8:旅立ちの日
翌朝、朝食の席でフェリシアはシンバリへ向かうという旨をエーミールから聞いた。
「長旅になるけど大丈夫?」
エーミールの質問に対し、フェリシアは大はしゃぎしていた。
「わーい、旅行だ旅行だ! エーミールと一緒なんでしょ? 嬉しいな」
にこにこと無邪気に笑うフェリシアは相変わらず状況を把握できていないのだろう。
エーミールとエーミールの両親は互いに顔を見合わせ苦笑していた。
「エーミール。お姫様のこと、くれぐれも頼んだぞ」
父にそう言われ、「もちろん」とエーミールは頷いていた。
朝食が済み次第、出発となる。
一足先にエーミールが外に出てヴィズに繋いだそりに荷積みを行う傍ら、台所にて二人分の水筒に母が作りたてのスープを注いでいる。
そんな母の傍らでフェリシアが機嫌良さそうに、「私ね、これ好きだから、いーっぱい入れてね」と無邪気に話している。
そんなフェリシアを見ていると母はどうしても胸がギュッと苦しくなってしまう。
(もし記憶を取り戻せば、お姫様はもしかすると、一生ここには戻ってきてくれないかもしれない。私のことをお母さんと二度と呼んでくれないかもしれない……)
それを考えると居てもたってもいられなくなって、母はつい、フェリシアの事をギュッと抱きしめていた。
するとフェリシアはまるで事情がわかっていない様子で、にこにことしたまま首を傾げるのだ。
「どうしたの、お母さん?」
不思議そうな表情を浮かべるフェリシアに、「いえ……なんでもないわよ」と笑みを作ると、母はフェリシアから離れていた。
(不安がらせるような事をしてはいけないわ)
そう思って、感情をぐっと押し殺すと水筒の蓋を閉めた後、フェリシアに持たせていた。
「はい、これ。一つはエーミールに渡してね」
「うん!」
「あと、それから……」
母はコート掛けの方へ歩いて行ったかと思うと、フェリシア用のコートと一緒に、掛かっていた見慣れないフード付きのケープを手に取っていた。それは母が昨夜徹夜して拵えたものである。
フェリシアにコートを着させた後、新しいケープも、母はフェリシアにそっと羽織らせていた。
「これ、昨夜頑張って作ったのよ。外へ出る時は常にこのフードを深く被って、顔や髪の毛をちゃんと隠しておくこと。わかった?」
母はそう言いながらフードをフェリシアの頭に深く被せてきたので、フェリシアはキョトンとしていた。
「どうして?」
「お姫様は……――いえ。フェリシア=コーネイル=グランシェス様は、お姫様の中でも特別なのよ。ここみたいな辺境ならまだしも、シンバリのパレードを過去に見たことがある人なら、誰でも顔を知っているような御方なのよ。そんな方が、病死している筈なのに町中を歩いていたらビックリされてしまいかねないでしょ? だから念のために、信用できると思った人にしか顔を見せてはいけないわ。わかるわよね?」
「フェリシア=コーネイル=グランシェス……」
フェリシアは自身の口の中で、相変わらず耳慣れない自身の名前を呟いていた。
(私ってホントにお姫様なのかな? それが本当だとしたら、どんなお姫様だったんだろう……)
ふと、そんな風に考えていた。
そんなフェリシアの背を押すと、「――さて」と母は笑顔を作っていた。
「エーミールが待っているわ。行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます、お母さん」
フェリシアはニコニコと笑うと、家を出て行った。
パタンと閉ざされた玄関ドアを見て、母は「行ってきます……か」と呟いていた。
(おかえりって、言えたら良いわね……)
そんな風に考える。
玄関ドアを出てすぐの場所でエーミールは、真っ白い北領犬のヴィズに大きな荷袋が乗ったそりを繋いでいた。
そんな彼の背中に、「見てみて!」と声を掛けたのはフェリシアである。
「これ、お母さんに貰ったんだよ。新しいケープだって」
にこにこと嬉しそうに笑うフェリシアの方をエーミールは振り返っていた。
母の作ったそれは、他に身に着けているコート等と変わらない無染色の物であるが、丁寧に裁縫されている事がよくわかる。
少しでも可愛くするためか、雪の結晶の形をした刺繍がフードに縫い込まれているのを見て、エーミールは笑みを零していた。
「うん、似合ってるよ」
そう言って笑うエーミールを見て、「あっ」とフェリシアが声を零す。
「それ、知ってる! クロスボウっていうんだよね。倉庫で見たことあるよ」
フェリシアが指摘するのはエーミールが背負っているクロスボウと矢筒だった。他にもエーミールは、いつも持ち歩いている大きなカバンとダガーをベルトに取り付けていた。完全に狩りに行く時と同じ格好である。
三年前はろくに当てられた試しが無かったクロスボウであるが、近年はようやく動きが鈍い北領兎ぐらいなら狩れるようになっているのだ。それに持っているだけでも防犯対策にも役立つはずだ。
そのためエーミールはクロスボウを持って行くことにしたのだ。
エーミールはフェリシアから水筒を受け取った後、「さあ」と彼女に声を掛けていた。
「そろそろ出発しよう」とエーミールに言われ、「うん!」とフェリシアは頷いていた。
「フェリシアが先に乗って。キミはまだ慣れてないし、僕が後ろに乗った方が良いだろ?」
「やった!」と言ってフェリシアは嬉しそうにそりの前の方に足を掛けて立つようになったから、エーミールは彼女の後ろに立っていた。
「ヴィズ、ゴー!」と声を掛けてそりを走らせながら、エーミールはフェリシアに聞いていた。
「フェリシアはそりの前に乗るのが好きなの?」
「うん。だって、景色がまっすぐ見れるもん。エーミールの後ろだと、見えないでしょ?」
「……そうだね」とエーミールは目を細めていた。
(確かにフェリシアは僕よりも小さいもんなあ)なんて思いながら。
三年前の彼女は、同じくらいの背丈だったはずなのに。
身長に対する印象だけでなく、性格まで小さく幼くなってしまった今の彼女をそのままにしておいて良いわけが無いのだ。
(だから僕がしっかりしないと)
エーミールはそう考えた後、ふと気付いたため、風に煽られることによってずれかけていたフェリシアのフードを被せなおしていた。
するとフェリシアが「えへへ」と笑う。
「旅行に行くんだよね、エーミール?」
「うん、そうだよ。首都へ行った後は少し観光して、それから一緒に帰ってこようね」
エーミールはそう答えながら、同時に思う。
(……一緒に帰るってフェリシア、言ってくれたら良いな……)と。
銀世界の中をすべるように走る犬ぞりの上、今日も空は青く澄み渡っており、雪の高さはリュミネス山にとって、珍しいほどにかさが低くなっていた。




