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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 仮初めの王女
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7:鎮魂歌《レクイエム》

 吹雪は二日もの間吹き荒れ続けた。

 それはグランシェス王国の全土を覆い、雪の中に沈めて行く。


 まるで女神イスティリアが嘆き悲しんでいるかのようである。と――人々は囁き合った。


 この日、吹雪が止んだ後も、シンバリの町は暗く沈み込んだ空気で覆われていた。

 しかしそれは吹雪のせいではない。


 この国の誇るべき美姫フェリシア=コーネイル=グランシェスの訃報は、この国の民の誰もを悲しませたのだ。


 そのため、今も大勢の民が吹雪の翌日であるにも関わらず、引っ切り無しにシンバリの町にある大神殿に訪れていた。

 そうして神殿の儀礼の間にある、女神イスティリア像の前に横たえてある棺の前に、ロウソクを並べていくのだ。


 明かりの灯ったロウソクを持った民の列は、神殿の門を越え、大通りの向こうまでも延びていた。


 彼らは皆一様に、口ずさむ。

 死者の魂を女神イスティリアの袂に送り届けるための、鎮魂歌レクイエムを。





 白い世界がどこまでも続いている。

 ここリュミネス山では、昨日までの吹雪が嘘のように、澄み切って乾燥した空気が銀世界の隅々まで行き渡っていた。


 その中を、小さな足跡と二本の細い筋をつけながら駆けている、白く立派な体格をした犬の姿があった。

 それはこの辺りでは一般的に見られる、北領犬サバーカという種類の犬で、木枠を組み上げたような構造をしているそりを引いている。


 毛の長いその大きなそり犬は、名前をヴィズという。

 その犬は今年でようやく三歳を迎える若い成犬であり、一年前に“彼”が準成人になった記念に父親から貰った、訓練済みのそり用の犬である。


 ヴィズは繰り手を乗せたそりを引きながら、白銀色の坂を今も軽やかに駆け登っていた。


「……足止めを食っちゃったなあ」


 ふとそんな風に呟いたのは、繰り手の少年だった。

 彼は声変わりを終えたばかりであるようで、独特のテノールの声を持っていた。


「まさか収穫物をウインテルに卸売りに来ているうちに吹雪に遭うなんてな。でも、長引かなくて良かったよ」


 毛皮のコートとズボンを纏い、腰のベルトにはカバンと水筒を吊り下げている、灰色の髪をしたその少年は十六歳の準成人という若さである。

 それでもまるで成人のように犬ぞりを繰る事ができるのは、彼が住む村ならではの逞しさだろう。


 イド村出身の彼の名は、エーミール=ステンダールといった。


(とにかく、早くイド村に戻ろう。そんでもって――)


