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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 軍勢と共に
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6:次なる作戦

 日がとっぷりと沈んだ時間になっても、グランシェス城の奥まった場所に位置する王の書斎の中からはカリカリというペンを引っ掻く音が聞こえる。


「……はあ」と、ふと羽ペンを持った手を止めて大きく息を吐き出したのは、肩までの長さの美しい銀色の髪をしたドレス姿の少女。

 雪を彷彿とさせる無垢さと煌びやかさを彷彿とさせる、まさに白銀の美を湛えたその少女の名は、フェリシア=コーネイル=グランシェス。ここグランシェス王国の若き女王である。


(今月の収穫が先月比で……アゴナス地方からの貢租がこれぐらいで、あとは……あ、こっちが人事計画書? ああ、文官が……)


 フェリシアは右の書類に手を伸ばし、そのまま肩を落としていた。


「人手が……人手が足りないのが全て悪いのよ……もう少し仕事を回せる文官が欲しい……うう、こういう時に新たな人材を収集しやすいよう、普段から人民にもっと勉学を教える施設があった方が……」


 ぽそぽそと呟きながら、ふとフェリシアは傍らに目を移す。

 広いテーブルの端にはとうの昔に冷たくなった料理が乗せられたプレートが置かれていた。

 木製の器の上に、スープにパンや肉、フルーツやサラダやチーズ等、色とりどりの料理が乗せられている。

 それは、いつまでも書斎から出てこない女王陛下の為に料理人が運んできてくれた物である。


(……いけない。すっかり冷めてしまったわね)


 フェリシアはペンをことりとテーブルの上に置く事を選んでいた。


(暖かいうちに食べるのが料理人へのマナーと言うけれど……さすがに申し訳ないことをしてしまったわね。あまり時間が遅くなるとカリーナにも叱られるし、そろそろ夕飯を済ませてしまわなければ)


 そう考えてフェリシアが机の端のプレートに手を伸ばそうとした、その時である。

 コンコンというノックの音が聞こえてフェリシアはギョッとする。


(……まさか、料理長が引きに来た? いえ、或いはカリーナかしら? そ、そこまで遅くまで作業をしていたのかしら……)


 はらはらとしていると、ドア越しに声が聞こえた。


「フェリシア、居る?」


「あ……――」


 自身にこんな口の利き方をする者など世界中に一人きりと決まっているのだ。


「ど、どうぞ」


 そわそわと佇まいを正すうちドアが開いて案の定の人物が入ってきた。

 灰色の髪をした中性的な顔立ちをしている、二歳も年下の少年。


「まだ仕事中なんだね。でも、まだここに居てくれて良かったよ」


 そう話しながら後ろ手にドアを閉ざした後、傍らのコート掛けに着ていたクロークを引っ掛けるエーミールの姿を見て、フェリシアはぱあっと表情を綻ばせる。


「エーミール」


 にこにこと微笑むフェリシアの様子を見て、エーミールもまた笑顔になっていた。


「機嫌良さそうだね。何か良いことあったの?」


「え? ……ええと。少し、ね」


 そう言ってフェリシアはコホンと咳払いをして赤み掛かってきた顔色を誤魔化していた。

 そんなフェリシアの態度を不自然にも思わないままエーミールは歩み寄っていた。


「忙しいところ悪いけど、話がしたくてさ。良いかな?」


「話ですか?」


 キョトンとした目を向けるフェリシアに対し、「うん」とエーミールは頷きながら大きなテーブルの近くにあった木製の椅子に腰掛けていた。


「次の作戦の件なんだけど……」


 おもむろに切り出したエーミールの話題を聞いて、あっという間にフェリシアはムスッとした表情を浮かべるようになった。


「……なんだ。また仕事の話?」


「え? そうだけど……」


「おかしいと思いませんか?」


 不機嫌そうな様子のままおもむろに彼女が言ったのはそれで、エーミールはキョトンとしていた。


「えっ、なにが?」


「だって、よく考えてみてください。幾ら戦中とはいえ、私たちはフィアンセ同士ですよ? 顔をつき合わせれば仕事の話しかしない婚約関係がこの世のどこにありますか?」


「え?! ええとー……」


 エーミールは腕組みをしてしばし考え込んだ後。


「……こ、ここに?」


 ぎこちない笑みと共に発した彼の言葉によって、フェリシアは余計に腹を立てていた。


「ここに、ではありません! もう少し仲睦まじくと、先日申し上げたではありませんか……そ、それに、大体、結局なでなでだってまだしてもらってないし……」


 そう話しながらも恥ずかしいという自覚がある様子で、フェリシアはみるみる頬を染めていくようになる。


「あ、そ、そういえばそうだったね……。捕虜の対応で忙しかったから忘れてたよ。ごめん……」


 気まずそうに笑うエーミールに対し、フェリシアはため息をつく事しかできなかった。


「……まあ、初めからわかっております。あなたはそういう人であると。それに――」


 フェリシアの視線は自身の夕食の方へ向けられていた。


「……仕事ばかりなのはお互い様ですね」


 そう呟いたフェリシアの声には自らに対する呆れにも似た空気が混ざっており、エーミールは苦笑を浮かべる。

 そんなエーミールの前でフェリシアは改めて夕食の乗ったプレートを手元に引き寄せながら、「――それで」と話し掛ける。


「食べながらで良ければ伺います。次の作戦の件でしたね?」


 そう言って透き通るような青い瞳を真っ直ぐ向けてくるフェリシアの姿は落ち着き払った態度になっており、すっかり女王様モードである。

 そんな彼女の態度を見て、悪いことしたかな。とエーミールは反省していた。


(フェリシアの事、カリーナさんに任されたばかりなのにな)


