7:獣の森
モレク陣営は前線を下げるグランシェス陣営を追う形で、コルニエン山脈を迂回する方向を取った。
山脈を左手に臨みながら雪の平野を進軍し続ける。
あと少しで追い付くかという所で、グランシェス陣営は山の手に広がる森の中へと引っ込んでしまった。
「隠れながら逃げるつもりか? それとも……」
およそ予想は付いたが、ヴィルヘルムはニヤリと笑みを浮かべる。
「良かろう。こうなれば徹底的に付き合ってやろうではないか! 敵の罠を恐れていては戦神ダンターラ様にも示しがつかぬというもの……! イェルドが伏したと知りながら、尚も我らは立ち向かうッ!!」
それからヴィルヘルムは森に入るようにと兵達に指示を出した。
コルニエン山脈の下側に広がっている森の中はしんと静まり返っていた。
その中をカイ率いる一行が駆け抜ける音はとても良く目立っていた。
白塗りの鎧の一団が駆け抜けた後の森には、木々の陰や草葉の中など、要所要所から伸びたボルトの先端がキラッと光を反射させるようになる。
間もなく黒金の兵たちが物音を立てながら森の中を駆けて行く。
それがこの戦場が始まったことの合図だった。
ぐいんっと急に地面に予め設置されていた縄があちこちからピンと張られる。
足を取られモレク兵達が転んでいるうちに、あちこちからシュンシュンとボルトや火薬筒が投げ込まれる。
バンバンとあちこちで筒がさく裂し、辺りは瞬く間に硝煙によって真っ白な煙に包まれる。
視界が奪われたところで、四方八方から飛び出してきたもの――それは無数の北領犬達だった。
「けっ、獣だ! 獣が来るッ!!」
「うわああぁぁっ!!」
視界の利かない人間と、一方で視界が無くとも鼻が利く北領犬。
どちらが有利であるかは明白である。
「ムッ、これは……やつらは犬を使うとは聞いていたが、これほど巧みに使える物なのか……!」
ヴィルヘルムは目を見張っていた。
その間にも兵達は次々と首に食らいつかれては絶命して行く。
獣には加護が利かないのだとヴィルヘルムは瞬時に察知していた。
「首だ、首を守れッ!! やつらは鎧の隙間から首に食らいついて来るようだ!」
ヴィルヘルムの指示の元彼らは必死に対処しようとするが、やはり加護の利かない相手は恐ろしいのだろう。
恐慌の声があちこちから聞こえるが、それは伝達する物である。
「怯むなッ、それがどうした!!」
ヴィルヘルム自身もまた前線へ出て剣を振るいながら、怒鳴り付けていた。
「元より戦地とは生死を賭すもの! まさか貴様ら、それを忘れたとは言うまいな?! 加護とは不死の特権ではないッ!! 加護とは、勇士に与えられる褒賞なのだ!! 貴様ら、加護に守られる雛にでもなったつもりか?! ――否! 加護を従える勇士であれ!!」
ヴィルヘルムの鼓舞によって恐慌の声は徐々に収まりを見せた。
「我らは誇り高きモレクの兵!! 生死を賭してこそ、その強さと勇ましさは証明されるだろう!!」
「「ウオオオォォォォッ!!」」とモレクの兵たちが声を張り上げる。
木の陰からクロスボウにボルトを番えながら、前線の北領犬達とモレク兵達との乱闘を見てぎこちなくも笑みを浮かべたのは、北領犬部隊隊長として任命されているシグムンド=アンダソンである。
「すげぇモンだな。やつら、怯まないぜ……俺たちだってもし北領犬がこっちに牙を剥いたと考えたら……」
「静かに。声を出しては敵に気付かれるぞ」
潜めた声でシグムンドにそうやって声を掛けたのは、雪の中に埋もれるようにして身を隠している白い毛皮をまとった灰色髪の男レナード=ステンダールである。
「良いかいシグムンド、隠密という物はこちらの気配を悟らせてはならん。最後まで姿を見せず、声も聞かせてはならん。――つまり、この戦地は間違いなく北領犬だけの物なんだよ」
それからレナードはクロスボウを構えると、スパンッとボルトを打ち出す。
真っ直ぐ飛んで行った矢は、顔を庇うようにして振り上げたヴィルヘルムの腕に突き刺さった。
「グヌウ……」
ヴィルヘルムは眉間に眉を寄せると、グッとボルトを掴む。
螺旋を描いているその金属状の棒を見て更に険しい表情を浮かべていた。
(なんだこの矢は、抜けんか……ふむ、殺気を悟らせずにこの私を射貫くとは大した腕前ではないか! だがな……)
ヴィルヘルムは剣を握りしめている手を持ち帰ると、続けざまに飛んできた木製のボルトをスパッと両断していた。
「視界は無くとも勘が敵の方位を教えてくれる。そしてわかったぞ、お前たちが科したこの戦地への対処法が……――」
ヴィルヘルムは叫んでいた。
「強行突破だッッ!!」と。
「密集した隊を作って一気にここを抜けるのだ!! ここは決戦場ではない!!」
「「ははっ!!」」と兵達はヴィルヘルム王に従って隊列を作っていた。
そして外周の兵達が壁や囮になる事によって、内側の兵たちは無事にこの場所を抜けるようになる。
この場のあちこちには多くのモレク兵達の死体が残されたが、彼らが最初に引き連れて来た数は十二万兵。
最初の平野で起こした雪崩によって二万、この場で一万は絶命したように見えるが……――
「残り九万か……まだまだ先は遠いな」
静まり返るようになった森の中で、シグムンドはボソッと呟いていた。
「しかし、俺たちは俺たちに科せられた役割は全うしたはずだ」
そう話しながらズボッと雪から這い出したレナードの手には、クロスボウに射掛けようとして握りしめていた螺旋状の鉄製ボルトが。
「それ、エーミールに返してもらったんすね」
シグムンドの指摘に、「ああ」と言ってレナードは苦笑いを浮かべていた。
「出陣の前日になってエーミールが俺の元に来たんだよ。『これは僕には要らないから父さんに返す』って言って。しかし、あいつは……――」
レナードはどこか寂しげな表情を見せていた。
「これでもうスッパリと狩人をやる気は無いんだな。それがあいつの人生と言うなら俺は否定はせん。しかしあいつは、二度とクロスボウは握らないだろう。そんな目をしていたよ……」
「親父さん……」
シグムンドはレナードの気持ちを汲み取って複雑な表情を浮かび上がらせていた。
そんな彼の姿に、「――まあ」とレナードは笑う。
「ここでしんみりとしていても仕方がない。まだ作戦は続いているだろ?」
「あっ――そ、そうすね。次は――」
シグムンドは後方を振り返る。
その先は、今しがたモレク兵達が駆け抜けていった先だった。
「あいつ、あそこで決戦をやるって言ってた。でも、あの人数じゃ……――いや。きっとエーミールには考えがあるんでしょう、あいつはやっぱ、すげぇから」
「そうだな。信じよう」
レナードの言葉を聞いて、シグムンドは表情を引き締めると大きく頷いていた。
「じゃあ、俺たちも作戦の続きと行きましょう!!」
その声に応じるようにして、森のあちこちに身を潜めていた北領犬部隊及びクロスボウ兵の隊が姿を現すようになる。
「さあ、行くぜッ!! 遅れを取るなよ!!」
「「ウラアアァッ!!」」と、彼らは声を揃えて応じていた。




