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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 仮初めの王女
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14:加護無き戦地

 薄っすらと雪の積み重なる平野にて、開戦を告げるラッパの音が鳴り響く。

 ――次の瞬間。


「第一陣、撃てぇ――!!」


 号令の声が響き渡ると共に、横一列に整列した、マスケット銃を構えているモレクの銃兵たちがいっせいに引き金を引いた。


 ズドドドドドドーン!と、次々と銃声が鳴り響いた後、煙幕と硝煙の臭いで一瞬、辺りが真っ白になる。


 その後の沈黙は刹那で、ついで後方から幾千もの矢が曲射で放たれていく。


 その矢の雨を追いかけるようにして、パイクと大盾を構えた重装のパイク兵たち(ファランクス)が一挙に突撃していた。


「突撃――!!」


 駆けて行くパイク兵らを馬で追い掛けながら剣を振り上げて叫び声を上げるのは、モレク軍第一騎兵の隊長である。


 そのパイク兵の集団の左右を追い抜くようにして駆け抜けてゆくのは、ランスを構えた騎兵たちだった。


 一気にモレク兵の集団がなだれ込むようにして、前から、左右から、ゴート兵を包囲するかのようにして迫りくる。

 それに対し、マルク=カルナールは叫んでいた。


「怯むなッ、撃てェ――!!」


 その声に応じるかのように、モレク軍に対して出遅れながらも、先頭に並んだクロスボウを構えた弓兵たちが一斉に射撃を行う。

 真っ直ぐに飛んでいく貫通力のある矢が、真正面から来るパイク兵達の大盾を貫き、鎧をも貫いて行く。

 しかし、バタバタと倒れ込むパイク兵の後ろからも、新たなパイク兵が流れ込むように迫ってくる。また、左右からも騎兵が波のように押し寄せてきた。


「次、二列目!」


 マルクの怒号に応じ、前列の弓兵と後列の弓兵が入れ替わり、新たにクロスボウの射撃を行っていた。

 今度は騎兵にも放たれ、頭部に命中した矢によって馬上の兵が崩れるように次々と落馬して行く。

 しかし、それよりも更に多くの騎兵が、瞬く間に押し寄せてくるのだ。


「なっ、馬が速い……?!」


(そうか。やつらの馬は我らが知るような北領の馬ではない。馬種が違うのか……!)


 マルクが戸惑い、三列目に号令を与えるよりも早いうちに、騎兵とパイク兵たちが、いよいよ大軍勢によってゴート兵達を取り囲んでいった。


「チッ……第三隊、第四隊は後退! 代わりに第一隊、第二隊、前へ!!」


 自身も剣を引き抜きながらマルクが指示を出すと、後ろへ下がったクロスボウの部隊と入れ替わるように、騎兵と剣兵たちが歩み出ていた。


(クソッ、兵の総数も練度も桁違いではないか! これが戦神の信徒の力だというのか!)


 間もなく乱戦が始まる中、次々と殺されて行く兵士たちに囲まれながら、マルク=カルナールは必死に剣を振るっていた。


「女神様はまだか?! 女神様のご加護はまだなのかッ?!」


 次の瞬間。――ストン。と、弓兵の放った矢を額に受け、ずるりとマルクは馬上から崩れ落ちるようにして地の上に伏せていた。

 地上を覆う白雪の純潔が、赤く染まって行く。


 戦意喪失してバラバラに逃げ惑うようになるゴート兵の残党を数人ほど見送った後、戦車チャリオットに乗ったイェルドはようやく戦地の中央に到着していた。


 そこは既に喧騒の中には無く、屍と血の色で満たされていた。


「……呆気ない」


 ボソッとイェルドは呟いていた。


「拍子抜けするほどに――弱い。加護の無いグランシェス軍とは、これほどまでに脆弱なものなのか……」


 そう言ってイェルドが見上げた空は、どこまでも青く澄み渡り、太陽の柔らかな日差しを地上へと投げ掛けていた。

 今日のグランシェスの国土は、珍しく暖かかった。





 自室で、ゴート地方が陥落したという報せを受けたフレドリカは、真っ青になっていた。


「そんな! お爺様は? お爺様は無事なのですか?! あそこには、私の家があって……!」


 報せを持ってきてくれた若い騎士に、血相を変えながら縋りつく小さな姫君の姿を見て、その騎士は悔しげに表情を歪めていた。


「……申し訳ありません」


「そんな……」


 フレドリカは大粒の涙を零していた。

 そうやって、なんで? なんで? と自問する。


 祖父が喜ぶから養子の話を受け容れたというのに。

 とうとうフレドリカは、この場に居る全ての理由を失くしてしまっていた。


 輿入れの話は蹴られ、その結末すら国王は自分に直接話してはくれなかった。

 今、ゴート地方が落ちたという大切な報せすら、こうやってどうでも良いような騎士の口から告げられる始末である。


(……私は見限られたのね)


