2:望まれる者
雪が舞い降りては地の上に落ちて儚く消えてゆく。
降り落ちる雪がいつまでも積もらないのは、地熱のあるカルディア地方ならではの光景だ。
どこまでも続く草原の景色の中、馬車を引く毛長馬を繰りながら、ルドルフは後ろの馬車に座っている雇い主の話を聞いていた。
それはエーミールの傍らに座っている、フェリシア=コーネイル=グランシェス公に関する話である。
フェリシアは今は落ち着いた様子で、ヴィズの毛並みに顔を埋めて「もふもふ~」と言いながら、機嫌良さそうにしている。
「雪だるま、作れるかなあ?」
フェリシアの唐突な質問に、「はは」とエーミールは笑った。
「無理だろうなあ、この辺りは。カルディア地方では、雪が積もらないからね」
「そっかあ。じゃあ、イド村に帰ってから作るね!」
にこにことフェリシアは無邪気な笑顔を見せている。
まるで十八歳に見えないその立ち振る舞いに、ルドルフは先ほどエーミールから聞いた話に対する確信を深めていた。
(フェリシア様は何者かの手によって――いや、ともすれば、陛下自身の手によるものだったのかもしれない。今や崩御されてその真相を伺うことはできんが――とにかく、公には病死という形にされ、実際にはアゴナス地方でも最も気候の厳しい最北の地へと送られた。まあ、事実上の流刑という事か。普通ならあんな場所、女一人では死に追い立てるようなものだが――)
ルドルフはちらっとエーミールの方を盗み見た。
(幸いにも、死に掛けていた所をイド村の若者に拾われた。そして一命を取り留める事となったが、条件が悪く幾つかの脳障害が残ってしまった。そうして今はそれを元に戻す方法を暗中模索すべく、シンバリまで足を運んでいた。と……――マスターの話を要約すると、そんな所か)
ルドルフは元通り正面を向いていた。
(まさかフェリシア公が生きていらっしゃるとはなあ。驚きはしたが――)
ルドルフはぎゅっと手綱を掴む手の力を強めていた。
「……それを聞いてしまっては、見落としてはおけんだろ。あんな若造に、大切な御身を預けておくわけにはいかん。……許せよ、マスター」
ルドルフは周囲に聞き取れないほどの小声で、そう呟いていた。
やがて馬車がたどり着いた場所は、あの、シンバリとフェンブルを繋ぐ街道の途中にある宿場だった。
その時には既に日が落ちており、今日はここで停泊する必要があった。
馬車から降りた時、「ありがとう、ルドルフ」とエーミールが言った。
「助かったよ。危険な事まで買って出てくれて……本当に、言葉にできないぐらい有り難かった」
そう言って笑うエーミールは実に無邪気だった。
幼児退行した結果のフェリシアと違い、エーミールのそれは素の性格なのだろう。
「ああ、受けた依頼は手を抜かない主義でな」
そう言ってルドルフは笑った。
「で――だ」
おもむろにルドルフが言葉を繋ぎ、エーミールはキョトンとする。
そんなエーミールにルドルフが切り出したのは、これだった。
「これからイド村へ向かうんだって? なら、行き先はアゴナス地方か。どうだ。まだ金があるなら、俺を追加で雇う気は無いか?」
そんなルドルフに対して、エーミールはあっさりと首を横に振ると「いいよ」と断った。
「元来た道を引き返すだけだし、行き先は危険な場所じゃないからね」
「しかし、先にも言ったが、この戦のせいで治安が悪化しているぞ?」
「でも、僕にはクロスボウがあるし……それに、北領犬のヴィズも居る。北領犬ってのは、ガードマン代わりもできるんだよ」
「そいつは知っているが、しかし、子供ばかりじゃ不安じゃないか?」
「子供と言ったって」と、エーミールは苦笑していた。
「僕だって準成人だし……それに、フェリシアだって、一応は成人なんだよ。そりゃあ彼女の場合は、精神が幼児だから、どれだけ体が大人だからって頼りにならないことは確かだけど」
「しかしだな……」
なおも食い下がろうとするルドルフに対して、エーミールは警戒心を抱いていた。
「……しつこいんだね」
ボソッと言うエーミールを前に、ルドルフは驚いた面持ちになって口を閉ざす。
しかしすぐに、ニヤッと笑った。
「お前のそういう所、俺は嫌いじゃない」
「…………」
「ただな――お前が引き受けるには、いささか荷が重いとは思わんか?」
ルドルフの視線は、エーミールの隣に立つフェリシアの方へ向けられていた。
フェリシアはすぐにルドルフの視線に気付くと、怯えた表情になってエーミールの手を掴むようになる。
