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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第一章 無垢な旅人
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16:夜馬車の上

 二日程の道のりの後、エーミール達が到着したのは、シンバリへの道中にある小高い丘の上に建築された宿場だった。

 そこに到着する時には既に日が暮れていたので、その日は宿場で一泊する事になった。


 宿場の一階は大衆食堂になっており、エーミール達はひとまず夕食を取ることにしたのだが、どうやらこの店はやたら繁盛している様子で、人々でごった返していた。

 仕方なく、エーミールとフェリシアの二人は唯一空いていたカウンター席に並んで座ることにした。


「とうとう明日がシンバリ入りだ」


 ウェイトレスから二人分の水を受け取りながら、エーミールがそう言った。


「うん……」


 エーミールの隣で頷くフェリシアの表情は、心ここにあらずといった調子だった。

 いよいよという所まで来たせいで、緊張しているのだろう。


「間に合えば良いんだけど……」


 ボソボソと呟くフェリシアの声を聞いて、「なんだなんだ」と声を掛けてきたのは、エーミールの隣に座っている、二十代後半の見知らぬ男だった。

 鉄の鎧を身に着けて腰に一振りのロングソードを吊っている姿を見るに、傭兵か何かだろう。

 ボサボサのターコイズグリーンの髪をして、頬には古傷があり、威圧感を与えるほどの巨体をした彼は、一見気性が荒そうに見える。しかし、落ち着いた声色を聞く限りそうでもないようだ。


「お前たち、今からシンバリへ向うつもりか?」


 男に聞かれるがまま「はい」とエーミールが頷くと、「止めておけ!」と彼は言った。


「今日の昼だったかな、北東からカルディアを行軍するモレクの軍勢を見たと情報が入ってきている。明日は戦地だぞ」


「えっ……?!」


 驚愕に目を開くエーミールに、「見ろ」と彼が指差したのはごった返している店内である。


「ここにいる連中はみんな、シンバリから逃げ出してきたヤツらばかりだ。そんな中でシンバリへ行こうと考えるのは、酔狂以外の何物でもない」


「そんな……」


 エーミールはフェリシアと目を合わせていた。


「エーミール……」


 フェリシアは青ざめた表情のまま、何か言おうとして口を開こうとした。

 それだけでエーミールは理解して、頷いていた。


「……うん、わかってる。ヴィズには無理を強いてしまうけれど、今は急がなくちゃ……」


 スッと立ち上がった二人の若者の姿は、熟練の傭兵である男にとって明らかに異様だった。


「おい、待て」と、男は咄嗟に二人を引き止めた。


「今から行くつもりか? ……この夜道の中を?!」


「…………」


 無言で頷いた少年の方は、まだ準成人である上にあどけない少女のような顔立ちをしていると言うのに、意志の強い瞳を持っている。

 そんな彼に寄り添うのは、成人なりたてにしか見えない、頼りなさそうな少女一人きり。


「その格好を見るからに田舎から出てきたんだろうが――この辺りは近頃、治安が酷く乱れているんだぞ。そんな中、一人はクロスボウ一本背負ったきり。もう一人は武器も何も無い……そんな状態で真夜中の道を行ってみろ。賊に付け狙ってくださいと言っているようなものだ」


