22:孤独な君主
怒りによって顔を歪ませているイェルドに対し、フェリシアがにっこりと微笑み掛ける。
そして、「私のこれを生意気とお考えになられるなら、あなた、王家と結婚する事は向いておられないのではなくて?」と言い切った。
(うわ……フェリシア……)
今の彼らのやり取りを見て、エーミールは頭を抱えたくなっていた。
彼女は鮮やかに、それはもう実に見事に確信的に火に油を注ぎ込んでいたからである。
そしてイェルドは実に見事にその策に嵌っていた。
「く、くく、ククク……」
イェルドはブルブルと体を震わせた後、「フェリシアあぁぁッッ!!」と怒鳴り付けていた。
憤怒の表情を向けるイェルドに対してフェリシアは今度は冷ややかな目を向けていた。
「いい加減に呼び捨てはやめてくれませんか? さっきから不快です。異国の王族をこうもしつこく呼び捨てるだなんて、あなたの方こそ親の教育を疑います」
フェリシアがそう話すうちにイェルドはガランと杖を落とした。そして腰の剣に素早く手を伸ばすとジャキッ! と引き抜くと、剣を杖代わりにフェリシアの方向へ歩み寄るようになった。
「もう良い、わかった!! 貴様には主を尊重する意識など欠片も無いという事がな!! 殺してやる……こ、ここ、殺してやるッ……!! いや、四肢を切り落として虫けらのような無様な生き物にしてやるううぅぅッッ!!」
イェルドは怒りの余りに他の物が目に入らなくなっているようだった。
「私の威厳が、私の誇りが、私の、私の……」
ブツブツと小さく呟きながらよろよろとフェリシアの方へ歩み寄って行く。
そんな彼の姿に、配下たちはいつの間にか呆れた目を向けるようになっていた。
「嘘でしょ? 陛下がこんな人だったなんて……」
「なんだか騙されていたような気分だ……」
彼らの囁き声もイェルドの耳には届かない。
今のイェルドは自身の虚栄にすがり付く化身と化していたのだろう。
そのままイェルドは片足を引きずりながら一歩一歩フェリシアの方へ近付いて行った。
ザッと更にイェルドが雪を踏み締めたその時、そりに繋がれたままになっているヴィズが身を低くしてグルルルと唸り声を上げた後、「バウッ!!」と大きく吠えていた。
それでイェルドはようやく我に返って外部の存在に気付いた様子で、「うわっ」と声を上げて後ろへと尻もちをついていた。
そんなイェルドを見下ろすようにしてヴィズが牙を剥き出しにする。
「グルルルル……!」
立ち塞がる巨大な白犬の姿に、イェルドの顔は一気に真っ青になっていた。
「ヒイイィッ……い、犬だ……!! い、いつの間にこんな近くにッ……! 犬をこれ以上近付けるなッ、馬鹿め!! 早くなんとかせんかッ!!」
イェルドは片手をぶんぶんと振ってそう捲し立てたが、すっかり呆れ果てている彼の臣下のうちただの一人も動こうとしなかった。
「ヴィズ」とフェリシアはそりの上から身を乗り出すとエーミールの犬に声を掛けていた。
「あなたがそのための犬ではない事は知っているけれど、多くの獣を狩ってきたあなたならできるわね。頼みましたよ」
そう言ってフェリシアはヴィズの尾に軽く触れていた。
フェリシアは初めからイェルドを挑発してこちらに向かわせた後、ヴィズに対処させるつもりでいたのだ。
ところが。
「ヴィズ、待て!」
そう言った者がいたせいでヴィズはピタリと動きを止めた。
ヴィズが命令に従う人は一人と決まっている。
「エーミール?」と言ってフェリシアはエーミールの方を振り返り息を飲んだ。
エーミールは矢を番えたクロスボウを背中から降ろすと一度雪の上に突き立て、静かな声で「僕がやるよ」と告げたのだ。
そしてイェルドを真正面に見据えながら高らかに宣告していた。
「我が名はエーミール・ステンダール! グランシェス王国参謀にして女神の神官にして、フェリシア・コーネイル・グランシェス公のフィアンセたる者だ! 君主たる者、いざ尋常に勝負してケリを付けようではないか!」
そこまで言った後、「――と、これが正当な王のやり方なんでしょ?」とフェリシアの方を振り返ってエーミールは確認を取っていた。
「ええ、そうですね。ですが……」
フェリシアがため息をついた理由がエーミールにはよくわかった。
「……聞いてない……」
イェルドは未だにヴィズを目の前にしてガタガタと震えていた。
「せっかく、正しいやり方の方に揃えたのにな……フェリシアが王らしく振舞って行かないとって言うから。最後くらいちゃんとしたやり方をしようと思ったんだけど……」
「……そう言いながら、ちゃっかりとクロスボウを構えているではありませんか」
フェリシアが指摘する通り、エーミールはスチャッとクロスボウをイェルドの頭部へと向けていた。
「いや、いつまでも待っていても仕方ないかなと思って……」
「……締まりありませんね」
ボソッと呟いたフェリシアに対して、思わずエーミールは文句を言っていた。
「だ、大体、フェリシアだって正式なやり方する気が無かったじゃないか」
「……それはあなたの事ですから。敵に応じたようなポーズだけを取って正々堂々とやる気持ちは最初から無いと思っていました」
「えっ……なにそれ。僕って信用ゼロ?!」
「その辺りについては……ええ、もちろんです」
フェリシアに同意するようにして、周囲を囲んでいるグランシェス兵達は揃ってうんうんと頷いた。
「――まあでも、名乗り上げたんだから良いよね?」
気を取り直すとエーミールは改めて構え直していた。
「……僕のことはダンターラの王を仕留めた勇敢な王として宣伝しておいてくれ」
「北領兎の一匹も当てるのがやっとの人が、終わってから言ってください」とフェリシアは答えていた。
「それを言われるとぐうの音も出ないな」
そう答えながらもエーミールは狙いを定めていた。
しばらくの間、エーミールは沈黙した。ぎゅっと唇を噛み、次の瞬間。
カチリと引き金が引かれ、放たれた鋼鉄の矢がスパンッとイェルドの米神を射貫いていた。
「ガ……ア、ア……」
どさっ。とイェルドが雪の上に伏せたかと思うと、じわじわと血が広がって行く。
そうなっても、この場には誰も駆け付けなかった。
いつの間にかモレクの人々は君主である筈のイェルドを置いて撤退を始めている様子だった。
そんな孤独な王を見下ろしながら、エーミールはスッとクロスボウを降ろしていた。
「……ねえ、フェリシア。ありがとう」
ぼそぼそっと呟いたエーミールの言葉に、「……いえ」とフェリシアは目を背けながら小声で返していた。




