6:夜間の訪問
フェリシアはカリーナと共に書斎で進捗を確認した後、その日の業務を終える事にした。
さすがに帰ってきて早々にフルで仕事を入れるつもりはない。そこまでスーパーウーマンではない。
よって珍しく定時に食事を取った後は浴場へ行ってカリーナに湯汲みをしてもらい、その後は早めに就寝する事にした。
ドレスから白く丈の長いシュミーズに着替えた後は、一人で部屋のテーブルに備え付けられている椅子に腰掛けて、持ち込んだ書類をペラペラと捲っていた。
そうしながらウトウトとしていたその時である。
コンコン。
ドアを叩く音が聞こえ、フェリシアはハッとしていた。
「……カリーナ?」
フェリシアが確信を持ってそのように呟いたのには理由がある。
普通この時間、この部屋に来る人間はカリーナ以外には考えられないのだ。
そのためフェリシアは眠気を噛み殺しながら「どうぞ、開いていますよ」と答えていた。
ガチャッ。
ドアが開き、マントのようにクロークを羽織っている人物が入ってきた。
最初に気付いたのは、その者が灰色の髪をしているという事。
パタリとドアを閉じた後、振り返って「フェリシア」とにこやかに話し掛けてきた少年の姿に、フェリシアは瞬時にして顔を真っ赤にさせていた。
「エーミールッ?!」
瞬間的に眠気が吹き飛ぶと共に、ガバッとフェリシアは両肩を抱きしめると部屋の隅の方まであっという間に後退りして行ってしまった。そしてしゃがみ込みながら壁に取り付けてある飾り用の盾を手に取ると、自身の体の前にガンと置いた。
「な、なななななななっ……!」
わなわなと震えているフェリシアの目つきはどう見ても変質者を見るかのような眼差しである。
さっぱり理由がわからなくて、エーミールは苦笑いしていた。
「なんでそんなリアクション取るかな……」
「あ、ああああなたっ――自分がなんて事をしているか自覚がおありですかッ?!」
「へ?」
キョトンとするエーミールと、耳まで真っ赤になっているフェリシアとの間の温度差は激しい。
「……と言いますか、見張りは?! 見張りは何をしているの?!」
「え? 別に何も言われなかったけど……」
不思議そうな表情をした後、エーミールはまた苦笑いを浮かべるようになる。
「……あれ、もしかして嫌だったの?」
「い、嫌と言いますか……」
フェリシアはいつの間にか泣きそうな表情をしていた。
「普通、殿方がたった一人で夜間に女性の部屋を訪問するだなんてありえますか……? 否、ありえません! あなたは非常識ですっ!」
ビッと指差したフェリシアの指摘は大袈裟だなとエーミールに思わせた。
「何言ってんのさ……。イド村に居た頃はそんな事、しょっちゅうだったろ?」
「あ、ああ、あれはですね……! 家族は別と言いますか、あ、あの時は私も若気の至りと言うか、外聞や世間体を気にしない時期だったと言いますか、色々と、まあ良いかなってちょっとぐらいは……す、少しですよ? 少しだけ……」
そう言ってため息を吐いているフェリシアの態度はやはり相変わらず変なの。とエーミールに思わせた。
「まあまあ、良いじゃないか。ここには今ぐらいしかゆっくり話せないと思って来たんだよ。まだ寝ないならしばらく話をしない?」
そう話しながらエーミールはクロークを脱いでコート掛けに掛けた後、部屋の中ほどまで歩み寄って行って倒れていた椅子を元通り立てていた。
「は、話があるのならここじゃなくても……。先にカリーナに話を通して、それから書斎にでも呼んで頂ければ良かったじゃないの……」
「そんなの、面倒臭いよ。大体、僕たちの話にいちいちカリーナさんを通すのも悪いじゃないか。ほら、いつまで盾を構えてるの?」
そう言ってエーミールが歩み寄ってきたため、フェリシアは余計に赤面していた。
「ま、待って! せめて何か羽織らせてください……」
そう言われて初めてエーミールは「えっ?」と目を丸くさせていた。
そんなエーミールに深呼吸の後、フェリシアは消え入りそうな声でぼそぼそと言っていた。
