姫君と知ってからは、益々どうしたって気になって仕方が無い事象である。
苛々とした空気を発散するルドルフの背中に気付かないまま、エーミールは空からちらほらと降る雪を気にして、隣に寄り添うフェリシアに尋ねていた。
「寒くない? 大丈夫? 毛布出そうか?」
エーミールの質問に、「大丈夫だよお」と一言、フェリシアがぎゅっとエーミールに抱きついてくるようになる。
「こうやってピッタンコしてたら、暖かいよねえ」
にこにこと笑うフェリシアが本当に幸せそうに見えて、エーミールは微笑ましげに笑っていた。
「そうだね。ヴィズにモフモフしても暖かいよ」
「うん。でも、私はエーミールとが良いなあ」
「相変わらず甘えん坊だよね、フェリシアは」
「えへへーそうだよ。ねえねえ、頭なでなでしてー」
「まったく、仕方ないなあ。フェリシアはいつまでも赤ちゃんみたいだね」
「えへへへ……」
そんな会話を背中越しに聞きながら、ルドルフはそれはもう、イライライライラとしていた。
そしていよいよ。
「っ――だあー!!」と、我慢ならずに叫び声を上げていた。
すると、エーミールとフェリシアは同時に驚いた様子でビクッとなる。
「なに、どうしたの?」
キョトンとしたエーミールの方を、ルドルフはガバリと振り向いた。
「あのなあ! 俺が黙っていれば後ろでいつまでも、イチャイチャイチャイチャと……!」
「イチャイチャ?」と聞き返すエーミールは怪訝そうな表情を浮かべていた。かなり本気で。
「これだから俺は田舎者には荷が重いと言いたいんだ! 大体な、グランシェス王族の御身がどれほど大層なものであるか、少しもわかっておらん! エーミールは、わかっておらん!!」
「あ、あの、ルドルフ?! 良いから前。前見て!」
慌ててエーミールが言うと、ルドルフはいったん前を向いて手綱を引っ張るようになった。
おかげで、右へと曲がっていた街道から反れずに無事に曲がることができた。
しかし再び直線に差し掛かると、「お前な。特にエーミールだよ、お前お前」と不機嫌そうに言いながらルドルフが改めて振り向くようになる。
「お前は事情を知らんのかもしれんから、ハッキリと教えてやる。あのな、グランシェス王族というのはイスティリアの御子なのだよ。雪と氷の司であると共に純愛の司でもある女神イスティリアの御子には、生涯においてただ一人としか愛を交わしてはならんという、絶対的な仕来りがあるのだ!」
「あ、愛?!」
エーミールは度肝を抜かれていた。
「そんな、大袈裟な。大体フェリシアと僕は家族だよ? 何をどうすればそんな話になるのさ?」
困惑するエーミールの隣で、「そうだよ」とフェリシアが頷く。
「私とエーミールは将来結婚するから、なんにも問題無いよ」
にこにこと笑うフェリシアの方を、「ちょっと、フェリシア?!」と言ってエーミールが振り返る。
「頼むから、場を混乱させるような事を言わないでほしいんだけど……」
「え?」と、キョトンとするフェリシアに対して。
「許さん。俺は許さんぞ!」と、ルドルフは叫んでいた。
「まさかお前、これまでも姫様に対して、あんな事やこんな事を仕出かしてはいないだろうな?!」
凄んでくるルドルフに対して、エーミールはドン引きするような感情を覚えていた。
「いや……幾らなんでもちっちゃい女の子にそれはないでしょ……。だ、大丈夫? ルドルフ……」
「お前の頭が大丈夫?! だよ!!」と、ルドルフは叫んでいた。
ルドルフからすると、態度はともかくフェリシアの外見というのは、やんごとなきうら若い十代後半の女性なのだ。
そんな少女から四六時中擦り寄られて、(うらやまけしからん!!)というのが本音にあった。
「お前は本当に男なのか? それでも男なのか?!」
ルドルフに謎の理由で問い詰められ、エーミールは困惑するやら不快になるやらだった。
「なんでそこまで言われなきゃいけないのさ……」
エーミールは不条理を覚えるしかないのだった。
そうこうするうちに、一行はカルディア地方とアゴナス地方の関所の前にある小さな町――フェンブルに到着していた。
そこの馬屋へ立ち寄ると、レンタルしていた馬車を返すことにした。
