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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 畏怖なる者
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20:宴の後

 その日の晩餐会はその後、半ば中断する形でお開きとなった。

 これ以上続ける状況ではなくなってしまったからだ。


 フェリシアはエーミールを引っ張って、直々に来賓達を見送りに行って謝罪の言葉を伝えたが、彼らの返答は思っていたほど辛辣な物ではなかった。


「実は私共は私共であの竜について調べてはいたのです」


 そう話したのは、先頭に立ってエーミールを糾弾しようとしていた筈のエスビョルン卿だった。


「それで、真に女神と縁のある獣であることは理解した上でこの会に挑みましたが、竜というのは張り子ではないか、或いは、何か談合のような物でもしているとすればと警戒していました」


 エスビョルンは、フェリシアに対してもエーミールに対しても、いつの間にか責めるような目は向けなくなっていた。


「あれは張り子でもなければ演技でも無かった。あれほどに強大で凶暴な竜の力を奪い従えるほどの少年です。確かに女神様の神託の通り――彼には逆らわない方が良いらしい」


 そう言ってエスビョルンは気が抜けたような微笑をエーミールの方へ向けたから、エーミールは恐縮しようとしたが――すぐに思い直すと胸を張って笑顔を返していた。


「……安心してください、エスビョルン卿」


 エーミールはフェリシアの隣に立ちながら、彼に向ってそうやって伝えていた。


「私は女神と私自身に掛けて、この国の名誉を失墜させないと誓います。他国の者に嘲笑されないような、立派な王族になってみせます」


 そんなエーミールの頑とした言葉を聞き、エスビョルンは破顔していた。


「頼もしい」


 それだけ言い残すと、礼をしてからこの場を立ち去るようになる。


「……エーミール」


 そうやって話し掛けてきたのはフェリシアだった。

 目が合うと、フェリシアはにこっと微笑み掛けてくるようになる。


「様になっていますよ」


 フェリシアのその言葉は最上級の褒め言葉であるような気がして、エーミールは嬉しくなっていた。


 その後も帰宅する来賓一人一人に挨拶する中、エーミールに対して後ろ向きな意見を述べるのはごく少数となっているのがよくわかった。その少数も、先のリディニークの件で随分と畏怖した様子だった。


 一時はどうなるかと思ったが、リディニークの暴走はプラスに出たと考えて良かったのかもしれない。


 尚、アゴナス地方に所属している貴族達はさすがと言うべきか、エーミールに対する当たりが最初から最後まで良かった。


「こういうのって、怪我の功名というやつなのかな」


 そう言ってホッとした様子で笑うエーミールの様子を見て、フェリシアは微笑を浮かべていた。


「そうですね。ですが、私たちは何も間違ったことはしていませんから、ある種この結果は妥当であると言って過言ではありません」


「うん……そうなのかな」


 ボソッと呟いたエーミールに対し、「そうですよ」とフェリシアは返答する。


「施政者たるもの、何も間違えていないと確信せねばどうするのですか? 自分自身ですら誤りかもしれないと疑うようでは、それに追従する家臣たちに示しが付かないではありませんか」


「そうか……それもそうだね」


 エーミールは目から鱗でも落ちたような気分だった。

 なるほど、だからフェリシアは傲慢になれとエーミールに話していたのかと、この時やっと本当の意味に気付いていたのだ。


 そうこうするうちに、とうとう最後の一人になった。

 最後に歩み寄って来て「エーミール様、フェリシア様」と声を掛けてきたのは、アゴナス地方領主のフォーゲルン卿だった。


「本日は堂々としていて実に見事でした。こうして途中でお開きになってしまった事が悔やまれるほどです。最初はどうなる事かと思いましたが、エーミール様にしてみても、随分と貫禄が付いて来たようですな。これからは神官としてばかりでなく、王家の一員としての活躍も見られるかと思うと楽しみです」


 フォーゲルンの言葉に、にこやかに返していたのはフェリシアだった。


「王家の一員だなんて、気が早いですよ。フィアンセとは申し上げても、しばらくは婚礼の予定はありません。まずはこの戦を終わらせてしまわないと」


「それもそうですな。では、しばらくは参謀としての活躍を期待しています」


 そう話すフォーゲルンに、「……そういえば」とエーミールはふと気になる事があって話し掛けていた。


「アゴナスでの私の噂はどうなっていますか?」


「相変わらず、庶民の間では盛り上がっていますよ。女神信仰がこれほどに庶民間で盛り上がったのはあなたが来て以来です。神官達は皆喜んでいます」


 にこやかに答えたフォーゲルンに対して、「……そうですか」とエーミールの方は複雑な表情を垣間見せるようになったので、フェリシアはキョトンとしていた。


「……どうかしたの?」


「そういえば、陛下は実情を目にしていませんでしたね……」


 エーミールは、先の演説によってアゴナス地方では過剰な崇拝の状況が生まれている事をフェリシアに対して簡単に伝えていた。


「……そうですか。通りで、アゴナス貴族の当たりがやけに良いと思いました。確かにあの時の民衆の目の前での降臨はとても大きな影響力を与えたに違いありません。ですが、大袈裟に膨れ上がった崇拝は不健全ですから、よくありませんね」


 そう答えたフェリシアの様子を見て、エーミールはホッと胸を撫で下ろしていた。

 まさか、これについてまで『ちょうど良いから利用しましょう』とでも言い出したらどうしたものかと心配していたからだ。


「今のシンバリの町のような関わりが丁度良いのですが。しかしシンバリの民はエーミールと直に関わり合いになれるからこそ、妙な幻想を抱かないのかもしれませんが……。アゴナス地方においては、フォーゲルン卿の方から各神殿に勤めている神官へ勧告して頂けますか?」


