9:交換条件
アンブロシウスは執事を呼び出すとお茶のお代わりを入れてくるよう伝えた後、「――さて」と改めてシグムンドと向き合っていた。
「女王陛下と領主様の書簡をお持ちと伺っております。この度はどのようなご用件で来られたのですかな?」
「は、はい。それは、これです」
シグムンドはすぐに腰のカバンから二つの書簡を取り出すとテーブルの上に広げていた。
アンブロシウスはしばらく目を通した後、「……なるほど」と頷くようになった。
「北領犬部隊の編成の為の人材が欲しい、と……わかりました。何しろ女王陛下きっての頼み事ですからな。その上領主様にもこのような丁寧な書簡を頂いた以上、何もせぬわけにはいきません。でしたら、この町に登録している訓練士に兵への勧誘を試みてみましょうか。つきましては、その為の書類を――」
先にアネッテが話していた通り、これに関してはどうやらスムーズに行く様子だった。
ほとんどシグムンドが口を挟んだりする必要も無く、てきぱきとアンブロシウスは使用人を呼び付けては仕事を振り分け、書類を認めて行く。
(すげえな。女王陛下と領主様効果は……)
改めてシグムンドはそうやって感心するしかない。
……――が、本番はここから先である。
作業が終わる頃を見計らって、「……あの」とシグムンドは口を開く。
「如何されましたか?」
そう言ってアンブロシウスはシグムンドに目を向けたため、シグムンドはジッとそんな彼の目を見据えていた。
「もう一つ、頼みたい事があるんです」
改まった眼差しを向けられたため、アンブロシウスもまた改まった態度になってソファに腰掛けなおしていた。
「……頼みたい事とは?」
そうやって尋ねると、シグムンドは答える。
「イド村の事です」
「ああ……――」
アンブロシウスはそれだけで凡そ把握していた。
「イド村と言えば、先にもイド村の者を名乗る男がここに来たのです。まあ、執事に話は聞かせたのですが、近頃吹雪が続いているとかなんとか話していたそうですね」
「ええ、そうなんです」とシグムンドは頷いていた。
「今、有志を募ってイド村の人をこの町に連れて来る話になっています。しかし受け入れ先や当面の暮らしを支える環境が無いみたいなんです。ここはなんとか、町長の力を借りられはしませんか?」
「――ほう?」と、アンブロシウスは眉を持ち上げていた。
「つまりあなたは、無償での援助を望んでいるという事ですかな? イド村から降りてきたばかりの人々に? この町に何ら貢献した事も無い人の為に?」
「……町長様。イド村だってウインテルの所轄の筈です」
そうやって口を挟んだのはアネッテだった。
シグムンドが黙ってしまったせいである。
「よくご存知ですね。そこはさすが宮廷メイドと言ったところでしょうか」
こればかりは本気でアンブロシウスは感心の声を上げたが、「――しかしですな」と言葉を続けていた。
「良いですか、シグムンド殿。この町には何人の民が住んでいると思いますか? およそ六千人。それがウインテルの人口です。六千人もの民が日々ここで暮らし働き貢租を納めていますが、彼らにはこの町から、何の住まいも食も与えられた事はありません。彼らがここに住んでここで食べる事ができているのは、彼らの労働の結果です」
そこまで一気に話した後、「それで」とアンブロシウスは続ける。
「あなたが受け入れてほしいと仰る、イド村の。何人居るのか存じ上げませんが、何か出来ますか?」
「……うっ」とシグムンドは唸っていた。
(た……確かに、イド村の人はみんな高齢でなかなか働く事なんてできないよな……)
そう考えるシグムンドに対し、「それに」とアンブロシウスは話を続ける。
「確かに空き家が無いと言えば嘘になります。しかしそれだって、正しく金銭を納められる者にこそ与える物であると私は考えております。それは何故か? それが公平だからです。我々には――」
アンブロシウスは両手を大きく左右に広げていた。
「我々なりの役割がある。庶民は労働を、貴族は統括を。それぞれ求められていて、それが果たされているからこそ生かされている。それが出来ないと、貴族であってすら日々の暮らしなんて危うくなってしまいますよ」
「えっ?」
そればかりは意外だったため、思わずシグムンドは尋ねていた。
そんなシグムンドにアンブロシウスが見せたのは苦笑だった。
「没落。聞いた事はありませんか? ……まあ、庶民には関係の無い話ですがな」
そう言った後、「――とにかく、です」とアンブロシウスは言う。
「吹雪など。リュミネス山に住む以上は覚悟すべき自然現象ではありませんか。その程度で受け入れなんて、なかなか頷けることではない。北領犬の件のように、女王陛下や領主様の書簡があるならば話は別でしょうが……」
「そ……そうですか」
シグムンドは項垂れると、グッと膝の上に乗せた拳に力を入れる。
