4:回復の日々
日を追う毎にフェリシアの体調は徐々に回復して行った。
一週間が経つ頃には、家の中だけだが自分で歩くことができるようになっていた。
とはいえ一点だけエーミールには気になることがあった。
それは日々、彼女の取り戻される健康と比例するかの如く増していく“それ”。
「エーミール、あーんして」
今日も朝の食卓の席で椅子をすぐ横に置くなりフェリシアはニコニコと体を寄せてくるため、エーミールは困り果てていた。
そう――フェリシアは恐ろしく甘えん坊だったのだ。
「もう自分で食べられるだろ?」
「食べられないよお。あーんしてくれないと食べられない!」
無邪気な笑顔と共に口を開くフェリシアの姿は、まるで親の給仕を待つひな鳥である。
「困ったわねえ」と言ったのはエーミールの母である。
「そろそろエーミール離れしてくれないと。もう随分と元気になったんだから、いつまでもお姫様の相手ばかりしていずにエーミールにも狩りに出てもらわないと……家計が……」
後半、本音が漏れ出している。
しかしフェリシアの返答はというと。
「いーや!」だった。
「まだ何もできないもん……。エーミールが居ないと嫌だもん」
フェリシアは終始こんな調子で、ほとんど一日中エーミールにベッタリくっ付いているのだ。
「ははは。まるでコーダが仔犬を産んだばかりの頃みたいだな」と、のん気に笑っているのは母の隣の席に腰掛けているエーミール父である。
尚、コーダとは父が飼っている北領犬であり、ヴィズの母犬の事である。
「お父さん、のん気に笑っていても良いわけ? 一番実害を被るのはお父さんなのよ。なにしろお姫様が自立してくれない限り、エーミールは狩猟に参加できないという事なんだから」
母の指摘によって、ようやく父は気付いたらしい。
「そ、それは困る! 仕方がない……こうなれば、お姫様にも立派な狩人になってもらうしか……!」
「えっ、狩人?」
目を輝かせるフェリシアは案外乗り気に見えたため、慌てて母は首を横に振っていた。
「おやめなさいよ。そんな事をしてまかり間違ってでも、筋骨隆々になったお姫様が毛皮なんか羽織って山から降りて行く野性的な姿を王国の関係者に見られでもしてみなさいよ」
「……間違いない。『白銀の美姫』の景観を損ねた重罪人として、俺たちは打ち首になってしまう……」
「ええ、そうよ……」
父と母は揃って深刻そうな表情を浮かべて頷き合っていた。
「ねえエーミール、狩り行ってみたいなあ」
フェリシアがくいくいとエーミールの服の袖を引っ張ってきたため、エーミールは「あはは……」と苦笑いしていた。
(僕も筋骨隆々のフェリシアは嫌だな……)と思ったせいである。
「狩りは危ないから良くないけど、散歩ぐらいならそろそろ良いんじゃないかな」
エーミールの提案に、「そうね、それは良いわ」と乗ってきたのは母だった。
「リハビリにちょうど良いかもしれないわね。二人とも、スープを水筒に用意してあげるから、散歩に行ってきなさい」
母の提案に、エーミールは「そうだね」と答え、フェリシアの方も散歩だけで十分嬉しかったのか、「うん!」と元気良く頷いていた。
一家揃った朝食を終えて父が狩猟に出かける頃、母は火に掛けた鍋から湯気と甘い匂い
が立ち込めるスープを、匙を使って次々と水筒に注ぎ込んで行った。
コポコポと音を立ててラズベリーのスープが一つ一つの水筒に注がれた後、キュッとコップ状の蓋を閉めて行く。
「はいこれ、お父さんの分」
「ああ、ありがとう。それじゃあ行ってくるよ」
父は水筒を受け取ると、すぐに家を出て行った。
それを見送ってから母は、エーミールとフェリシアにもそれぞれ水筒を持たせていた。
「村の中とは言え、外は冷えるからね。寒かったらこれを飲んで温まるのよ」
「うん」と頷くエーミールの隣で、「ありがとうお母さん」とフェリシアがにこにこと笑う。最近では慣れてきてくれたのか、フェリシアはエーミール以外にも笑顔を向けるようになってくれているのだ。
「ええ、行ってらっしゃい」
二人の子供を見送りながら、母は表情を緩ませていた。
(本当……お姫様が本当の娘なら良かったのに)と、母はふと考えるのだった。
コートを着込んだ後、エーミールがフェリシアと一緒に家の外に出ると、ワンワンと鳴きながら二匹の北領犬が駆け寄ってきた。
その腰よりも高いであろう大きな体と長い毛並みの犬を見て、フェリシアはビクッとなるとエーミールにギュッとしがみ付くようになった。
「あ、そっか。フェリシアは見るのが初めてだったよね」
エーミールは安心させるためにフェリシアの頭を撫でた後、二人の前で立ち止まった北領犬達を整列させて紹介していた。
「この子たちはうちで飼ってるんだよ。コーダっていう母犬が三年近く前に産んだんだ。と言っても――コーダは父さんと一緒に狩猟に行ってる筈だけど。こっちの灰色のがティーンで、この白毛がヴィズっていって、僕用の犬なんだ。元々は他にも六匹も仔犬が居たんだけど、そっちは父さん、町の方の狩人さんに譲っちゃったんだ。北領犬は狩人にとって重宝する相棒だからね、誰かの犬が子供を産んだら、まだ犬を持っていない狩人に譲るのが慣習になってるんだって」
エーミールの説明を聞いて、「そ、そうなんだ……」と答えるフェリシアはいまだに恐る恐るといった態度である。
「触ってみる?」とエーミールが聞くと、フェリシアはビクッとした後、大きく首を横に振っていた。
「い、いい」
そう答えるフェリシアはすっかり北領犬の見た目に気押されている様子だ。
(可愛いんだけどな)とは思ったものの、確かに初めて見ると怖いかもしれない。
何しろ北領犬は、銀狼と同じかそれ以上に巨大な体を持っている程である。
「少しずつ慣れれば良いよ。後で遊ぼうね」
そう言ってエーミールは二匹の北領犬の頭をそれぞれ撫でてから、あちらへ行くように指示を出す。庭の方へ走り去る犬を見送って、フェリシアはホッと胸を撫で下ろしていた。
「じゃ、行こうか」
エーミールに促され、フェリシアは気を取り直すと「うん!」と頷くのだった。