それと共に、預けていた犬ぞりを受け取り、その代わりに犬用の荷車を預けることにした。
「この先は犬ぞりと馬で行こう」とエーミールが言ったからだ。
理由は単純。車輪は雪上では使えないという理由もあるが、それよりも一番大きな理由は、馬車がレンタル品だったが故である。
レンタル品というのは、同一地域内でのみ使っても良いという契約になっているのだ。
地域をまたいで持っていってしまうのは泥棒である。
「早くて快適だった旅もここで終わり。この先はまたヴィズに頑張ってもらわないとね」
そう言ってエーミールはヴィズの頭を撫でていた。
ヴィズは張り切っている様子で、「わん!」と鳴いた。
「俺的には馬車を引こうが引くまいが馬上である以上、変わらんけどな」
ルドルフがそう言った。
フェンブルよりも更に歩いて一時間ほど北上した辺りで、ようやくそりに乗れるほどの景色が見られるようになる。
エーミールとフェリシアが犬ぞりの横板に足を掛けるのは、およそ五日振りだった。
地面の上を雪が覆っている光景を見るのも、同じくらいのブランクがあった。
なんとなく懐かしさを覚えるエーミールの前で、フェリシアがぶるっと震えた。
「寒いね」
「そうだね」とエーミールは微笑むと、手すりに掛かっているフェリシアの手の上に手を置くようになる。
するとフェリシアは「えへへー」と笑った。
「暖かいね」
「そうだね」とエーミールは微笑みかける一方、フェリシアはこの雪景色に懐かしみを全く感じていないのだという事に気付いた。
(フェリシアの故郷は、やっぱりシンバリなんだろうな)
そう思ってなんとなく寂しさを感じたが、エーミールは何も言わなかった。
「さて、カルカロスまで後一息だな。行こうぜ」
馬上でルドルフがそう言った。
「うん」と頷いた後、エーミールは「ヴィズ、ゴー!」と声を掛ける。
するとヴィズは大張り切りで走り出すようになった。久しぶりにそり犬としての役割を果たす事ができるのが嬉しいのだ。
流れゆく景色はそろそろ、アゴナス地方のそれだった。
見渡す限りの銀世界が間もなく始まるのだ。
前に居るフェリシアの後姿を見て、(良かった)とエーミールは胸を撫で下ろしていた。
(シンバリでは何も無かったし、結局フェリシアは何一つ思い出さなかった。このまま一緒にイド村に帰れそうだな……)
「……本当に良かった」
エーミールは気付けば、そんな風に呟いていた。
そんなエーミールの声に気付いた様子で、フェリシアが振り返ってくるようになった。
フェリシアはエーミールと目が合うとにっこり笑い、こう言った。
「アゴナス地方の領主様って、どんな人なんだろ? フレドリカ様を助けられたら良いね、エーミール」
「え? ああ……そうだね」
エーミールは慌てて頷くと、内心でため息をこぼしていた。
(そうか……このまま真っ直ぐイド村に行くってわけじゃないんだよな)
忘れてた。という言葉を言えば、フェリシアに攻められると思ったから、エーミールは黙っておくことにした。
出来れば王家の事なんて、対岸の火事とでも思って見てくれたら良いのに、フェリシアはそれが出来ないのだろう。
それを理解していたから、エーミールはこれ以上何も言わないことにした。
ただ、フェリシアの涙を見たせいで、『虚しい』という言葉を聞いたせいで、いつの間にかエーミールはこんな風に考えるようになっていた。
(もう良いんじゃないか? もう無理なんてしなくても良いんじゃないかな。フェリシアはきっと、頑張ったんだよ。お姫様だった頃に、十分頑張った後なんだ。だからこれからは辺境の村人になったって良いじゃないか。記憶を取り戻す事なんて、わざわざしなくたって良いんじゃないかなあ……)
そうエーミールは思うようになっていたのだ。
何故ならエーミールは、これまで信じていた。
お姫様という立場や暮らしは、辺境の村人よりもずっと豊かで幸せな事なのだと思っていた。
誰もに祝福されて愛されている存在というのが、プリンセスであるのだと思っていたのだ。
(……フェリシアの言うとおりだ。もう、元に戻る必要は無いよ)
エーミールはそんな風に考えていた。