(結局、俺がこの場でこうして話せているのはあくまで女王陛下や領主様あっての事。俺自身の力ってわけじゃないもんな。そんなの、わかってる。わかってるけどさ……)
「でも……――」
やがてシグムンドはテーブルの上すれすれまでガバッと頭を深く下げていた。
「そこをなんとか、お願いします!」
シグムンドができる事と言えばこれしかなかったのだ。
「確かに一見、よくある事なのかもしれない。でも、イド村の人自身が『異常』だって言ってるんです。それが当たり前にある自然現象だと一蹴できる状況であるとは俺は思えないんです……! 町長様はこの町で平和に暮らしてるけど。イド村の人ってのは、吹雪と当たり前に過ごして、少ない人数で当たり前に乗り切って……。それって俺たちには出来ない事です。そんな人たちが助けを求めるなんてよっぽどの事だって思いませんか?」
頭を下げたまま、シグムンドは懇々と訴え続けていた。
それは真っ直ぐで何の捻りも無い懇願だったのかもしれない。
しかし、繰り返し繰り返し言われると、グランシェス貴族たるもの無下にはできなくなってしまう。
(これがなんの後ろ盾も無い一般人なら放り出すところだが、この者は粗削りでもフェリシア公の使者。フォーゲルン卿の使者だからな……)
そう考え、やがてアンブロシウスはため息を吐き出していた。
「……根負け致しましたよ、シグムンド殿」
アンブロシウスはそう言ったから、シグムンドはバッと頭を上げていた。
「それじゃあ――」
目を見開くシグムンドに対し、アンブロシウスは呆れ交じりにため息をこぼしていた。それは決して好意的な態度であるというわけではない。しかし。
「……こうもしつこい男はハッキリと申し上げて初めてだ。そこまで言うなら考えても良い。だが、ただでとは言いません。一つ条件があります」
アンブロシウスがそう言ったから、シグムンドはごくりと息を飲んでいた。
「……条件とは?」
固唾を飲んで身を乗り出すシグムンドにアンブロシウスが告げたのはこれだった。
「このリュミネス山の吹雪が普通ではないという事を証明して頂きたい。そうすれば私も納得してイド村の人々を引き受ける事もできるというものです」
「…………!!」
シグムンドは絶句していた。
そんなもの、到底不可能であるように思えてならなかったからだ。
そう感じたのはアネッテも同様だったようで、(シグムンド……)とハラハラとした目を向けるようになっている。
しかしやがてシグムンドは頷いていた。
「……わかりました」
そう答えたシグムンドに、「ほう?」と言ってアンブロシウスは笑みを浮かべ、片やアネッテは慌てた様子を見せる。
「し、シグムンド様?! そう安請け合いをされては……――」
言い掛けるアネッテを手で制すと、シグムンドはキッパリと告げていた。
「俺が吹雪の原因を解明してみせます!!」
「威勢が良くて宜しい」とアンブロシウスは答えていた。
「では、その条件で手を打ちましょう」
アンブロシウスはそう言って話を切り上げようとしたため、「その前に」とシグムンドが言った。
「調査するにしても日が掛かると思うんです。だから、イド村からの避難民を先に受け入れてほしいんです。この条件を町長に飲んで頂きたいのですが」
「ほう? 随分と図々しい提案をするものですな」
そう言ってアンブロシウスは苛立ったような笑みを浮かべたが、シグムンドは絶対に目を逸らそうとしない。ともすればアンブロシウスが頷くまで、絶対に引きはしないのだろう。それを思わせる眼差しを向けていたから、「……わかったわかった」とアンブロシウスは頷いていた。
「ならば二週間だ! ――それ以上は譲渡せぬ。二週間経っても原因の解明ができなかったら、金の出せぬイド村の避難民は追い出させてもらいますからな」
「二週間もあれば十分です」とシグムンドは答えていた。
こうして町長との面会を終えて屋敷を後にした二人だったが――
「大丈夫なの?」
すぐにそう尋ねたのはアネッテだった。
「あんな無茶な約束して! いっそ女王陛下の名前を拝借して、強権で行くっていう手もあったのに」
「いや……それはさすがに陛下に悪いだろ、色々と……」
シグムンドは苦笑いを浮かべて答えていた。
「そうかな……」とアネッテは首を傾げているため、(アネッテって、家臣にするにはなかなか難有りなコなんだろうな……)とシグムンドは内心でフェリシアに同情していた。
「……それにさ」と言って、シグムンドは微笑を浮かべていた。
「せっかく女王陛下が俺に役割を与えてくださってるんだ。見ず知らず同然だったのにさ、エーミールの信用で俺を買ってくださったんだ。だったら、エーミールや陛下の顔に泥を塗らないためにも、期待に応えなくちゃ悪いだろ?」
「それは……そうだけど」
頷いたアネッテに、「だから――な」とシグムンドはあっけらかんと笑い掛けていた。
「俺はやると言えばやる男なんだよ! それを証明してみせるさ」
そう言ってシグムンドは、虚勢であるとは言え、ニイッと笑みを浮かべるのだった。