「私、肌着しか着ていないの……」
「ええっ?!」
エーミールはやっとフェリシアがこうも嫌がった理由を理解していたのだ。
相変わらずねと考えて、フェリシアは何度目ともわからないため息を零していた。
「……それで、話とはなんですか?」
フェリシアはエーミールに手渡されたガウンを羽織りながら、ため息交じりに尋ねていた。
「いや、聞きたい事があるって前に言ってたよね。それについてなんだけど……」
それにしてもフェリシアは不機嫌そうだし、良いのかなあ? とエーミールは考えて苦笑交じりに髪をポリポリと掻いていた。
「……僕、今日は帰った方が良いかな?」
「いえ、もう今更です」
フェリシアは椅子を引くとそこに腰掛けていた。そして、「見張りには口止め料を渡しておくのでお構いなく」と続けたため、エーミールはギョッとしていた。
「えっ……それって賄賂的ななにか? これってそんな不穏な事だったの?!」
「それはもう、この上なく。大体あなたは、夜間の女性の寝室に男性が来ることの意味ぐらい把握すべきです。庶民ならまだしも、曲がりなりにも王家の女ですよ私は? この事が万が一にでも周囲に知られてしまえば、一体どんな噂を立てられてしまうか……紳士じゃありません。あなたって、ちっとも紳士的じゃありません!」
ブツクサと言うフェリシアは相変わらず機嫌が悪そうだ。
しかし間もなく思う所があったのか、はーっとため息を一つ。
「……まあ、このような事、男女の色恋の一つも知らないようなあなたに申し上げても意味は無いかもしれませんが」と言い足したため、それこそエーミールは驚いていた。
「いやいや……僕だってそれぐらい知ってるよ?!」
「え……?!」と目を見開くフェリシアは余りにも呆気に取られたような表情をしていたため、エーミールもまた唖然としていた。
「キミの中で僕は一体何なの? なんでそんな事になってんのさ……?!」
「いえ……その、それらしい単語もからきしの様子だったので……」
戸惑った表情のまま控え目にポソポソッと話すフェリシアの言葉を聞いて、エーミールは余計に戸惑っていた。
「べつにからきしってわけでもないよ?! 幾らイド村に住んでるったってさ、シグムンド兄ちゃんとか父さんとか、色々吹き込むような人は周りに居るわけで。さすがにそこまで箱入りなわけないだろ?」
「そ、そうなの……?」
「むしろ僕としてはキミの方が意外だよ。キミこそ箱入りのお姫様ってかんじだったのに。一体どこでそういう知識身に着けるの?」
「え? それは……カリーナとか」
ボソボソと答えたフェリシアの答えを聞いて、「ああ……」とエーミールは納得していた。
「……いやちょっと待って。キミの家臣ってどうなってるの? 一体どうなってるのさ……?!」
エーミールのリアクションこそフェリシアにとっては心外だった。
「あなたは王族を何だと思っているの? なんでも知識は入れておかねば馬鹿に見られてしまうではないですか。そんな事では社交界ではやっては行けませんよ」
「そういうものなのかな……」
「そういうものです」と、フェリシアは答えていた。
「……そんな事よりも、聞きたい事があるのではなかったの?」
フェリシアに先を促されたため、それもそうだった。と思って、エーミールはフェリシアとはテーブル越しに置いてある椅子に腰降ろしていた。
「うん。今更改まって聞くのもなんだけどさ……――」と、ポリポリと言い辛そうに髪を掻くエーミールの姿も珍しい。
「どうしたの?」とフェリシアが先を促すと、意を決したのかエーミールは頷いた。
「いや。キミはさ――」
ふとエーミールが真剣な表情を見せたので、フェリシアもまた覚悟を決めていた。
そんなフェリシアに面と向かってエーミールが尋ねたのはこれである。
「どうして僕をそこまで受け入れてくれているの?」
エーミールのその質問に、「えっ……?」とフェリシアは目をパチクリとさせていた。