「……でも、行かなくちゃ」

 やっとの思いでエーミールは吐き出していた。


「どうしても……行かなくちゃならないんです」


「ほう……?」

 男は腕組みをして、少年と少女を見比べる。


 二人は何を言っても出発するつもりなのだろう。

 それだけ頑なな何かを持っていることが、男にも伝わってきた。


「何かワケありといった顔をしているな……」


 男の言葉に、エーミールとフェリシアは顔を見合わせた後、黙り込むようになった。


「――お前たち、金は持っているか?」


 ふと、男が言ったのはそれで、二人は揃ってキョトンとしていた。


「な、無いわけではありませんが……」


 エーミールがそう答えると、「よし」と言って男はニヤリと笑った。


「なら、俺がお前たちのボディーガードをしてやろう。ちょうど仕事を探していたところだったんだ。金はきちんと頂くが代わりに、十分に働いてみせると約束しよう」


 男のその提案に、エーミールとフェリシアは目を見開いていた。


「俺はルドルフ=セーデルク。見てのとおり今は流れの傭兵をやっている。よろしく頼むぞ、依頼主マスター


 エーミールからお金を受け取った後、男はそう言って二人に笑いかけた。





 夕食の後、エーミール達はすぐに食堂の外へ出た。

 外は月明かりと宿場の屋外灯に照らされているだけで薄暗かった。

 宿場の隣にある厩舎にヴィズを預けていて、そこでヴィズは長毛馬に混じって与えられた食事を食べていた。


「これがヴィズか? てっきり、長毛馬かと思っていた」


 ルドルフは白毛の北領犬サバーカを一目見るなり、驚いた面持ちを浮かべていた。


「そうか。マスターは灰色の髪をしているから、イド村から来たんだよな。……にしても、北の民というのは本当に犬に乗るんだな」


 関心した声を上げるルドルフに対して、「乗りはしないよ」とエーミールは答えていた。


「そりや荷車を引くことはできるけどね。北領犬は上からの加重には適していない骨格をしているから」


「では、これまでの道中は荷車に乗ってきたということか?」


「そうだね。アゴナス地方のうちは犬ぞりだったけれど、カルディア地方の途中で乗り換えてきたんだ」


「なるほど」と頷いた後、ルドルフはエーミールに別の質問を向けていた。


「もしかして、長毛馬に乗ったことは無いのか?」


「うん」とエーミールは頷いたため、「そうか。だったら――」と、ルドルフは腕組みをしていた。


「マスターに頼みがある。中サイズの馬車を借りてはくれないか? 俺が一頭、長毛馬を持っている。そいつで引っ張ってやれば全員を運ぶことができるだろう。少なくとも、その犬に強行軍を無理強いする必要は無くなるぞ。それに、マスターとお嬢さんにもな」


 ルドルフの提案は、エーミールにとっても渡りに船だったから、「わかったよ」とすぐに頷いていた。





 宿場の厩舎で借りた馬車は箱型をしていて、人二人と北領犬と、それに荷物が乗った小さな荷車を載せるには十分な広さを持っていた。


 月明かりの下でテキパキと荷積みを終わらせ、仕度を終えると、ルドルフが馬車に繋いだ黒毛の長毛馬に跨り、パシンと手綱を打つ。


 パカパカと馬が歩き出し、馬車の車輪がガラガラと音を立てて回りだすようになる。

 馬はやがて早足になり、駆け足と変わり、景色の流れ行く速度が速まって行く。


 といっても、その景色は月明かりだけが頼りで、見晴らしが良いわけではない。

 それでも走り慣れている長毛馬にとって、ここの街道は走りやすいようで、グングンとあっという間に宿場から離れてゆく。


「お前たち、疲れた顔をしているぞ。シンバリに近付いた頃に起こしてやるから、ゆっくりと休んでいろ」


 馬を繰りながら、ルドルフがそう言った。

 そこでエーミールは荷を解いて厚手の毛布を出すと、フェリシアの体に掛けてやった。


「ゆっくり休むと良いよ、フェリシア」


 エーミールに優しく髪を撫でられて、「うん……」と頷きながらフェリシアは、エーミールの肩に身を寄せるようになる。


「……エーミールは?」


 フェリシアがルドルフの方を気にしながら、エーミールに質問を向けてきた。

 彼女はルドルフに対しても、相変わらず人見知りをしているのだ。


「僕も少ししたら休むよ」


 エーミールがそう答えると、フェリシアはこくんと頷いた。


「……ねえ、エーミール。膝枕して」


「うん、良いよ」


「トントンして」


「うん」


 エーミールはフェリシアの体を毛布越しにぽんぽんと叩いていた。

 少女を膝枕している少年の傍らでは、ヴィズが体を丸めて眠っている。


 彼らの姿を横目でちらりと映した後、ルドルフは口をつぐむ。


(こいつらは、一体……それに……)


 その時、寝かしつけを終えたエーミールが、「……あの」とルドルフに話し掛けるようになった。


「本当に良かったの? 僕たちの護衛をしてくれるのはありがたいんだけど……シンバリから逃げ出す人の護衛をするつもりであそこに居たんだよね? 同じ金額で僕たちの護衛をするよりも、逃げ出す人の護衛をした方が、あなたにとって割りに合う仕事だった筈なのに」


