12:生贄の姫君
「……私はお姫様じゃないんじゃないかな?」
ぽそっとフェリシアは呟いていた。
エーミールは一瞬焦ったが、彼女の声はどうやら周りに届いていなかった様子だから、ホッとしていた。
そんなエーミールの方を振り返ると、フェリシアが怪訝そうな面持ちのまま言うのだ。
「この看板にはフレドリカって書いてあるよ? グランシェス王国のお姫様の名前って、フェリシアじゃないの?」
「フェリシア様ならさ」と答えたのは、周りに居た人だかりの男性のうち一人だった。
フェリシアの姿は、フードを深々と被っている事もあってよく目立っていたから、聞き耳を立てていたのだろう。
「二ヶ月くらい前に病死なさったんだよ。惜しい方を亡くされたとは思うがね、すぐに戦が始まったろ? 今思えば、良かったのかもな。お姫様のさらし首なんて見たくないからね。といっても――新しく養子になられたフレドリカ様は、フェリシア様より更に六歳も幼いというじゃないか。そっちのさらし首を見る方が、なんていうか、胸にきそうだよな……」
「さらし首って……グランシェス王国が負けると思ってるの?」
思わずエーミールはたずねていた。
すると彼らはばつが悪そうに顔を見合わせるようになったのだ。
「逆にさ、どうやったら勝てると思えるんだよ? ゴートは陥落。エルマーは裏切ったんだぜ? 特にエルマーに至っては、領主は同じ銀髪の血族だったのにさ。残すはカルディア地方のみ……陛下は大慌てでこんなお触れを出して兵士を募ってるみたいだけどさ。どれだけの事ができるかな……」
「そーそー! 俺の兄貴も行ったけどさ。家族は生きた心地がしないよ……結局さ、王族ってのは、俺ら庶民をいざと言うときの駒ってぐらいにしか見てないんだぜ」
そうこう話す彼らを見て、エーミールとフェリシアは顔を見合わせていた。
「じゃあ、今はフレドリカという人がお姫様なの?」
フェリシアが尋ねた相手はエーミールだったが、それに対しても答えたのは周りの男達だった。
「そうだよ。聞くところによると、フレドリカ様のお家柄は元々、銀髪の血族の中でも下の方だったそうだがね。どうしてもフェリシア様の代わりが必要だったようだからね」
「そうそう。今の陛下はフェリシア様が唯一の跡取りだったろ? 跡継ぎの不在はやっぱ、王家にとっては致命傷だわな」
「それに、モレク王国の王子様との結婚も控えていたそうだし――最も、今はその王子様が敵っていうが……まったく、我らの亡き姫様は一体何をしでかしてくれたんだかね?」
「まあ、それだって戦火がこっちまで来ない以上は笑い話なんだけどさ」
そう言って彼らは笑うから、フェリシアは戸惑っていた。
「どうして? どうして笑えるの?」
ぎゅっとエーミールの手を握り締めながら、フェリシアは思わず彼らに質問していた。
すると彼らは驚いた様子で目を丸くした後、また笑い声を上げるのだ。
「姉ちゃん、性格良いんだね」
「フレドリカ様といったら、悪女だって有名じゃないか」
「そーそー! そりゃ、小さいお姫様も災難だったなって思うところはあるよ。でも、女はフレドリカ様が嫌いな人のほうが多いだろ。だから、今の状況を見て清々したって言ってる人の方が多いんじゃないか? まったく、女の嫉妬ってのは怖いよなあ」
「……どうして?」と、またフェリシアは尋ねていた。
「そりゃあ、いわゆるシンデレラストーリーってやつだよ。なーんの努力もせずに、家柄もたいしたことが無いくせに、ある日突然幸運が舞い降りてくる。同姓から見れば、これほど胸の悪くなる話は無いよなあ」
「まあ、わからない事も無いけどさあ。でもやっぱ、女は顔だろ顔」
「あと、乳か。その点、銀髪の方は最高よなあ。銀髪にハズレ無しって昔から言うだろ。……あ、やっぱ俺もシンバリに行こうかなあ」
