8:代用品の娘
追悼の日から半月ほどの月日が経った。
その日、いつものように書斎に篭って執務に勤しんでいるグランシェス王の元に届いたのは朗報だった。
「陛下、お喜びください!」
そう言ってグランシェス王のロジオンの前へ歩み出たのは、一人の騎士である。
「ゴート地方の方で、陛下のご要望通りの娘が見つかりました。これで陛下の一人娘を亡くされた悲しい気持ちも癒えるに違いありません」
「それは本当かね?」
ロジオンは椅子から立ち上がると、笑みを浮かべていた。
「詳しい話を聞かせてくれたまえ」
ロジオンに促される形で、「はっ」と騎士は説明を始める。
「名はフレドリカ=ドーシュ様。陛下のお父上の妹型の家系に当たる、上位貴族の家柄です。器量も評判が良く文句無しの逸材でしょう。ただ――歳は十二歳、少々若すぎるかもしれませんが……――」
「なるほど、構わぬ」とロジオンは答えていた。
「若い分、女の花盛りを楽しめる期間も延びるというもの。女は若ければ若い方が良いに決まっておる」
「は、はあ、そうですか? それでは――」
「うむ。連れて参れ」
ロジオンのその言葉に、騎士は「ははっ!」と敬礼を行う。
すぐさま部屋を後にした騎士を見送ってから、ずっと沈黙を保ちながら傍らに立っていたラルフに、ロジオンは話し掛けていた。
「これでようやく、肩の荷も下りるというもの。新しい娘を手に入れたら、すぐに婚約の支度を進めねばな」
「左様で御座いますな」と、ラルフは頷いていた。
イド村はグランシェスの中でも尤も辺境に存在している。
そのため、王女フェリシアの追悼式の件は、今の所一切情報として入ってきていなかった。
その日もエーミールは普段使われていなかった部屋に行くと、暖炉の火が消えていないかを確かめ、新しい薪をくべていた。
傍らのベッドにはフェリシア姫……らしき少女が青白い顔をして眠っている。
あの後、決死の手当が利いたようで、今や彼女の心音はしっかりと聞こえているし、深くゆったりとはしているものの、安定した呼吸を確認することもできる。
しかし――一つだけ問題点があった。
(……目覚めない)
エーミールは唇を噛んでいた。
そう――いつまでも彼女は目覚める様子を見せないのだ。
(こんなんじゃ、生きてるうちに入らない。死んでるも同然じゃないか……)
「確かに、また会おうって言ったけどさ……こんな再会の仕方、最悪だよな……」
エーミールは天井を仰ぐと溜息を零していた。
三年前と同じ、エーミールの母と隣家の老婆エドラと、エーミール。この三人で、徹夜の看病の末、容態が落ち着いた頃、暗く沈んだ表情を浮かべながら母が話していた。
「意識が戻らない以上、この方はいつ死んでもおかしくないわよ……。ある日突然心臓が止まっていたとしても、驚いてはいけないわ、エーミール。とにかく、意識が戻るまでは気を抜いてはいけない」
「うん……わかった」とエーミールは頷いていた。
その日から彼女の様子を毎日見に来る事が日課となった。
村の大人は、「とにかく、姫様の存在をグランシェス城に知らせた方が良いんじゃないか?」と話していたが……。
(何か……胸騒ぎがする。大体、どうしてお姫様はたった一人でリュミネス山に居たんだ? 普通なら、お付きの人とかが居るはずだろ? なのにそれらしい痕跡なんてどこにも無かった。おかしいよ。何かがおかしいんだ)
エーミールはやがて暖炉の前から立ち上がると、振り返ってベッドのフェリシアの方へと歩み寄っていた。
そこでは彼女が今もまるで眠っているかのようにして、そこに横たわっている。
「……お姫様」と、エーミールは呟いていた。
目の前で眠る彼女は、確かに三年前にこの村に立ち寄ってくれた、プリンセス・フェリシア=コーネイル=グランシェスだった。
三年も経っているが、三年しか経っていないのだ。
あどけなさこそは随分と無くなっているものの、その面影や顔立ち自体は何ら変わらない。
相変わらず、女神イスティリア様を髣髴とさせる美しい容姿を彼女は持っていて、今やそれに成熟した女性的な魅力が加わっているが故に、三年前と比べても益々キレイになっているように見えた。
(お城に伝えるべきなのかな?)
