14:珊瑚色の髪
まるで雪を漉き込んだかのような白銀色の髪は、キラキラと光を反射して輝いている。
細いうなじを通じて背もたれの外側へと零れ落ちたその髪を見て、少女は息を飲んでいた。
「こ、これって……――」
そんな彼女の様子を鏡越しに見て、フェリシアは身を縮こまらせていた。
(やっぱり、また怒られちゃう……?)と思って怯えていると。
「――すごいじゃない!」
少女は目をキラキラと輝かせながら叫んだため、フェリシアは拍子抜けしていた。
「え、え?」
「これって王族の髪だよね?! キミってお姫様だったの?! あ、ちょっと触らせて貰っていいかな? 私もこの色の髪を扱うのは初めてでさー」
ぺらぺらと喋りながらポケットから櫛を取り出すなり漉き始めた少女を見て、フェリシアはポカンとしていた。
「あ、あの。怒らないの……?」
「え、なんで?」とは、少女の弁である。
「だ、だって。私はグランシェス王族だし、加護が無かったし……この国って危ないんだよね?」
すると少女は、「ああ、大丈夫でしょ」と言ってあっけらかんと笑った。
「ここはカルディア地方といってもアゴナス寄りだし、重要拠点も無いし。噂によるとモレクの王国って、略奪はしない主義らしいじゃない? ……まあ、モレク自体侵略戦争ばっかやってる国だからさ、最初の方は怖かったけど……ゴート地方とかから伝え聞く噂だと、新しい領主様も今のところ悪くないってさ」
「そ、そうなんだ……」
意外と庶民って淡泊なんだなあ、とフェリシアは考える。
そんなフェリシアに対して、「……ま」と少女は話す。
「確かに、怒ってる連中も居るけどさ……。だから、このフードは正解。アタシは最初から加護なんて迷信だって思ってたからどうでも良いけど、そんな人ばっかりじゃないよね、やっぱり」
「…………」
急に真面目な表情になって沈黙する彼女の姿を見て、(何か事情を抱えているのかな?)と髪屋の少女は推測する。
とは言え、客に深入りは厳禁だと考え、「……まあ」と話を切り上げる事にした。
「この髪、ホントに貰っちゃっても良いんだよね? 幾ら必要なの? 四千クルド? ……ああ、それじゃ安すぎるか。四万クルドぐらい要るかな?」
「えっ?」とフェリシアは吃驚していた。外の張り紙で見た値段と随分隔離があったからだ。
そんなフェリシアの態度を見て別の意味として受け取ったか、少女が話す。
「亡命する気なんでしょ? だったら、お金は多いに越した事は無いよ。……まあ、アタシも今のうちに逃げとく事をオススメする。戦争に負けたら……銀髪の方はさすがに、皆殺しにされちゃうだろうしね……。……ま、エルマー地方の領主は、まんまとそこから逃げ延びた気でいるんだろうけど」
「わ、私は……」
フェリシアは震える唇を一生懸命に動かして伝えていた。
「……逃げない」とフェリシアは後ろの少女に告げていた。
鏡越しに真っ直ぐ目を見つめながら、たどたどしい口調で。
「逃げたりなんかしないよ。だって、これからシンバリに行くんだもん。……責任を取るために」
「はっ?!」と少女は目を丸くさせていた。
「せ、責任って、キミ……――」
少女の疑問に答えるようにして、フェリシアは静かに打ち明けていた。
「……フェリシア=コーネイル=グランシェスなの。私は……多分、覚えてないけど……この戦争はきっと、私のせいなの。だから……」
「ふぇっ、ふぇふぇ、フェリシア様ぁ?!」
少女はこれでもかというほどに目を見開いていた。
さすがに目の前の彼女がフェリシアと考えていなかったからだ。
確かに言われてみれば、見た事あるなーという顔をしている。前にシンバリのパレードで見たフェリシア様に似てるな、と考えもした。
でも銀色の髪の方は基本的に血縁者なのだ。どことなく似てても不思議ではないだろう。どこぞの領主かお偉いさんの娘さんだろう。なんて考えていたのだが。
今の少女の声が余りに大きかったため、フェリシアはあわあわとしながら口元に指を立てると、「しーだよ!」と言った。
「わ、わわ、そうだよね」
慌てて少女は両手で口を塞いだ後、まじまじと鏡越しにフェリシアの顔を見つめ、はーと溜息を零していた。
「確かに……フェリシア様だ。わ……こ、これって夢? 病死したってお伺いしていた上に、私、追悼式にも参加したつもりだったんだけど。あ、あれ? まさかあれって記憶違い……?」
「う、ううん……そんな事はないと思う……多分」と、フェリシアは苦笑していた。
「……もしかして、あなたが妙に子供っぽいのも病死と何か関係があるんですか? あっ、病の後遺症とか?」
急に敬語を使い始めた少女に対し、フェリシアは慌てて首を横に振っていた。
「け、敬語なんていらないよ。私自身もしっくり来てないもん、お姫様だなんて……」と断った後、「……そう、病気の後遺症……たぶん」とフェリシアは答えていた。
「多分って……随分と曖昧な事ばかり言うんだね」
目を丸くさせる少女に対し、フェリシアは無防備にも身の上話を聞かせていた。
そんなフェリシアの話を聞きながら、少女は銀色の髪にハサミを入れて行く。