 フェリシアがフォーゲルンにそう話すと、「それは結構ですが、既にアゴナス地方の神殿の方へは触れを出して、神殿の方から直々に最高神官位の称号がエーミール様に捧げられている筈です。それを剥奪した方が良いという事でしょうか?」と彼は尋ねてきた。


「最高神官位ですか? ……いえ、それは……」


 口元に手を当てたフェリシアの目が光っている。

 使える。と、彼女は間違いなく思っているな。と、エーミールは感じ取って苦笑いを浮かべていた。彼女の表情の微妙な変化はエーミールが一番良く理解できるのだ。


「……それについては現状維持で良いでしょう。しかし、その……頭髪の利益や布施の強化ですか? それについては……少し、神殿の様子を見た方が良いと思いますよ」


 やんわりとしたフェリシアの忠告に、「……様子を見た方が良いとは?」と、フォーゲルンは真剣に聞き入るようになる。

 フォーゲルンはよほどフェリシアを信頼しているのだろうと考えてエーミールは感心していた。


 そんな彼の横で、フェリシアがフォーゲルンに話すのはこんな内容だった。


「……もしかして、私欲に走っている神官が紛れているのでは? ……そうと考えねば不自然な現状ではありませんか。もちろん彼らにも生活がありますから、清貧を望みはしません。ですが……」


 フェリシアがちらっと心配そうな目を向けたのはエーミールだった。


「……民衆が彼の髪を求めに集うなんて危険な事です。ともすれば事故や怪我に繋がりかねないではないですか。そこはあなたの方から不正が無いか調査を入れる事と、過剰に見えるものについては是正を入れるよう勧告を出して頂きたいのです」


 フェリシアの忠告に、「畏まりました」とフォーゲルンは答えていた。


「あまり神殿のやる事に我々が口出しをするのは良い顔をされないかもしれませぬが……」


 フォーゲルンはそう言ったが、フェリシアはにっこり微笑んでいた。


「あら、そうですか? 我が国の王の一員となるエーミールに対し、最高位神官の位を与えたのは彼ら神殿ではありませんか。触れがあっても、断る権利が神殿にはありますからね。でも、それを受け入れたのは彼らの判断です。最高位神官の意向ならば神官である以上は聞き入れなければなりませんよね?」


 そう話すフェリシアを見て、なんとも末恐ろしいと思ったのはエーミールだけではなかった。フォーゲルンも同様である。

 フェリシアは、神殿の立場としてはエーミールを最高位神官として掲げておかなければ現状の収入や民からの信頼を維持できない事。そして、神官である以上は最高位神官の意向を受け入れなければならないという神殿の微妙な立場を利用して、神官達に口出しをしようとしているのだ。


 しかしフォーゲルンはそれを頼もしさと受け取ったようで、ふっと微笑むと「承知いたしました」と答えていた。


 フォーゲルン卿が立ち去ると、ようやくこの場には静粛が訪れるようになった。

 専属メイドの二人は後処理に追われているため、グランシェス城の正門の前に立つのは、門番以外にはフェリシアとエーミールの二人きりとなる。


「お疲れさまでした、エーミール」


 先にそう言ったのはフェリシアだった。


「キミこそ。お疲れさま」とエーミールは返していた。


「……これで晴れて正式に許嫁になりましたね」


 フェリシアの言葉を聞いて、エーミールは苦笑を浮かべていた。


「うーん……何が変わったともわからないけどね……」


「変わって頂かねば困りますよ」


 そう言ってフェリシアははにかんだ笑顔を見せるようになる。


「これまでは君主と家臣という形でしたが、これからは仲睦まじく見せていかねばなりませんから」


「そ……そっか。そうなるのか……」


 なんとなく照れくささと緊張を覚えて前を向くエーミールの方に、フェリシアは一歩だけ歩み寄って距離を縮めていた。


「あと、それから――」


 そう言葉を繋ぐフェリシアに、「えっ、まだあるの?」と思わずエーミールが答えてしまったから、フェリシアがムッとした表情を浮かべるようになる。


「……なんですか。今更不服を申し立てるつもり?」


「いやっ、不服だなんて誰も言ってないけど……」


 エーミールはポリポリと頭を掻いていた。

 そうやって相変わらず自覚に欠けるエーミールの様子に、フェリシアはため息をついていた。


「不服でないなら、『まだあるの』なんて言わずにきちんと聞いてください。以後は私を陛下などとよそよそしい呼び方は控えること」


「えっ?」


「フェリシアと呼び捨ててください」


「……あ、そんな事で良いの?」


 エーミールはホッとした様子になって笑うようになったから、(大丈夫かしら)とフェリシアは不安を覚えていた。


「……あなたの態度には言いたい事が山ほどありますが……」


 ため息の後、フェリシアはこう伝えていた。


「今後ともよろしくお願いいたしますね、エーミール」


 そう話すフェリシアの面持ちは何とも不機嫌そうだったから、エーミールは自分の失態を自覚していた。


「なんかごめんね、フェリシア……」


「……傷付きます」


 ボソッとフェリシアは答えていた。


「傷付きますから、後で慰めに来るように。よしよしで許してあげます」


 小声でそう訴える彼女の姿に、エーミールは苦笑を零していた。


「……キミって相変わらずだね……」


「そうかしら?」と、フェリシアはすまし顔を取り繕いながら答えていた。

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