エーミールがそんな風に考えていると。
「エーミール、大変よ!」
いきなりドアをガチャリと開けるなり、何の了承を得る事も無く母が部屋に入ってきた。
「母さん?」とキョトンとした目を向けるエーミールに、母は何やら血相を変えている。
「さっきね、ウインテルから来た配達の人が話してたんだけど……!」と前置きしてから、母が言った。
「フェリシア=コーネイル=グランシェス様が急なご病気でお亡くなりになったとかで、シンバリの方で追悼式があったんだって!」
「え……?!」
エーミールはギョッとした後、ベッドの上で今も眠っている彼女の方へ視線を移していた。
「じゃ――じゃあ、この人は一体誰なんだ? だ、だってどう見ても、この人は……!!」
「ええ、そうね……お姫様にそっくりよね」
「じゃあ、どうして……!」
動揺するエーミールに、母はしばらく沈黙の後、話していた。
「とにかく……もしかしたら、この方の存在のことを、お城には伝えない方が良いのかもしれないわ。そもそも、いつ目覚めるともわからないし……もうしばらく様子を見ましょう、エーミール。この件は村長に伝えておくから」
「うん……そうだね……」
エーミールは青ざめた面持ちのまま、頷いていた。
多くの不安を残しながらも、今日もイド村の一日はゆったりと過ぎていく。
それはある晴れた日のことである。
首都シンバリの大通りを真っ直ぐに突き進んで行った先にある、グランシェス城。
その前に止まったのは、屋形を引いた一台の馬車だった。
グランシェス城の前では二人の正装した騎士が立っており、その手前で、御者を務めていた執事らしき白髪の老紳士が御者台から降りた後、屋形の方へ行ってドアを開ける。
そこから降りてきたのは、藤に似たウィスタリア色のドレスを身につけている、まだ幼いと言った方が近いぐらいの少女である。
準成人にすら満たない幼さを湛えながらもその少女は、既に美しい容姿の片鱗を覗かせていた。
整った目鼻立ちに、膨らみかけの胸がドレスに淡い凹凸を生み出している。見る者に雪景色のような純粋無垢さを彷彿とさせるフェリシアともまた違う、あどけなさの中に危うさとも取れるような特有の色気を帯びた少女だった。
また、髪の色は透き通った銀色をしており、瞳の色はブルーである。
それはついこの前までこの城に居た、美姫フェリシアと全く同じ色であり、それこそが、この少女が女神イスティリアに縁のある血を持った人間である事の証だった。
その少女が御者に手を引かれる形で屋形から降りてくると、グランシェス城を改めて仰ぎ見て、「……うわあ」と小さな溜息を零していた。
「とても大きいですね。私が住んでいたお屋敷とは比較にならないほど立派です」
「左様で御座いますね、フレドリカ様」
そう言って執事が微笑んだ。
そんな執事に、フレドリカもまた申し訳なさそうに微笑みかける。
「それにしても……今回はありがとうございます、テオドル。私のワガママだったのに、ついて来てくれて」
テオドルと呼ばれたその執事は、ゆっくりとした動作で「いえいえ」と首を横に振っていた。
「決してフレドリカ様のワガママでは御座いませんよ。旦那様が良いと仰られましたし、ここの国王様も受け容れてくださいましたからな」
「ええ、そうですね」と言ってフレドリカは改めてグランシェス城へと目を向けていた。
「陛下はとてもお優しい方です。だって、この私を養子に迎えると仰ってくださったのですから。ドーシュ家に活気を取り戻すためにも、きっと私はこの重要な役割を果たして見せます。きっとお爺様の期待に答えてみせます」
フレドリカのそんな言葉に、テオドルはニコニコと笑いながら頷いていた。
「旦那様もお喜びになられますよ。さあ、参りましょう、フレドリカ様」
「はい!」とフレドリカは頷くと、グランシェス城の門の方へと歩んでいた。