「やめとけって! お前みたいなヒョロガリ、行ったところで出涸らしにしかなんねーって!」
それからまた笑い声を上げる彼らは、フェリシアの顔色が青ざめている事に気付かなかった。
それに気付いたのは、エーミールただ一人だったのだ。握られていた彼女の手は震えていたから。
「……大丈夫?」
戸惑うエーミールに頷いた後、「行こう」とフェリシアは促していた。
だだっ広いカルカロスの町の中、巡回兵に道を聞きながら、ようやく宿を見つけた頃には夕方が迫っていた。
エーミールはヴィズを納屋に預けた後、二人用の部屋を取って、フェリシアと一緒に部屋へ行った。
そこは一人用のベッドが二台並んでいるこじんまりとした石造りの部屋で、傍らの小さな暖炉には既に火がたかれており、テーブルの上にルームサービスのパンとチーズと瓶入りの水が置かれていた。
エーミールはヴィズのそりから降ろして持ってきた荷袋と背中に背負っていたクロスボウと矢筒を床に置いた後、未だに顔色の悪そうなフェリシアのフードを肩へ降ろし、「大丈夫?」と声を掛けていた。
するとフェリシアは頷こうとしたものの、すぐに首を横に振ると、くしゃりと顔を歪めていた。
「エーミール、どうしよう。私、大変なことをしちゃってるんだと思う……」
フェリシアが言ったのはそれだった。
きっと、さっき聞いたフレドリカに関する話のことなのだろうと、エーミールはすぐに気付いていた。
「……気にすることなんて無いよ。フレドリカ様……だっけ。新しいお姫様をお姫様にしたのは王様だし、フェリシアを病死ってことにしたのも王様じゃないか」
「そうだけど。でも、そうじゃないの。だって、その種を蒔いたのはきっと、私なんだよね……?」
フェリシアの青い瞳が、じっとエーミールのことを映す。
それはすがるような眼差しで、それはエーミールにしか向けられないものだった。
「……どうなんだろう。僕にもわからない」
エーミールは肩を落としていた。
今のフェリシアが自分に頼りたがっているのはわかっている。
でも結局、エーミールは辺境の村から出てきた一人の若者にしか過ぎないわけで。
そんな世間知らずが、彼女の悩みに答えられるだけの力も知恵も持っているわけがないのだ。
それに気付いた時、エーミールは肩を落とすしかなくなっていた。
何故ならエーミールは、フェリシアの悩みを解き解すだけの答えを持っていない。
エーミールが何の答えも返してくれない事を理解した時、フェリシアは小さく頷いていた。
「私……悪い子だよね。フレドリカ様に何もかも押し付けていると知らずに、ずっとイド村に居られれば良いなって思ってたの。それでね、エーミールのお嫁さんになったら、ずっとイド村に居られるのかなって思ってもいたんだけど……」
突然のお嫁さん宣言に、エーミールは「えっ?!」と思わず聞き返していた。
エーミールと目が合ったとき、フェリシアははにかんだように微笑んだ。
「だってイド村って、跡継ぎが居ないんでしょ? 私がエーミールのお嫁さんになったら、イド村が無くならなくて済むし……私もイド村に居られるし、良いアイデアでしょ? でも、グランシェス王国の方も跡継ぎが居るんだね。どっちの跡継ぎの方が大事なのかな……」
フェリシアはあごに指を当てると、うーんと考え込んだ様子だったから、エーミールは苦笑していた。
彼女の口が発するお嫁さんという言葉には、大した意味が無いのだろう。
(ビックリするだけ無駄なリアクションだったなあ)なんて思って、エーミールは一瞬たりともドキリとしてしまった自分を恥じていた。
「でもさ、それならさ、益々甘えてちゃダメだよね……」
