10:過去への叱責
ダヴィード達曰く、今、グランシェス王国はモレク王国から侵攻を受けているらしい。
グランシェス王国にとって外国への玄関口でもあるゴート地方は陥落。それを見たエルマー地方は敵陣へさっさと寝返ってしまったそうだ。
無理も無い。グランシェス王国はこれまで、女神様の加護があるから安全だといって軍事面をおろそかにし続けてきた国である。
彼らには、自分の足で立ち向かうという精神論などが築かれていないのだろう。
「結局、あると言われていた加護も無かった。女神の加護とか、イスティリアの子とか……そういった伝説は所詮、まやかしだったという事だ」
ため息をつくダヴィードの姿に、「そんな……」とエーミールは閉口し、フェリシアの方へ目を向けていた。
「今のところ、奥まった場所にあるここアゴナス地方は立地のお陰で侵略を受けていないが、どうなることか……。せめて俺の試験が無事に終わるまで、何事も無けりゃ良いんだけどな」
そう語るシグムンドの言葉を聞いて、エーミールは黙り込んでしまった。
そうして考え込んでいた。
(じゃあ、今からシンバリへ行けば戦争中だってこと? どうしよう。これじゃあのん気にフェリシアの記憶探しなんてやってられそうにないな……)
と、その時である。
「……行かなくちゃ」
ポソッと呟いたのはフェリシアだった。
フェリシアは顔を上げると、エーミールの目をジッと見つめて言った。
「行かなくちゃ、首都のシンバリに」
「「えっ……?!」」
驚きの声を上げたのはエーミールだけではない。ダヴィードやシグムンドも同様だった。
「お、おいおい……正気か?! 今の俺たちの話を聞いてなかったのか? あっちの方は危険だぞ?」
そう言ったのはシグムンドである。
しかしフェリシアはシグムンドの方へは目もくれず、エーミールに訴えるかのようにして言った。
「だってシンバリにはグランシェス城があるんでしょ? だったら行かなくちゃ。私に関係があるかもしれないのに、何もせずに居るなんて、そんなのしちゃいけない事なんだよ! 多分……いけない事なの。そんな気がするの……」
フェリシアは青ざめた表情をしていたから、エーミールは一瞬彼女の記憶が戻ったのかと思った。しかしそうではなかったようで、彼女は俯くようになる。
「だって、私のせいなんだよね? 私が病死ってことになってる事と多分、関係があるんだよね……? 記憶を失う前の私が原因なのだとしたら……責任は果たさなければ」
「は……?」
「責任だって?」
怪訝そうな表情を浮かべる親子を見て、エーミールは慌てていた。
「な、なんでもないんだ! ちょっとした言い間違いだよねっ、ねっ?!」
エーミールに迫られ、フェリシアは目を丸くさせていた。
そんなフェリシアの手を引っ張ると、エーミールは慌てて逃げるかのようにして、出入り口のドアへと歩いて行こうとする。
「あ、ありがとう! それじゃ、僕たちはそろそろ――」
「おい、待て!」
そう言って引き留めたのはダヴィードだった。
「……エーミール。お前、追われてるんだろ? ほとぼり冷めるまでここに居ろ、あえて事情は聞かないでおいてやる」
「伯父さん……」
目をパチクリとさせるエーミールをよそに、「おい」とダヴィードは傍らの息子に声を掛けていた。
「シグムンド、お前エーミールの犬を回収してこい。連れて来てるんだろ? さっき、そり跡がどうたらと聞こえたな。囮にして逃げてんだろ」
「は?! 無茶振りじゃねぇか! 北領犬は他人の命令にゃ従わないんだぞ」
ギョッとした顔をしたシグムンドに、「お前来週試験だろが。勉強代わりと思って行ってこい」と、ダヴィードは手を振っていた。
「む……」
勉強替わりと言われるとシグムンドは引っ込みがつかなくなってしまった。
「……しゃーねぇ。訓練士たるもの、初見の北領犬一匹手懐けられないとプロとは言えねぇか。……まあ、一つ貸しだぜ、エーミール」
シグムンドはエーミールの肩をポンと叩くと、一人で酒場を出て行った。
残されたエーミールは、ダヴィードの方を振り返っていた。
「その、……伯父さん。なんて言ったらいいのか……――ありがとう」
真面目な表情をしてそう伝えるエーミールは、何か覚悟を決めたような面持ちを浮かべているのだ。
ダヴィードはそれにくすぐったさを感じて、鼻面を擦っていた。
「……水臭いこと言うなよ。第二の家族みたいなもんだろ?」
「う、うん……」