「そう、記憶喪失ねえ……じゃあ、ここまでもその、エーミールって人と一緒に来たの?」
少女の質問に、フェリシアはこくんと頷いていた。
「その人が保護者みたいなものなんでしょ? 良かったの? 無断で髪を切ったりして」
心配する少女に、フェリシアはタジタジと視線を漂わせるようになる。
「それは……その」
「……そうだよね」と、少女はため息をついていた。
王族の女性にとって髪とは美しさの象徴でもあるのだ。幾ら幼児退行と記憶障害を持っているからといって、そんな物をバッサリと切る事に何も思わない筈が無いだろう。
「……よし、わかった」と少女は頷いていた。
「ここはアタシが一肌脱いであげましょう。なんたってあの、フェリシア様だもんね! そのエーミールとかいうこわーい大男には、アタシが一言ビシッと言ってあげる!」
「えっ?!」とフェリシアは目を丸くさせていた。
「あの。エーミールは怖くないし大男でもないんだけど……」
「え? でも、イド村の狩人さんなんでしょ?」
「うん。エーミールはね、優しくて可愛い人なんだ」
にこにこと笑うフェリシアの話を聞いて、「……ん?」と少女は首を傾げていた。『イド村の狩人』というイメージからは随分とかけ離れている気がしてならないからだ。
「イド村の人といったら、灰色の剛毛でいつも毛皮着てて、北領犬と雪熊と一緒に雪の穴倉に住んでるんだよね?」
「……あの。幾ら辺境だからって、イド村にどんなイメージ持ってるの……?」と、フェリシアは思わず聞き返していた。
やがて「――できた」と少女がハサミを置いた時、鏡の前には肩の下までの長さで髪を切り揃えられてしまったフェリシアが居た。
「…………」
思う所が無い筈が無い。
あの、キラキラと銀河の如く流れ落ちる長い髪はもうここには無いのだから。
思わず黙り込んだフェリシアの後ろで、「……さて」と少女が近くの棚から持ってきた物。それは、蓋付きの瓶に入れられた赤く透き通る液体である。
「それは……?」
目をぱちくりとさせるフェリシアの方へ、少女は瓶を傾けていた。
「髪染め液だよ。見たのは初めてかな? まあ、無理も無いか。こういった物は、髪屋しか手に入れる事ができないからね。ホントは染髪で百クルドは取ってるんだけど……――サービスしてあげる。ねえお姫様、髪の毛を染めない?」
少女が尋ねてきたのはそれだった。
「フードで隠すだけじゃ、見るからに危なっかしいし……いつも抑えてるのも大変でしょ? 髪を染めておけばそうする必要も無くなるし、王族だってバレなくなると思うんだよね。どうかな?」
「ん……」
フェリシアは悩んだが、やがてこくんと頷いていた。
「じゃあ、それもお願い」
そう答えたのは、エーミールの心配そうな顔を覚えていたからだ。
少し散歩へ行くと言っただけで、彼は困った顔をしていた。
(髪を染めておけば、エーミールを困らせずに済むかもしれない)とフェリシアはそう考えた。
しばらくして今度こそフェリシアの新しい髪は完成していた。
それは透き通るような淡い珊瑚色をした髪で、見た事も無い色になった自身の髪をフェリシアがまじまじと見ているうち、後ろにやって来た少女がスッと何かを髪に取り付けるのがわかった。
「……はい、これで今度こそ完成」
そう言って少女が手鏡を持ってフェリシアの後ろ姿を映し出す。
そこに映っていたのは、珊瑚色のサラサラとした髪を後ろでハーフアップにしている、白い花飾りとレースがあしらわれた上等そうなバレッタである。
「……わあ」
思わず目をパチクリとさせるフェリシアに、少女はにっこりと微笑む。
「キレイでしょ? 売ってもらった髪の代わり。どうかな?」
「う、うん。ありがと……」
フェリシアははにかむと、ぼそぼそとお礼を言っていた。
そして、(エーミール、これを見たらどんな顔するかな……?)と考えるのだった。
その頃エーミールは、一人部屋でそわそわとクロスボウの手入れを行っていた。
「フェリシア、遅いな……どこまで行ってるんだろう……」
エーミールは気が気でなかったが、かと言って、あまりせっつくような行動をしてフェリシアを悲しませてしまうのも忍びない。
今のところ、外も相変わらず通行人が少なく、騒がしくないようだし……。
(何かあったら騒動になるだろうし……も、もう少し待った方が良いよね……?)
そう考えながらも、暖炉の前の椅子に腰掛けたまま、上の空でクロスボウの手入れを続ける。と、その時である。
ガチャッとドアの開く音がした後、「ただいま……」というフェリシアの声が聞こえた。
そこでエーミールはガバッと振り返っていた。
「遅かったじゃないか。心配したん――」
エーミールは途中で言葉を失くしていた。
代わりに、手から落ちたクロスボウが床の絨毯の上へと落ち、ドサッ、という音を立てる。
「ふぇ、フェリシア……?!」
これでもかと言うほどに目を見開くエーミールの前にもじもじとしながら立っていたのは。
肩の下で切り揃えられた珊瑚色の髪をしたフェリシアだったのだ。