「お前」と言ってルドルフは破顔した。


「人一倍幼いように見えて利口なんだな。そっちのお嬢さんも歳の割りに随分と子供っぽく見えるし、イド村の民というのは、みんなそういうものなのか?」


「…………」


 沈黙したエーミールの様子で、気分を害した事に気付いたルドルフは、慌てた様子で笑顔を消していた。


「誤解するなよ。べつに、何か裏があるというわけじゃない。ただ……」


「……ただ?」とエーミールは聞き返す。


「……個人的に思い出す事があったんだ。マスターが連れている、そっちのお嬢さんの方を見て」


「……――フェリシアが?」


「フェリシア……か。こんな偶然もあったものだな。フェリシア=コーネイル=グランシェス姫殿下と同じ名前だ。……まあ、いつの世も王族がご出生なさる時はそれにあやかって名付けをする親は多いからな。他人の空似というのはよくわかっている。しかしどうしてか、思い出してしまうのだよ」


 まるで懐かしむようなルドルフの口振りを聞いて、エーミールはギョッとしていた。


(この人……フェリシアの知り合いなの?)


 そんなエーミールの態度に気付かないまま、ルドルフは話し始める。


「こんななりで信じられない話かもしれんが……――ほんの一ヶ月ほど前まで、俺はエルマー地方で兵士をやっていた。しかし俺の主は国を裏切った……俺はそんな主に失望し、兵士を辞めることに決めた。そして今は見てのとおりの傭兵だ」


「…………」

 沈黙して聞き入るエーミールに、ルドルフは更に話した。


「あれは年の初めの頃の事だ。姫殿下が成人を迎えられるにあたって、シンバリではパレードが行われる。エルマー兵はグランシェス王国の騎士とは違うから、何か任務があったというわけでもないのだが、俺はその時、たまたま私用で首都へ訪れていた。民衆に混ざって遠巻きに見た姫殿下は、それはそれは大層お美しくて、銀河のような長い髪を持っていて……――非の打ち所が無いというのは、ああいう方のために存在する言葉なんだな。あの時ほど後悔したことは無かった。『なんで俺は王国騎士を目指さずに、エルマー兵になったんだろう』とな。とは言え……あっさりと崩御されたようだがな……。いやはやどうしてか、あんなに元気そうにしていらっしゃったのにな……」


 そこまで話した後、ルドルフは「……まあ」と続けた。


「そこのお嬢さんも、俺のようなオヤジに姫殿下と比較されるなんて重荷か。見たところマスターに輪を掛けて幼いようだし……ハハハ、止めだ止めだ。この話は終わりにしておこう」


 そう言って言葉を止めたルドルフの背中を、エーミールはじっと見ていた。


(この人みたいに、散り散りになった兵士の生き残りは他にも居るのかな?)と、エーミールは考えていた。


(今ここで、この人にフェリシアは生きていると打ち明けたら、喜ぶんだろうか……)


 そんな風に考えながら、膝の上で寝息を立てているフェリシアの、無防備な寝顔に目を向ける。


(って……打ち明けられるわけがないよなあ)と思って、エーミールは苦笑をこぼしていた。


 こんなに幼くて頼りないのが今の姫殿下だと知ったら、失望されてしまいかねない。

 どうやら姫殿下とは、“非の打ち所が無い”ような。そんな人格が求められる存在であるようだから。


(……だったら尚更、フェリシアのことは家に連れて帰らなくちゃいけないな)

 そう思うと、エーミールはホッとしてしまった。


 それが本当は良くない事だとはわかっている。

 でも、フェリシアという家族を手放したくないと感じてしまうのは、エーミールだけではない。


(もしかしたら、シンバリの景色を見て本当に思い出してしまうかもしれない。何もかもを取り戻したとき、フェリシアは……僕たちのことを覚えていてくれるんだろうか?)


 エーミールはフェリシアのその珊瑚色の髪をゆっくりと撫でていた。


(覚えていてくれても、忘れてしまっても、どちらでも構わない)


「……キミはもう、お姫様にならなくて良いからね」


 馬上に跨るルドルフには聞こえないように、エーミールはフェリシアだけに、そっと囁きかけていた。

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