エーミールは隣に居るフード姿の少女の方へ、まるで後ろめたさを隠すかのように視線を向ける。
一向にフードを取ろうとしない、臆病な少女の姿にダヴィードは言いたい事は色々とあったものの……――。
「……とりあえず」と、伝えていた。
「腹減ったろ。昼飯ぐらい食わせてやるから、少しゆっくりして行け。食べてるうちに、今頃お前を探している連中も飽きるだろ?」
「うん……ありがとう」
そう言ってエーミールはやっと笑顔を見せていた。
食事を終える頃になって、シグムンドが帰ってきた。
「待たせたな。お前の犬、立派に育ってるじゃねぇか。ま、俺の手に掛かればイチコロだったけどな」
そう言ってグッと親指を立てるシグムンドの身には何があったのか、頭はボサボサ、服はボロボロになっていた。ついでに頬に無数の肉球の跡が付いている。
「ご、ごめん兄ちゃん。大丈夫だった?」
慌てて駆け寄るエーミールに、「心配するなよ」とシグムンドは笑う。
「ちゃんと店の裏まで連れてってやったよ。まあ一つ忠告してやるとするなら――……あいつは口が肥えすぎだ」
シグムンドは真顔になって、ずいとエーミールに顔を近付けていた。
「なんだよあの犬、北領兎干しじゃ満足できないって? 北領鹿の燻製肉をやるまで俺に肉球のスタンプを押しまくりやがって……俺は決めたね。訓練士の免許を取った後は、白い北領犬にだけは絶対に優しくしてやらねぇ!」
それからシグムンドは「俺は勉強の続きに戻るから、絶対に声掛けるなよ!」と、不機嫌な態度で奥のドアの先へ消えて行ってしまった。
「あ、はは……」
エーミールは苦笑して見送りながら、(それ……若干フェリシアのせいかも)と考えていた。何しろフェリシアが一度、ご褒美でも何でもないのに北領鹿の燻製肉をあげた事があるから。それで味を占めてしまっているのかもしれない。
何はともあれ――。
「ありがとう」とエーミールはダヴィードに伝えていた。
「お昼ご飯、美味しかったよ。僕たちはそろそろ行くね。グランシェス王国が戦争してるっていうなら、急がなくちゃ……」
エーミールの言葉に応じるようにして、椅子に座っていたフェリシアが立ち上がって彼の方へ歩み寄るようになった。
「……行くのか?」
ダヴィードの質問に、エーミールは無言で頷いていた。
「その用事ってのは、急ぎなのか? 戦争が終わってからでも遅くはないんじゃないか?」
ダヴィードの疑問に対して、エーミールはチラッとフェリシアの方を見たが、すぐにダヴィードへ視線を戻すと答えていた。
「……終わってからじゃ、遅いんだ。僕は……――」
(フェリシアの記憶を取り戻す事ができれば、彼女をどうすれば良いか、彼女はどうしたいかがハッキリすると思った。でも、だからこそ……)
「……彼女が行きたいっていうなら、連れて行くよ。きっと彼女は彼女なりに何かを感じて、思う所があって、それで急いているんだと思うんだ。それなら僕はそれを尊重する必要がある」
(……何故ならフェリシアはお姫様だから)と、エーミールは考える。
(きっとフェリシアには、僕には思いも寄らないような何かを持っているんだ)
それにこうやって、フェリシアの切羽詰まった声を聞くのは初めてだった。
たった五歳ぽっちの知能しか持たない彼女が、こうまでも思い詰めた様子を見せる。
そんな彼女を見るとエーミールはどうしたって、なんとかしてやりたいと考えてしまうのだ。
「お前……」
眉間に皺を寄せるダヴィードに、エーミールは笑顔を向けていた。
「大丈夫、危険なことはしないよ。一応、まだカルディア地方は交戦が始まってるわけじゃないんだろ? 間に合えばそれで良いし、もし戦火の只中だったら近付かないようにする。そうしたら安全だろ?」
「まあ、それはそうかもしれんが」
「心配しなくて平気だよ」
エーミールはそう言うと、改めてフェリシアと手を繋いでいた。
「じゃあ、僕は行くよ。改めて、ありがとう、伯父さん。兄ちゃんにもよろしく言っといてよ」
それだけ言い残すと、エーミールは謎の少女を連れて出て行ってしまったのだ。
(いや……謎なんかじゃねぇ)
ダヴィードはそう考えていた。
(あの子は……――否。あの方は多分……――)
「……フェリシア=コーネイル=グランシェス様……多分、そういう事だよな……。何故生きているんだ? エーミール、とんでもない事に巻き込まれてるんじゃねぇのか……?」
ボソボソとダヴィードは呟いていた。