 その時である。


 ガクンッとそりが揺れたので、「わっ?!」とエーミールは慌ててそりに掴まる手の力を強めていた。


 ヴィズが急に立ち止まって、その場でワンワン! ワンワン! と、しきりに吠え始めるようになったのだ。


「ヴィズ、どうしたの?」


 違和感を察知して、エーミールはそりから飛び降りるとヴィズの元へ駆け寄っていた。

 ヴィズは足元の雪に鼻先を擦り付けながら、しきりに吠え続けている。


 その様にただならぬ物を感じた彼は、すぐさまその場にしゃがみ込むと、雪を掘ることにした。


 カバンの中から取り出した折り畳みスコップを使って、慎重に雪を撫で払うようにして掘り進めて行くと、すぐに雪以外の色を見つける。


「……――!!」


 エーミールは血相を変えると、すぐさま雪の中の“それ”を掘り起こしていた。

 そうやって彼が掘り起こしたもの。それは――


 銀色の腰まで届く美しい髪をした、十八歳頃に見える、年頃の少女だった。


「…………」


 ――女神イスティリア様みたいだ。と、一瞬考えて、少しの間エーミールはぽかんとしてしまう。

 と同時に、どこかで見たような……という既視感にも襲われる。

 が……――すぐに気付いていた。

 これが一刻をも争う……どころか、とうの昔に手遅れであっても違和感が無い状況であるということに。


「大変だ……!!」


 エーミールはすぐさまスコップをカバンに押し込むなり彼女を抱き抱え、そりに飛び乗っていた。

 ここからイド村までの距離は、そりを全力疾走させれば、およそ三時間ほどだろうか。


「ごめんっ、ヴィズ! 大変だろうけど、頑張って!!」


 エーミールに急き立てられ、緊張した空気を察したのか、ヴィズはそりを引き駆け出していた。

 その間、エーミールは腕に抱えた少女の体温を服越しに確認する。


 小さく軽く感じるその少女は、恐ろしいまでに冷たく、まるで吹けば消えるような存在に思えてエーミールはゾッとしていた。


 自発的な発熱が望めない上に、意識が無く、脈も心音も感じられない。もはや死んでいると言われても納得できるようなこの状態。

 いずれにせよ万に一つを望むにしても、応急処置を施すよりも、一刻も早く暖かい場所へ連れて行くべきだろうと判断した。





 思っていたよりもエーミールは随分と早くイド村の自宅に帰ってきた。それも、血相を変えながら。


 家の前まで行くと、それぞれ灰色と白色の毛並みを持っている二匹の体が大きな北領犬サバーカが駆け寄ってくる。

 そんな彼らに、「ごめん、ちょっと退いてね」と声を掛けながら、エーミールは家の玄関ドアをバタンと開けていた。


「ただいま! 母さん、大変だよ! この人がリュミネス山に埋まってて――」

 言いながら家に駆け込んできたエーミールの背中に背負われている女性を見つけて、母もまた血相を変えていた。


「なに?! あんた、また王女様を拾ってきたの?!」


「王女? ……え。この人、お姫様?!」


「何驚いてんの。銀髪なんだから、王家の方に決まってるでしょ!」


「だ、だってこの人、小さいよ?! お姫様だったら確か、僕と同じ背丈で――」


「あんたが大きくなっただけでしょ?! それよりも、私の部屋で良いから運び込みなさい! すぐにエドラさんを呼んでくるから、それまでエーミールがお願い!」


 母はそう言い残すなり大慌てで家を出て行ってしまう。


 そうかーさっきの既視感はそのせいだったのか。と納得しそうになるが、すぐにそれどころでは無いことをエーミールは思い出していた。


 エーミールは彼女を背負いなおすと、すぐに母の部屋に運び込んで、そこにあるベッドに寝かせていた。

 暖炉には火がついていないが、さっきまでは焚いていたのか、部屋は暖かい空気が充満している。

 それならば暖炉を見る前にやるべき事が山積しているだろうと思って、エーミールはすぐに彼女の衣服を緩めていた。


(って、これ、僕がやるの?! 良いのかな……って、躊躇してる場合じゃないもんなあ……)


 三年前はずっとお姉さんだと思っていた相手が、今日は前ほどに離れた存在であるように見えなくなっている。

 そのため、エーミールは緊張感と恥ずかしさを覚えたものの、それどころでは無い事は十分に理解している。

 だから聞こえていないことを理解しながらも「ごめん」と小さく謝った後、彼女のスカートのすそに手を差し込んでいた。


 そうやって下着の中に手をもぐりこませると、手探りでお尻の方から指を差し込んで体温を測る。

 そうしながら、指先に伝わってくる温度が人とは思えないほどに冷たいものである事を感じ取って、ゾッとしたものを感じる。やっぱり手遅れなんじゃないかと一瞬思いかけた。


(いやいや……諦めちゃダメだ! 諦めたらその時こそ、お姫様は確実に死んじゃうんだぞ?!)


 エーミールは叱咤すると、すぐに恐怖心を思考の向こうへと追いやって、まるで眠っているようにも見える彼女の首筋に手を宛がい、その後胸元のボタンを取り外すと服を弛め、露出した胸元に耳を押し当てていた。


(心音は……脈は……やっぱり……。……いやっ、諦めるな……!)


「絶対に助かる。助けてみせるって、誓うんだ……!!」 


 エーミールは歯を食いしばると、しばらく心臓マッサージを繰り返した後、彼女の顎を持ち上げて鼻を摘むなり、口を口で塞ぎ、息を吹き込んでいた。


(怯むなッ! 絶対に……絶対に、助けるんだから!!)


 エーミールはともすれば這い上がってくる絶望を心の端に追いやりながら、幾度も心音を確認しながら人工呼吸を繰り返していた。


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