18:畏怖の戦地
モレク兵達は一斉に声を上げながらファランクスの陣形で迫り来るグランシェス軍の方へ向かっていった。
その最中、城郭の上では銃兵たちが次の弾を打つために火薬を筒にサラサラと流し込み、棒を使って押し込んでいる。
その一方でグランシェス軍側はと言うと、準備万端で突撃を仕掛けてきたモレクの軍勢を目の前にしたルドルフがリディニークの横で馬上に跨ったまま、腰の剣を引き抜いていた。
「来たか……! チッ、思ったほど距離は詰められなかったな……愚策なのはわかり切っているさ! しかしな、やってやるよ! 奴らをビビらせてやれ!!」
「コオオオォォォォッ!!」と、リディニークが嘶いて空気をびりびりと震わせた後、四本の足をばねのように曲げて低い体勢を取った。
『先陣はワシが切ってやる! さあ、思う存分に畏怖するが良いわ!!』
言うが否や、リディニークは跳躍した。
その横を縫うようにしてグランシェス軍の後衛が弓やクロスボウで放った金属筒で作られた炸裂弾がヒュンヒュンと飛んでいく。
彼らの扱う手製の炸裂弾を作っているのは、後衛のモレク捕虜上がりの工兵である。
運んできた火薬壺の中身の大半はこのために使われているのだ。
ドカンドカンとあちこちで火薬がさく裂し、破片があちこちに飛ぶと共に硝煙の煙が辺りを覆う。
「燃やせ、存分に燃やせ! 煙を上げれば上げるほど銃で狙い辛くなるからな! その間に一気に近付け!!」
ルドルフの声に応じるようにして、せっせと弓兵やクロスボウ兵たちがこよりの伸びた金属筒を取り付けた矢を番えては放っている。
モレク兵達が埋もれるようになった白煙の中、ドスンとリディニークが降り立った。
ぶるんと大きく尾を震わせると、周辺に居たモレク兵達が次々と吹き飛ばされて行った。
リディニークが前足で一人のモレク兵を掴み上げると、バキバキと鈍い音を立てながら骨を砕いて行った。
「ギャアアァァッ」と断末魔が上がり、その兵は動かなくなってしまった。
畏怖はしないつもりだった。していないつもりだった。
得体の知れない化け物の一匹など、いつもの対人戦と同じように手傷を承知の上で反撃を恐れずに、武器ごと叩き切ってやれば良いのだ。
しかし――普段通りである筈のその戦法が通用せず、そればかりか竜は何人もの兵を瞬く間に葬り去ってしまった。
その事実を目の当たりにし、一瞬モレク兵達の間に動揺が広がる。
しかし間もなく誰かが鼓舞するような声を上げる。
「怯むな! 俺達はダンターラの戦士だろっ!!」
それでなんとか彼らは勇気を取り返していた。
昨日危険を試みずに鼓舞してくれた陛下の為にも、我々は戦わねばならない!
そう考えると、次々と声を張り上げる。
「そ、そうだ。ダンターラの戦士だッ!」
「俺達が安易に殺されるわけがないっ、行くぞ!!」
「ウオオォォーッ!!」
改めて雄たけびを上げる事によって、竦みかけていた足を奮い立たせてモレク兵達はリディニークへと果敢に挑んで行った。しかしそれが間違いだったようだ。
「コオオォォォォォッ!!」と声を上げた後、リディニークは前足を振り回すと、まるで巨大な熊が腕を振るったかのように頭を吹き飛ばし、鎧ごと胴を抉った。
みるみると屍の山が築き上げられる様を見て、モレク兵達は今度こそ恐怖した。
「や、やっぱり無理だってこれ……」
「どうすんだよこんな……!」
足を止めた者から順番に目ざとく見つけたルドルフが、「そこだっ、やれ!!」と指差しながら声を張り上げるようになる。
するとグランシェス兵達が「オオオオッ!!」と叫び声を上げ、慣れないパイクを両手に構えて次々と突進していた。
グサグサと貫かれた兵はそのまま地面に倒れ込んで血だまりを作り、二度とは起き上がって来なくなった。
それが何を指しているか、モレク兵達にはすぐにわかった。
「まずいっ、怖がるな! 勇気を振り絞れ!」
「お、おうっ!!」
再度自身を鼓舞し、立ち向かう者が居た。
どうやっても竦んだ足を動かせない者も居た。
あっという間にリディニークの周囲では入り乱れるような混戦が始まった。
リディニークとはグランシェス人にとっては、巨大な雪熊を相手するのと変わらない存在だった。
しかしモレク人にとってはそうではなかった。これまで彼らは、加護の利く人相手としか戦った事が無かったのだろう。
その事実がリディニークを必要以上に巨大に見せ、強靭に見せ、強敵であるかのように見せていたのだ。
むんずと巨大な前足で胴を掴まれる。
雪の地の上に叩き付けられ、グシャリと歪な音を立てる。
剣はその分厚い毛によって弾かれ、そのぎざぎざの透明色の牙がボリボリと音を立てて鎧の鉄板をひしゃげさせながら、骨をかみ砕く。
