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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 畏怖なる者
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6:竜との取引

 エーミールとリディニークとの間に『取引』を交わす為に幾日も塔に通った。

 そしてとうとうそれが成立した時、リディニークを繋ぐ鎖は外された。


「ほ、本当に大丈夫なのか……?」


 息を飲みながらシグムンドや他の見張りを務めていた北領犬サバーカ部隊の兵達が見守る前で、エーミールはリディニークを閉じ込めていた塔のドアを開け放っていた。

 するとそこからゆっくりと白い巨体が姿を現す。

 這い出るようにしてむくりと外へ出た後、朝の陽ざしに眩しげに目を細めるその生き物――白竜リディニーク。


 そんな竜の前に一人の男が歩み寄った。


「少し、良いか? 聞きたい事があるんだが」


 そう話し掛けたのはエーミールの父であるレナードだった。


「――父さん?!」


 エーミールは目を見開いていた。

 実のところ、今の今までエーミールはレナードが城に来ている事に気付いていなかったのだ。日々慌ただしく動いていたし、新しい部隊の事は別の者に任せていたせいである。


『灰色の……マルゴルか? しかし、それにしては弱いな。本当にぬしらはアルディナ・マニから、すっかり変わってしまったのか……』


 レナードを見るなり、そう言って目を細めるリディニークの前に立ち塞がったのはシグムンドだった。


「親父さん。こいつの前に立たない方が良い。こいつは危険だ!」


『っ――貴様は……!』


 リディニークはシグムンドに対しては牙を剥いていた。

 しかし傍らでエーミールが、「……良いの?」と呟いたためその動きを止めていた。


『フン……屠るのは後回しにしてやる』


 リディニークがそう告げる原因はエーミールとの間に取り交わした“取引”にある。

 その詳細を誰もが知らないまま、レナードが口を開く。


「……リュミネス山に不自然な吹雪を引き起こしているのはやはり、お前の仕業なのか?」


 レナードは目の前の竜にそれを確認したかったのだ。

 すると案の定、『だったらどうした』という返答が竜から返ってきた。


「吹雪を止めてほしい」


 レナードは淡々とそう告げていた。

 その声には怒りも敵愾心も含まれてはいない。ただ淡々としていた。


『それはできんよ』


 リディニークはサラッと答えていたから、レナードは動揺していた。


「何故だ!?」


『……それは我が意志で成している事ではない』


 リディニークの言葉に続くように、「……父さん」と話したのはエーミールだった。


「リディニークの言う事は本当だ。古竜というのは、万象の司であって、『そこに居ることそのものが現象を生み出す』んだよ。リュミネス山は、あそこは白きブレスの吹き溜まりのような場所なんだ。溜まりやすい場所だから、影響を一番強く受けてしまう。……もう、イド村は元には戻らないかもしれない……」


 ボソボソと言うエーミールはやはり彼らしくない事を話すようにしか聞こえなかった。

 何故彼がそこまでの事を知っているのか? 何故彼は竜の言葉を理解しているのか。この場の誰もが理解できない事だった。


 いや、一つだけ理解できる事がある。

 それはエーミールが『女神に選ばれた神官』とアゴナス地方では呼ばれている事である。


(……確かにエーミールは変わったと思った。つまり、あれは嘘じゃなかったというのか?)