「ルドルフ」と言ってエーミールは微笑んだ。
「やっぱりあなたには話さない方が良かったんだね」
それからエーミールはフェリシアの手を引っ張ると、「行こう」と彼女に話しかけた。
フェリシアはこくんと頷くと、エーミールと一緒に宿場の中へ入ろうとする。
「――待てよ」
ルドルフに声を掛けられ、エーミールは足を止めて振り返った。
と同時にルドルフが、ジャッと腰の鞘から剣を引き抜く。
「行かせんぞ、不届き者が。その御方をどなたと心得ているんだ?」
ルドルフがエーミールの方へ剣を向けると、不穏な空気を察知してか、厩舎へ入ろうとしていたヴィズが身を翻して彼らの方へ駆け寄ってくるようになる。
エーミールの隣に立つと、牙を剥いてグルルと喉を唸らせるヴィズの隣で、エーミールもまた背後へフェリシアを庇いながら、背中のクロスボウへと手を伸ばしていた。
「不届き者なんて言われる筋合いは無いよ」
そう言いながらエーミールは、背中から取り外したクロスボウを地面の上に立てていた。
「大体、あなたはフェリシアにこれまで何をしてあげたって言うのさ? これまでフェリシアの面倒を見てきたのは、この僕なんだよ」
「思い上がるなよ、若造」とルドルフは苛立たしげに言った。
「フェリシア様はお前のような田舎者の傍に居て良いような御方ではない。国を無くしたグランシェスの臣民にとって、フェリシア公はただ一つ残された心の拠り所なのだ! フェリシア公さえ在られるなら、散り散りになった同士を呼び集める事も容易になるのだ! これがどれだけ重大な意味を持つか、お前には理解できまい!」
「ッ……――」
フェリシアは目を見開くと、慌ててエーミールの背中にすがりつくようになった。
彼女が震えているのを感じ取って、(退けるもんか)とエーミールは覚悟を決めていた。
「あなたがそういう考えなら、尚更僕はフェリシアのことを渡せないよ」
エーミールはそう言うなり、背中の矢へと手を伸ばす。
「あなたはフェリシアの事を何も知らない。王女としてしか見ていない! 政治の道具としか考えていない! だったら僕は――フェリシアの兄として、安心してフェリシアをあなたには任せられない!!」
クロスボウに矢をつがえるエーミールに向けて、「エーミールう?」と不機嫌な声を上げたのはフェリシアだった。
「だーかーらあ、エーミールはお兄ちゃんじゃないって言ってるでしょ?! 私の方が年上なの! エーミールは私より年下なの! なんでわかってくれないかなあ、間違えちゃメッ! でしょ?!」
フェリシアは腹を立てた様子でエーミールの腕を揺さぶりだしたから、エーミールはバランスを崩していた。
「ちょ! フェリシア、何してんの! 今はそれどころじゃ――」
慌てふためくエーミールと空気を読まないフェリシアの姿を、少しの間ルドルフはポカンとなって見ていたが。
――やがて堪えきれず、「ククッ――」と吹き出していた。
「ハッハハハハハ!」
剣を降ろすなり、頭を抱えて大笑いを始めたルドルフの姿に、もめていたエーミールとフェリシアはぴたりと動きを止め、二人揃ってキョトンとした目を向けるようになった。
しばらくルドルフはそうやって笑い続けていたが、やがて笑いが収まる頃には、どうやらすっかり毒気抜かれてしまった様子だった。
「いやはや――まあ――仕方ない」
やがて改めてエーミールに目を向けたルドルフは、既に戦意を喪失している様子だった。
「……そうだよな。姫様がこのような状態では臣民を集めるどころではないし、それにどうやら素直に従ってくれそうな御方ではない事は確かであるようだ」
そう話しながらルドルフは剣を鞘に納めたため、エーミールはホッと胸を撫で下ろすと、ヴィズに手を向けて威嚇行動を止めさせていた。
そんなエーミールにルドルフが提案したのは、これだった。
「ならば俺もお前達を引き剥がそうとは思わんよ。ただし――一緒に来てもらうぞ。アゴナス地方の領主フォーゲルン=モスコフ=アゴナス諸侯の元へ」
「っ――だから僕は、フェリシアを政治の道具として使うような真似はさせないって……!」
咄嗟に睨み付けようとしたエーミールに、「そうカッカするな」とルドルフは笑った。
「お前達としても現状を良しとはしていないんだろう? ならばフォーゲルン諸侯との謁見は良い刺激になると思うんだがな。大体、まだ諦めてはおらんのだろう? ……――フレドリカ様のことを」
ルドルフのその言葉によって、エーミールとフェリシアは互いに顔を見合わせていた。




