2:幼児退行
フェリシアが目覚めた日の朝のうちに、エーミールの家に村中の人々が集まるようになっていた。
村中、といっても、ここイド村の住民の数はたかが知れている。
エーミールとエーミールの両親を除いては、村長、隣家の老婆エドラに、既に杖が必要になっている老爺のスノーフという三人しか住人が居ないのだ。
よって、それらの人数が一堂に会してフェリシアの居る部屋に集まっているものの、部屋は十分なスペースがあり、圧迫感も無い。
しかしフェリシアにとってはそれだけの人数でも十分に威圧感を覚えるようだ。
イド村の面々が、ベッドの上でクッションを背もたれにして座っているフェリシアを目の前にしながら、腕組みををしてうーむと呻っている姿がどうにも怖かったようで、フェリシアは涙目になると、まるで助けを求めるかのようにして、エーミールの方へ手を差し出してくる。
「うー……」
消え入りそうな声で、言葉にならない言葉しか出せないのは、幼児退行のせいというよりも喉が腫れているせいだ。
しかしそれだけでもエーミールは気付いた様子で、「どうしたの?」とフェリシアの方へ歩み寄っていた。
するとフェリシアはエーミールの手を引っ張ると、ぎゅっと抱きついてきたから、エーミールは赤面していた。
「お、お姫様……だからそれは困るって言ったよね……?!」
動揺するエーミールをよそに、周りからは「おお……」というどよめきの声が上がる。
「確かに幼児退行していらっしゃるようだな……」
「どうしたものか、この状況は……」
どうやら村人たちはフェリシアとエーミールを目の前に相談を始めた様子だ。
「町の専門家に見せに行った方が良いんじゃないか……?」
そう切り出したのは村長だった。
「しかし、お医者が居る場所まで行くには時間が掛かりますよ。ここから一番近い場所であっても、アゴナス地方の南側にあるカルカロスの方まで出ねばなりません。大体、生温い環境に住んでいるお医者なんて信用ならない。雪の病に関しては、私たちの方がずっと詳しいぐらいですよ」
そんな風に意見したのは、エドラお婆さんだった。
「そもそも、目覚めただけでも十分に奇跡なのよ。今の状況が一過性のものなのか、ずっと続くものなのか、それはわからないけれど……でも、これ以上の事を望むなんて贅沢だわ」
そう話したのはエーミールの母だった。
「そうだなあ。カルカロスへ連れて行くにしても、現状じゃあ、お姫様の体力も持たないだろうしな。第一、まだろくに歩けないで、この山を降りられるかどうかすらも怪しい位だ」
そう言って呻ったのはエーミールの父だった。
その後一斉にうーむと呻る村人たちの姿に、フェリシアはビクッとなって、いっそうエーミールにギュッとしがみ付いてくるようになる。
(だから、胸、胸……! 胸が当たってるってば!)
エーミールは内心で焦るが、今の彼女はそんな事を意識するほどの精神年齢は持ち合わせていないだろうから、口に出すことはできなかった。
やがて大人たちが出した結論はこれだった。
「やはりもうしばらくは、ステンダールさんの家でお姫様の容態を見てもらった方が……」
「そうですねえ。若い女手があるのはステンダールさん所だけだものねえ」
「いや、それだけじゃあるまい。お姫様は――」
大人たちが一斉に視線を注いだ先はエーミールだった。
「……何故かエーミールをやたらとお気に召されている様子だからな」と、彼らは言った後、溜息をつくのだった。
「良いかエーミール? この方は大切な御身なんだ。くれぐれも間違いを起こさないようにな?」
まるで釘でも刺すかのように村長に言われ、「わ、わかってるよ」と言い返しながらもエーミールは複雑な感情を抱いていた。
(良かった……僕、男扱いされる年になったんだ!)と感激する気持ちが半面。
(僕って信用されてないのか……)とガッカリする気持ちが半面である。
「さて、後はステンダールさんに任せて、そろそろ我々はお暇させていだたこうかね?」
「そうですね。お姫様も、怯えていらっしゃるようだし……」
そう言って彼らはぞろぞろと帰ってゆくようになった。
後に残されたのは、フェリシアにしがみ付かれたままのエーミールと、後はエーミールの両親だけである。
「――とりあえず、遅くなったが朝飯にしないか?」
父がそう切り出し、「そうね」と母も一緒になって部屋を出て行こうとしたから、エーミールは焦っていた。
「えっ。僕は?!」
すると母が振り返り、エーミールに言った。
「あんたはしばらくの間お姫様の面倒を見てちょうだい。こんな調子じゃ、あんた以外に見れる人が居なさそうだし……」
「ええっ。で、でも……今日も狩猟とかあるよ?」
「しばらくはお父さんに任せるしかないでしょう? だって、私じゃお姫様が泣いて暴れるから手に負えないのよ」
「そ、そうかもしれないけれど……で、でも、今のお姫様は自力で歩く事すらできないんだよ?」
「それはわかっているけど。どうしようもないでしょう?」
「そ、そうだろうけれど……」
エーミールは真っ赤になりながら、ほとほと困り果てるしかない。
そんなエーミールの姿を見て、またフェリシアが不安そうな表情を浮かべるようになるのだ。
「うー……」
掠れた声を漏らしながら、ぎゅっとエーミールに縋りつく力を強めるフェリシアを見ると、まるで『見捨てないで』とでも言われているような気がした。
だからエーミールは罪悪感がチクチクと刺激されるのを感じて、フェリシアの頭をなでていた。
「大丈夫、大丈夫だよ。僕がずっと居てあげるからね」
するとフェリシアはホッとした様子で笑うのだ。
(……仕方ない)
エーミールは観念するしかなかった。
元来優しい性格をしている彼は、こんな態度を取られてしまうと、どうにも断れなくなってしまう。
「じゃあ、後は頼んだわよエーミール。看護の仕方は、私のをずっと見ているから知っているでしょう?」
「は、はあ……」
うなずいた後、エーミールは肝心な事に気付いていた。
「――あれ?! でも、母さんが無理ってなら、着替えや下の世話はどうするのさ?」
「……エーミール」と呟いて、母が薄く笑った。
「まあ……なんとか頑張ってちょうだい」
にっこり笑った後、母は父の後に続いて部屋を出て行ってしまった。
「ええええーっ?!」
やっぱりエーミールは困り果てるしかなかった。
彼女が目を覚ますまで、そういった事は全て母がやっていてくれていたのだが。
(こ、困ったなあ……)
エーミールがちらっとフェリシアの方を見ると、彼女はにこにことして「ん?」と首を傾げるようになる。
(また口に出したらお姫様が悲しい思いするんだろうし……)
それにしても弱ったなあ……と思って、エーミールは深い溜息をこぼすしかないのだった。