「だ、だめだっ――」
「こいつ、化け物だっ!!」
誰かが叫び、それは言い知れない底の無い不安を周辺へと瞬く間に伝染させていく。
それとは、恐怖だった。
リディニークの凶暴さを目にしたモレク兵が畏怖を覚え、そんな者を次々と見つけ出してはルドルフは的確に、自身の兵たちに攻撃を仕掛けるよう指揮を取る。
「そこだ! 行けッ!」
ルドルフの指示に従って、「ウラアァァァッ!!」と大声を張り上げながら、威勢だけは良く鍛錬も何もなっていないパイク兵達の一突きがモレク兵へと向けられる。
本来ならば簡単にいなせる筈の攻撃を腹に受け、そのモレク兵もまたガクリと地に足をついて二度と立ち上がらない。
一人、また一人と伏して行く黒金の鎧の戦士たちの姿は、モレク兵たちからみるみる勇敢さを取り去って行ってしまったのだ。
「ま、まずい。やっぱりもうダメだ……」
「お、お母ちゃん! お母ちゃん――!」
とうとう、情けなく叫びながら背を向けて逃げ出す者が出始めてしまった。
リディニークの見たことも無い姿に対する恐怖を取り払う事はできたモレク兵たちだったが、この一点に対する恐怖だけはどうしても取り払うことができなかったのだ。
それは――ダンターラの加護が一切通用しない事。
それこそがモレク兵達に誤魔化しようもない途方もない恐怖心を与える者の『正体』だった。
それでも踏ん張ってなんとか奮闘していた兵たちも、慌ただしく逃げ去って行く仲間の姿を見ていよいよ顔色を変えるようになる。
「なんだこいつ――やばいぞ、まずい……!」
「引け、引けえぇッ!!」
先陣がほんの少し減っただけでモレク兵たちは退却を始めていた。
加護の通用しない対象がそれほどに恐ろしいのか。
「……胸糞の悪い連中だ」
ボソッとルドルフは呟いていた。
やつらは虐殺しか出来ないのか。
優勢である時はさも正義だと言わんばかりの態度であるくせに、いざ自分がやられる側に立つと、まるで一方的な被害者だとでも言わんばかりに恐れおののいた顔をする。
気付けば、太陽が昇り始めていた。
後退するモレク兵達や、この場に生まれた赤く染まった戦の痕跡を、日の光が明るく照らし始めるようになる。
撤退するモレク兵達を支援するかのように、銃の弾が次々と飛んできた。
一人、二人と弾を受け始めた味方の姿を見て、ルドルフは煙が随分と薄まっている事に気付いていた。
「チッ――煙幕を絶やすな! 撃て!」
ルドルフが叫ぶと、「ダメです! 筒を切らしました!」と味方の声が返ってきた。
(やはり無茶な作戦だったか……? このまま畳み掛けてやれと思ったんだが……)
そう思ったが、ルドルフは首を横に振っていた。
「……仕方がない。ならば一度後退して……――」
その時である。
「おーい、ルドルフ――!」
そんな声が後方から聞こえてきた。
「っ……!」
ルドルフは馬を翻すと後方に向かって走っていた。
自身の軍の最後尾を抜けると、すぐ近くまで走り寄ってきたグランシェス兵の援軍の姿を見つけることができた。先頭に立つのは、馬に乗ったエリオットの姿だった。
「遅い!!」とルドルフは叫んでいた。
「何のために夜のうちに連絡役を走らせたと思ってるんだ!!」
ルドルフの怒声に、「悪い悪い」とエリオットはへらへらと笑う。
「酒がなかなか抜けなくてさ。――でも、連絡役に言われた通り、工兵に筒を作らせながら残った兵士を全部連れて追い掛けて来てやったぜ?」
「だったら煙幕の続きは任せたぞ!」
ルドルフはそう言い、「了解!」とエリオットは応じた。
そして、「第十九隊、第二十隊甲団、前へ!!」と叫んだ。
すると各隊の隊長がそれに応じるようにして、「前へ!!」と叫んだ。
およそ一千五百人の弓やクロスボウを持った兵が筒を取り付けた矢を番えながら前方へ行くと、代わりに先ほどまで矢を放っていた兵たちが後方へ下がるようになる。
「撃て――っ!!」とエリオットが叫ぶと、一斉射撃が再び始まった。
その光景を眺めた後、エリオットはにやにやと笑っていた。
「……ひゅう、副総隊長って楽しいねえ」
「うるさい。即席でデカい面をするな」
しかめっ面でそう答えた後、ルドルフは再び馬を翻した。
「さて、それでは行くぞ! これより逃走する敵を追い掛けて一気に門の中へ雪崩れ込む! ――エーミールのような気の利いた策略はできないがな。ここまで来たら、勢いに乗って畳み掛けてやるしかない。これが俺のやり方だッ!!」
そしてルドルフは馬を走らせ、再び前方へ躍り出ると叫んでいた。
「総員、突撃――ッ!!」
「「ウラアアァァァァッ!!」」と、一同は雄叫びを上げていた。