 フレドリカはそう感付いていた。


 ただの子供だからって。ただの遠縁の貴族でしかないからって……。


「うっ、うう……」


 騎士に縋りついたまま泣き声を上げるフレドリカを、騎士は困ったような面持ちで受け止めるしかなかった。

 そうしながら、傍らに居る専属メイドのカリーナの方へと視線を向ける。


 カリーナもまた困った表情を浮かべた後、ゆっくりと首を横に振っていた。


 何故なら、彼女は王女らしくないと、誰もが思う所以がここにあるのだから。

 グランシェス王家は、身持ちを硬くする必要があるのだ。それ故にフェリシアだって、異性に縋りついて泣いた事なんてただの一度も無い。

 否、それどころか、前の姫君は涙を見せる事もしなかった。いつも冷静に振舞うような人だった。


 誰もが前の姫のことを知っているが故に、誰もが心の中において、この少女と前の姫君を比較する。


 それが少女の身に冷たく突き刺さっている事なのだとは理解しながらも――

 それが王女という立場に立ったその日から、彼女に架せられた宿命なのだ。


 それを知らないのは、フレドリカただ一人。

 ――しかし。


(知らなくて仕方が無い。知らないことを誰が責められる? だって彼女は十二歳の女の子で……十二歳の時から聡明でありなさいだなんて言えるのは、老輩の無茶振りでしかない)


 そう思うからこそ、カリーナは小さな主に注意する事が出来なかった。

 それに自分は全く彼女からの信用を得ることができていないのだ。何を言っても反発を招く結果にしかならないだろう。


 彼女の肩に乗せるには重たすぎる荷であるとは知りながらも。

 何も出来ず、ただ見守っているしかできなかった。





「……そうか」


 敗戦の報を聞き、沈鬱な表情で頷いたのはグランシェス王のロジオンである。

 今しがたその報を伝えたばかりの騎士に下がれと命じた後、ロジオンは頭を抱え込んでいた。


「くそ、どうすれば……」


 ここが書斎で良かった。と思って、関白のラルフはホッと胸を撫で下ろしていた。

 こうやって思い悩む王を家臣に見られるわけにはいくまい。士気にも関わってしまうだろう。


 最近のロジオンはずっと思い悩んだ様子でいる。しかしそれも仕方ない。


「やはり、フェリシアの件が響いているのか……? この土地は、一千年もの間、これまでいかなる者の侵攻も退けてきた。それは、雪や吹雪が敵対者の侵入を阻んできたからだ。しかし……――」


 ロジオンは深くため息をこぼしていた。


「やはり……――認めるより他無いのだろうか……? 加護を失くしてしまったと。それもこれも……」


 ロジオンは震えながら、グッと拳を握りしめていた。


「フェリシアが……! 何故だ。上手く行ったと思っていたのに。上手く育ったと思っていたのに……!」


 激情を押し殺すようにして身を震わせるロジオンの気持ちが、ラルフには痛いほどわかった。


 何も言わずとも、加護を失ってしまった事は、民や兵にも伝わっているのだろう。

 敗戦と一緒に先の騎士が語ったのは、多くの兵が裏切り、また逃げ出してしまったという状況だった。


(どうすれば……)


 ラルフもまた頭を悩ませる。対抗する以前に、兵の数も圧倒的に足りなくなってしまった現状、どうすれば……。


「……そうだ」


 ラルフはふと思い立つと、未だ頭を抱え込んでいるロジオンに話し掛けていた。


「陛下。提言が御座います」


「今はなんでも意見が欲しい。話してみたまえ」


 ロジオンがそう言ったため、「はっ」と告げ、ラルフは進言する。


「フレドリカ=ドーシュ=グランシェス公。元はイェルド様の妻として送るために養女に迎え入れましたが、今や何の役にも立っておりません」


「…………」


 眉をピクリと動かすロジオンに対し、「――しかし」と、ラルフは続けたのだ。


「あの容姿は本物です。上手くやれば、兵の増強や士気向上に繋ぐことができるかもしれませぬ」


「……もしや」


 言い掛けるロジオンに対し、ラルフは頷いていた。


「女神に見放されてしまった我々に残された唯一の道。……神が頼れぬと言うなら、もはや、悪魔に魂を売り払うしかありませぬ……!」


「――そうか」


 やがてロジオンは頷いていた。

 しばらく熟考していたが……――ついに口を開き、こう告げていたのだ。


「各町へ渡り触書を出せ。 『見事に戦果を上げモレク軍を敗退させる事ができた勇者には、褒賞として我が娘フレドリカを与える』と触れて回るのだ!」


 ロジオンの決断に対し、ラルフは深々と頭を下げると、「御意」と答えていた。


(可哀想だとは思うが……――)


 ラルフだってわかっているのだ。


 これでは、まるでフレドリカは、身売りをするために王女となり、身売りをするが為だけに存在しているようなもの。

 それがどれだけ人道に背くかということも、残酷な事であるかということも。


 しかしラルフはおろか、王ですらその手段を認めてしまった。


「……背に腹は変えられぬ。例え無垢な少女を地獄の底に突き落とすことになってもな……」


 まるで己に言い聞かせるかの如く、ロジオンは呟いた。

 その思いはラルフも同じだった。


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