 久しぶりに目にした息子の姿は父にとって、驚愕するしかない物だった。

 そんな父の心境に気付いているのかいないのか、エーミールはどこか寂しそうに微笑んだ。


「父さん、後で落ち着いて話をしよう。今はまだ仕事があるから……それじゃ」


 そう言ってエーミールはリディニークを促すと立ち去ってしまう。

 そんな息子の後ろ姿をレナードは見送る事しかできなかった。


 母さんになんて手紙を書こうか。なんて考えながら。



 エーミールがリディニークを連れて行った先は謁見の間だった。

 道中、通りすがりの兵や家臣たちがざわついていたが、幸いにも引き留められる事は無かった。

 謁見の間に続く扉の両脇に立っているグランシェス騎士が驚愕に目を見開いている。

 そんな彼らに来客が無い事を確認すると、エーミールは扉を開いた。


 今日もフェリシアは玉座に腰掛けていた。

 エーミールが指示を出していたから、騎士の数はやや多めに。

 六人の護衛の他、パトリックとルドルフが揃っていた。カリーナもいつも通りフェリシアの側に控えている。


 そんな彼らの目の前にエーミールはリディニークを連れてきたため、この場に居る者は驚いていた。


「えっ……エーミール?!」


 目をパチクリとさせるフェリシアの前にルドルフとパトリックが立つ。


「エーミール、何やってんだっ!」とルドルフが大声を上げた。


「何故その巨竜を自由に連れ回す?!」


 ルドルフは目の前の竜を鋭く睨み付ける。その一方でパトリックは腰の剣に手を添えながらもエーミールの方へ視線を向けている。事情を尋ねたい様子だ。


「――いえ、二人とも、下がりなさい」


 そう言ったのはフェリシアだった。


「あなたがここに連れてきたという事は、大丈夫ということでしょう?」


 そう尋ねたフェリシアにエーミールは頷いていた。


「うん、取引は終わったからね」


 エーミールがそう答えたため、二人の騎士は戸惑いながらも後方へ下がっていた。

 リディニークはしかし、思わずフェリシアに鋭い目を向けていた。


『感じる……感じるぞ! ワシのブレス! ブレスがここに……!』


「落ち着いて、リディニーク」


 エーミールはそう言ったが、リディニークは息を荒くさせていた。


『ああ、今すぐにでも食い千切りたい! ワシはおぬしと取り交わしをしたがな……この衝動だけはどうにかなる気がせん!!』


「食い千切ったところで。ブレスはあなたの物にはならないよ。わかるだろ? 女神の姿のまま彼女の中に納まっていることが。器を壊しても、元の女神の姿になるだけだ」


(……とは言え、そうなったらすぐに女神の姿は消失するだろうけれど)と、内心でエーミールはそう考えたが、それについてはリディニークは知らないのだ。


『ぐうっ、ぐぬぬ……!』


 ギリギリと歯噛みするリディニークの姿はやはりどうしたって迫力があるせいで、フェリシアは恐怖心を覚えていた。

 しかし、ギュッと玉座の手すりを掴み震えを噛み殺す。


「……エーミール」


 半ば非難の含まれた声をフェリシアが零す。

 エーミールはそんな彼女の元へ歩み寄っていた。


「我慢してください、女王陛下」


 改まった態度でエーミールは話していた。


「リディニークに協力を仰ぐなら、顔を合わせるしかない」


「……承知しています」


 フェリシアが頷いたところで、「――それでは」とエーミールは彼女に伝えていた。


「私がこの竜と取り交わした取引の内容をお伝えします」


 そう前置きの後、エーミールはフェリシアに話して聞かせていた。



 リディニークがエーミールとの取引を飲んだのは、それはデメリットとメリットの比重を精査した結果である。


 今、リディニークはどうやらブレスを扱う力が無い上に、そのパワーも雪熊スノーベア並みに衰えているらしい。

 つまるところ、知能があって会話できる事を除いては、その辺を闊歩する野生の獣と変わらない。その気になれば人間の力によって殺す事が可能なのだ。

 原因はフェリシアである。リディニークの力の源であるブレスの大半をフェリシアが抱え込んでいるが故に、大神官が死んだところで、辛うじて小さな肉体を出現させるだけの力しかリディニークは得られなかったのだ。


 本来ならば地下深くの封印の上に座して動けないままなので、幾ら事故によって大神官が途切れたとしても、また儀式によって選ばれたらあっという間に消え去る運命をたどっていた筈なのだが、シグムンド達が移動させてしまったが故にそうはならなかった。


 そのためエーミールは焦ってしまったものの、とは言え蓋を開けてみると、奇跡的に復活してしまったリディニークは思いの外弱かった。

 今のリディニークなら一方的に殺す事ができると話すエーミールに対して、リディニークは最初こう言った。


『ワシが死ねば世界から冷気が失われてしまうぞ。あらゆる物質が凍て付かなくなってしまうだろう! さすれば、どうなる事か――』


「でもそれ、正直に言うと僕達困らないんだよね」


 エーミールが返した返事はこれだった。


『なぬっ?!』


 驚きの声を上げるリディニークに対し、エーミールはキョトンとしたまま目の前の古竜にとって残酷な事実を告げていた。


「僕達生き物という物は火の存在なんだよ。暖が無くなると確かに困るけど、冷気の方は……。大体あなたのブレスって神格化した後も、病とか停滞とかの象徴扱いで、あまり民衆に有り難がられなかったんだよね……」


『な、なんじゃと……?!』


 リディニークは地味にショックを受けている様子だった。



「だから現状、我々の方が圧倒的に有利なんです。何しろ白いブレスは正直なところ、人間にとっては大して役に立ちませんから」


 胸を張ってキッパリとハッキリとそう話すエーミールの姿を見て、フェリシアは複雑な気持ちを抱いていた。


「……あの……エーミール? 大して役に立たないと言われると、地味に私も傷付くのですが……」


「えっ?」


「……一応この国、女神イスティリア様の信仰ですからね? あなたの言葉、目の前の白竜と一緒に女神様も侮辱していますよ?」


「あ、それもそうか……」


 納得した様子で頷くエーミールは、相変わらず彼らしいと言おうかなんと言おうか。

 フェリシアが唯一、彼について猛烈な不安を覚える個所である。


「――しかしまあ、そういうわけですので」と、気を取り直してエーミールは話していた。


「綺麗にスッパリと殺されるか、或いは我々に協力する代わりに外を自由に出歩ける権利を得るか。どっちが良いか選んでもらったんです」


『選ぶというよりは、半ば強制のようなものじゃがな……』


 リディニークはそうぼやいた後、『……それよりも』とエーミールに話し掛けた。


『ぬしらに協力すればブレスの一部を返還するという話、決して反故にしてはならんぞ?』


 リディニークの念押しに対し、「わかってるよ」とエーミールは返していた。


「でもその前に、あなたはちゃんと僕たちの為に貢献できると示してくれないとね」


『フン……生意気なアルディナ・マニめ』


 そうは言いながらもリディニークの口の端は持ち上がっていた。


『ワシと対等に話が出来るのは恐らく、この世の中でおぬしぐらいの物よ』


 リディニークはエーミールに対し、そう話していた。

 そんな竜の面持ちを見て、フェリシアは微笑を浮かべるようになった。


「――しかし、取引が成立したというなら次は私の番ですね」


 フェリシアはそう言っていた。


「来たる会食へ向けて。権威あるリディニークの痕跡を周知の物にすべく噂を民衆に広めますよ、カリーナ」


「畏まりました、陛下」とカリーナは応じていた。


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