 こうやって女王としての責務ばかり負わせていては良くないのだ。とはいえ、今の優先順位が次の作戦に関する事であるという事は紛れも無い事実である。


「それで、次の作戦なんだけど」と、エーミールは気を取り直すと話を始めていた。


「そろそろエルマー地方に進軍する」


 エーミールがフェリシアに話した事はそれだった。


「それに伴い、特に好意的に見えるモレク人捕虜の一部をグランシェス人に帰化させ、グランシェス兵として次の進軍に同行してもらおうと考えているんだ。リスキーである事はわかっている。けれど、次の作戦にはモレク人の協力が欠かせない」


「……わかりました、捕虜の件については許可致しましょう」と言ってフェリシアは頷いていた。


「ですが、きちんと見極めはした方が良いですよ。友好的な姿を取り繕っているという可能性もありますから……」


「うん、わかっている。よほど信用できそうな人に限るつもりだよ。それに伴って、ちゃんとキミが提案した『試験』も行うつもりだ」


「ええ、それが良いでしょうね」


 頷いたフェリシアに、「それから」とエーミールは話を進める。


「リディニークの件だけど、今日の様子を見るからに随分と民衆に馴染んでるみたいだね。リディニークって、なんて言うかさ……」


 すこし考え込んだ後、エーミールはにこやかに話す。


「破壊が好きというよりも、恐れられるのが好きってタイプなんだろうな。どうも皆がリディニークを慕ってるうちは機嫌が良さそうだし、彼女自身畏怖されるような行動がしたいって考えがあるみたいなんだよね。もしかしたら作戦に組み込めるかもしれないよ。そうなると、グランシェス兵の兵力は――」


「――ちょっと待ってください」


 フェリシアはどうしても先のエーミールの話の中にぽろっと紛れ込んでいたセリフを聞き流すことができなかった。


「彼女って、どういうこと? えっ……うそ。もしかしてリディニークって」


「え?」と一瞬だけキョトンとした後、エーミールは笑顔で答えていた。


「――神格化した先が女神様だよ。もちろんリディニークも女の子だよ」


「えええぇぇ……?! ちょ、ちょっと見る目変わるかも……」


 フェリシアは唖然とした後口元を手で抑えながら目を白黒とさせたが、間もなく。


「……ちょっと待ってください」


 ボソボソと彼女が呟いたため、エーミールは目を丸くしていた。


「ん?」


「……つまり、エーミールという人は。そんな女の子であるリディニークに、やっぱり、なでなでしたりよしよししたりしているのですね……」


 フェリシアが発散する空気がなんだか黒い。なんだか怖い。


「い、いや。リディニークはそういう事してないかな……?」


 しどろもどろ答えたエーミールに対し、「ほ、ホントですか?!」と言いながら、フェリシアがずいっと詰め寄ってきたので、エーミールはなんとなく赤くなっていた。


「ほ、ホントだよ?」


「……でもあなた、ヴィズには……」


「いや、それは当たり前だろ?! 僕の犬だし!」


 思わずそう答えたエーミールに対し、フェリシアは「……僕の犬……」と呟いていた。


「はあ……そうですよね。あなたは結局、私よりもヴィズの方がたくさん普段からナデナデしてるんですよね」


 何故かフェリシアは落ち込んだ様子でため息をこぼしている。


「片や私は幾度となく忘れられ……」


 ボソボソと零れた呟きはなんとも恨めしそうである。


(あれ……ひょっとして僕って随分と鬱憤溜め込ませてる?!)


 エーミールは今更その事に気付いていた。


「ご、ごめん! あ、そ、そうだ! 後で散歩でも行こうか?!」


 エーミールは慌ててそう言ったが、「そして幾度となく忘れられ……」とフェリシアが呟いた。これはもはや重症である。


「さすがに忘れないよ!」


「……そうですか?」


 聞き返すフェリシアの目は欠片も信用していなかった。


「そ、そうだよ。だから早く仕事の話を終わらせちゃおう!」


 エーミールはそうやって提案していた。

 しかしフェリシアは、ふいと視線を書類の束の方へ向けていた。


「……こちらも終わらせねばなりません」


 フェリシアの指摘に、エーミールはギョッとなっていた。しかし結局、これは腹を括るしかない……と考え、頷いていた。


「……だったら僕も手伝う。その方が早く終わるだろ?」


「…………」


 思わず黙り込んでジッと見つめてきたフェリシアの目は驚愕の色で満ちていた。

 エーミールがそこまでの本気を見せるのが、どうやら余りにも意外だったらしい。


(僕ってヤツは)と考え、エーミールは苦笑していた。


「随分と我慢させちゃってたね。僕の本分は参謀なんかじゃない。僕がここに居るのはキミを助けるためで、女神が僕に求めているのはキミとの関係だ。キミとの事の方がずっと大事だっていうのに、それを忘れてちゃいけないよね」


 そう言ってエーミールは頭を撫でてきたため、まさかそう言われるとは思ってもみなかったフェリシアは真っ赤になっていた。


「……そ、そうでしょうか」


「うん。だったら――わかった。これだけはずっと考えていたけど、こうしよう」


 エーミールは急に改まった様子になってフェリシアの目を見つめてくるようになった。


「次のエルマー攻略戦は僕も同行するつもりなんだ。でもキミは一人で城に残る事が嫌だと言っていたね。危険かもしれないけど、僕と一緒に行こうか」


 そう言ってエーミールは微笑んでいた。

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