そんな風にフェリシアが言った時、彼女は決意に満ちた面持ちを浮かべていた。
「フレドリカ様に押し付けたまんまじゃいけないよ。だってそれじゃあ、可哀想だよ。私ね、王様のところに行くことにする。王様のところに行って、『私は生きています』って伝えれば良いかな。それからね、エーミールにはお願いしたいことがあるの」
フェリシアがたどたどしく話した内容を聞いて、エーミールは驚愕を禁じえなかった。
何故なら彼女は話すのだ。感情を押し殺したような表情を浮かべながら。
「きっと私たちが着く頃って、グランシェス王国は危ない状況だよね? だからエーミールはすぐにフレドリカ様を連れてイド村へ引き返してほしいの。私はお城に残って、本当のお姫様ですって言う。……私の首があれば、敵さんも納得してくれるよね?」
そう話しながら、フェリシアは自身の首筋に手を触れていた。
「でもそうなると、私はイド村に帰れないから、お母さんとお父さんには悪いことしちゃうなあ。……でも、大丈夫だよ。フレドリカ様がいるんだもん。きっとエーミールと一緒なら、フレドリカ様だって幸せになれるよ」
フェリシアはそう言って微笑んだが、泣きたいのを堪えているのは一目瞭然だった。
そんな言葉を、五歳相当の知性で話すのだ。
「あのさ、フェリシア」
エーミールは込み上げてくるものを堪えられずに、フェリシアをぎゅっと抱きしめていた。
「馬鹿だよ、キミは。……甘えなよ。もっと甘えて良いんだよ? だって、僕の妹じゃないか。僕の妹はフェリシア以外には居ないんだよ?」
「あ、あの……? 私、エーミールより年上なんだけど?」
フェリシアはムッとした表情になったから、エーミールは思わず笑っていた。
そんな所を気にするんだなあ、なんて思ったせいだ。本人に妹の自覚が無いところが笑えてしまう。
「はいはい、そうだね。フェリシアの方がお姉さんだね」
エーミールのその話しぶりに、馬鹿にしたニュアンスが含まれていると感付いて、フェリシアは余計にふて腐れていた。
そんなフェリシアを固く抱きしめながら、エーミールは半ば叱るような口調になって、話していた。
「あのさ。さらし首になるって聞いて、わかった。なんて言えると思う? 言えるわけがないよね? わからないかな?」
「それは……」
言いよどむフェリシアに、「僕は」とエーミールは続けていた。
「絶対にフェリシアを置いては行かないよ。あのさ、聞いてフェリシア。フェリシアの代わりは居ないんだよ。僕にとっても、父さんにとっても、母さんにとっても。フェリシアはフェリシアなんだ。フレドリカ様を連れてきて、フェリシアが居なくても、ああ良かった。なんて思えるわけがないよね?」
「エーミール、でも――」
言いかけたフェリシアの言葉を遮って、エーミールは話していた。
「さらし首になることがわかっていて、置いて帰れるわけがないだろ。キミが幸せになれるなら話は別だよ。でもそうじゃないなら、置いて帰るわけがないだろ! そんなの、僕だけじゃないよ。父さんや母さんや、イド村のみんなが納得しないよ!」
「…………っ」
フェリシアは言葉を詰まらせていた。
エーミールがこれほどまでに有無を言わさない口調で話すのを聞くのは初めてだったせいだ。
「嫌だって言われたって、絶対に許さないからね! 僕は必ずキミをイド村へ連れて帰る。わかったね、フェリシア?」
ジッとエーミールのキャラメル色の瞳がフェリシアを見据える。
エーミールはフェリシアが頷くまで解放しないつもりだったが、すぐにフェリシアが呆けた表情でこくこくと頷いたため、手の力を緩めていた。
「必ず――一緒に帰るんだよ」
そう言ってエーミールは、フェリシアの小指に自分の小指を絡めていた。




