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15:永遠の別れ

 セシリアが尋ねてきているという知らせはルドルフの元にも届いた。

 ――と言うよりも、ルドルフがちょうど城の訓練場となっている空き地で兵の訓練をしている時、渡り廊下の方からこちらを眺めているセシリアの姿を目に留めてしまったのだ。


「おっ?」と顔を上げるルドルフと目が合うが否や、セシリアはバッと顔を背けてまるで逃げるようにして走り去ってしまった。


「あいつは……」


(来ていたのか?)と思って首を捻るルドルフに、「副団長!」と指導中だった兵の一人が声を掛ける。


「どうなさいましたか?」


「あ……いや、なんでもない」


 首を横に振った後、「さて、続きをやるか!」とルドルフは応じていた。



 そのままあっという間に夕方になり、ルドルフは訓練を終えると来ている筈のセシリアを尋ねに行く事に決めた。

 廊下で見掛けたメイドを呼び止め、客人が来ていないか質問を向けてみると、案の定セシリア=アーシェルという名前が挙がった。


「セシリア様なら、客室の一つにお泊りになられて頂いておりますよ」


 愛想良く答えたメイドの姿に、すんなりと見つかった事を嬉しく思いながら、「おお、そうか」とルドルフは胸を撫で下ろしていた。


「で、どの客室に居るんだ?」


「まさか副団長……」


 ススッと彼女が軽く身を引く。

 メイドの愛想の良さが嫌疑の面持ちに変わった瞬間だった。


「今から御婦人の部屋に訪ねに行くつもりですか……?! え、嘘。そ、そんな人だっただなんて……カイ隊長じゃあるまいし」


 一体カイはメイド達からどんな目で見られているんだ。とルドルフは内心思っていた。


「セシリアは友人だからな。来てくれているうちに挨拶せんと悪いだろ?」


「カリーナ様というものがありながら……まさか、浮気……?」


「なっ?! そ、そんなわけがないだろ!!」


 そう答えながらもルドルフが思い出したのは、過去に一度セシリアに迫られた実績だった。


(うーん。まあしかし、あいつも気の弱い印象だからな。今はカリーナと付き合っていると言っておけば迫ってくる事もあるまい)


 腕組みをしてそう考える辺り、ルドルフは大概色恋沙汰という物に疎かった。


「誓って言うが、俺は浮気などはせん!」


 ルドルフは目の前のメイドにそう宣言の後、「で、どの部屋か教えてくれんか?」と言葉を続けた。


「ええー……」


 メイドは未だに渋っていた。なかなか目上への対応が雑なメイドであるが、見たところ若いし最近採用されたメイドなのだろう。致し方が無い面もある。


「頼む!」とルドルフが言うと、「仕方ありませんね……」と渋々とメイドは具体的な部屋の場所をルドルフに伝えていた。


「恩に着る!」


 ルドルフはそう言い残すと、足早にこの場を去っていた。





 ルドルフは一つのドアの前に立っていた。

 手をノックの形にして、コンコンとドアを叩く。

 それからしばらく待っても返事らしい返事が無かったため、首を傾げていた。


(外出しているのか?)


 そう考えてきびすを返したその時である。


「あれ、副団長?」と声を掛けてきたのは一人のメイドだった。

 これから掃除へ向かうつもりなのか、メイドの手にはホウキやバケツが握られている。


「この部屋にご用事ですか?」


 メイドにそう尋ねられ、「ああ」とルドルフは頷いていた。


「セシリア=アーシェルという女が泊まっているんだろう?」


「セシリア様でしたら」とメイドは言った。


「先ほど褒賞を受け取られた後、急ぎの予定があるとか言ってお発ちになられました」


「なにっ……?」


 目を見開くルドルフの態度に気付かないまま、メイドは微笑んで話す。


「今からでは暗くなるからと言って陛下は引き留めになられたそうですが、どうしてもと仰ったそうで……代わりに馬車を手配したそうです。私は、客人の居なくなった部屋を整えるようにと言われたので」


「……そうか」


 ルドルフは振り返ると、ドアを開けて室内へ入って行くメイドの後ろ姿を見送っていた。

 メイドの話す通り、屋内は暖炉の火も照明の明かりも消されているようで暗くなっており、その様が客の不在を現している。


(セシリア、挨拶の一つも無く行ってしまったのか……)


 ルドルフは複雑そうな面持ちのまま口を閉ざしていた。


(俺に挨拶の一つも無く)


 それは寂しさを喚起させたが、先に会った時の事が事である。

 もしかしたら顔を合わせ辛かったのかもしれないとルドルフは考えていた。


(……まあ、元気そうにしている様子なら何よりだ。ほとぼりが冷めるのを見計らった後、余暇がある日にでもエルマーへ遊びに行けばいつでも会えるだろう)


 ルドルフはそのように考え、自分を納得させる事にしていた。





 その頃セシリアは屋根付きの馬車に乗って、流れていく夜のカルディア平原の景色を見送っていた。


「結局挨拶の一つもしなかった事、ルドルフ様、怒ってるかな……」


 ぽそっとセシリアは呟く。


「……でも、最後に少しでも見る事ができて良かった」とセシリアは小さく微笑んでいた。


 心残りが無いと言えば嘘になる。けれどルドルフの姿を見た瞬間、咄嗟に逃げてしまった事が今の自分の全てだった。

 合わせる顔が無いと思ってしまった以上は……。


(ああやって立派に騎士副団長として執務をこなしている姿を見ることができたのよ。それだけで私にとっては十分すぎるぐらい。あの人の輝かしい未来にとって、私という存在は汚れすぎている……)


「……だから……ルドルフ様の人生には私なんか要らないのよ。幾人もの人を卑怯な方法で騙して殺してしまった今の私は、もうすっかり汚れてしまってるんだから」


 ぽそぽそと呟いた独り言が、どうやらかすかに御者に届いていたらしい。


「は?」と聞き返され、セシリアは首を横に振っていた。


「いえ……なんでもありません」


 そう応じたセシリアに対し、御者は束の間の間沈黙を向ける。

 そしてやがて再び躊躇いがちに御者は問い掛けていた。


「それにしても、本当に……良いのですか? 行先はウェストザートじゃなくて」


「はい」とセシリアは頷いていた。

 そして改めてセシリアは流れていく夜の景色へと視線を移す。


「ヴァロトア王国へ通じる関所の近くまで送り届けてほしいんです。そう、できるだけ遠くへ……遠くまで」


「……セシリア様」と御者は口を噤む。


「あ……大変だったら、ウェストザートまででも良いんですが……」


 慌てた様子でそう言い足したセシリアに対し、「いえ、お気になさらずに」と御者は伝えていた。


「どんな事情であれ、御来賓が早急に帰還なさるのです。不足したもてなしの代わりに、望む場所までお連れするようにと陛下からの御通達ですから」


 きっとその女王陛下の告げた『望む場所』という想定が、ウェストザートの町のセシリアの住居の前までであったとしても。

 御者には通達通りに振舞う義務が存在しているのだ。


「ありがとうございます」とセシリアは頭を下げていた。

 そして改めて景色の方へと視線を戻した。


 後ろを振り返ると、夜の闇の中、グランシェス城とシンバリの明かりがどんどん小さくなって行くのが見える。


(さようなら……ルドルフ様。私の大好きな人……)


 セシリアは心の中でそう呟いた後、一筋の涙を零していた。

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