24:誇り高き戦士へ
「報告します」とエーミールが書斎を尋ねてきた時、フェリシアは胸を撫で下ろしたものだった。
報告を受けるまでもなく、彼のその気の抜けたような表情と静粛した環境を見ればすぐにわかる。
「……勝ったのですね」
フェリシアの言葉に、エーミールは頷く。
「結局、恐れていた伏兵も無く……本当に彼一人だったみたいだ。もう安心だよ」
「そうですか」と頷いたものの、エーミールはどこか悲しそうな表情をしている事にフェリシアはすぐ気付いていた。
「……ごめんなさい」と、ぽつりと呟く。
「私の代わりを任せてしまって……負担を掛けてしまいましたね」
エーミールの表情を見て、フェリシアが感じたのはその事だった。
「……私はどうやら、自分や周りが思っていたほどに大した人間ではないようなの。私はイスティリアの子として……とうとう、彼らの期待に応えられなかった」
まるで罪深い事を懺悔するかのように俯きながら吐き出す、そんな彼女の苦し気な様子を見て、エーミールは気付いていた。
ここにもまた――歪んだ信仰によって苦悩する者が居るのだ。
(イスティリアの子。半神半人と言うけど、グランシェスの王様ってのはきっと、女神様の代理人のような立場も求められてきたんだろうな。だからフェリシアも……)
「……完ぺきになろうとしなくて良いんだよ」
エーミールは優しく言っていた。
「完ぺきじゃなくたって。キミは人間なんだ。女神様だって――完ぺきじゃなかったよ。だからこそ、人間と恋に落ちてキミのような血脈を生み出したんだから」
「えっ――」と、フェリシアが顔を上げる。
そんな彼女にエーミールが見せていたのは、何か物思いに耽るかのような表情だった。
「……キミの不完全な場所は僕が補う。僕だけじゃない。人間っていうのは、世界っていうのは、そうやって複数が補い合って初めて完ぺきな一つの存在になる事ができるんだよ。そこには良い事だけじゃなく、多くの過ちも一緒に重なる事もあるかもしれない。でも……――」
(……それとは、切って切り離す事の出来ない物なんだろう)
そうエーミールは考えていた。
「……もしかしたら、良い所も悪い所も併せて初めて『完ぺき』になるのかもな。どちらか片方だけは、欠損って言うのかもね……だとしたら」
エーミールはため息をこぼしていた。
「僕たちの世はいつも変わっていないのかもしれない。ただ見え方が異なるだけで、いつもそれは完ぺきという一つのカタチでしかないのかもしれない。苦も楽もそれこそが……僕たちが生きる世界なのかもしれないね」
――何を僕は思い上がっていたんだろう。
彼が考えていたのは、そんな事だった。
エーミールの頭に焼き付いて離れないのは、キャスペルの最期の姿。
最期には彼は加護を失くしていた筈だ。しかしあの姿のどこに強さを失った者の気配があった? 死んで尚、彼は強さを誇示していたではないか。
そしてそれは、確かに彼が持つあの信仰が、意志が、戦神ダンターラの力という範囲を超えて彼に強さを与えていたという証拠なのだ。
(女神が僕に託したのは、世界の均一。ただそれだけじゃないか。僕はいつから、古びた物差しによって、今のこの時代に蔓延した信仰のカタチを過ちと断言しても良いと考えていたんだろうか)
そう考えて黙り込むエーミールに、フェリシアはキョトンとした目を向ける。
「……エーミール?」
声を掛けられ、エーミールはハッと我に返っていた。
「いや……なんでもないんだ」
そう言って微笑するエーミールをフェリシアは案じていた。
「疲れているなら休んだ方が良いのでは……?」
「キミにだけは言われたくないよ」
咄嗟にエーミールはそう返してしまい、するとあからさまにムッとした表情を浮かべるフェリシアと目が合う。
「いや……ごめん、その」
慌てるエーミールにフェリシアは表情を和らげていた。
「……いえ。確かに、少し休んだ方が良いのかもしれません。あなたも……私も。それなら今日の執務はお終いです」
素直に言って、コトンとペンを置いたフェリシアの姿が意外で、エーミールは目をパチクリとさせたものの嬉しくなってすぐに頷いていた。
「うん、そうした方が良い。そうしようか」
「はい」とフェリシアは頷いていた。
再び町並みが落ち着きを取り戻す頃――シンバリの町から外れた場所にある小高い丘の上に、ぽつんと小さな墓石が建てられた。そこはキャスペルの為に造られた墓だった。
本来なら敵兵を弔うような真似はしない。焼いて灰にした物を埋める事で事後処理を終える。
しかしエーミールが気まぐれを起こした気持ちが、彼にはなんとなくわかる気がするのだ。
ルドルフは墓の前にしゃがみ込むと、「――なあ」と、まるで長らくの友に語り掛けるような口調で言う。
「お前を集団墓地に置いてやる事はできなかったな。お前は俺たちの敵だからな。……しかし」
ルドルフは腕組みをして、しばし考え込むようになる。
「……お前がもしグランシェス人なら……もし剣を交えずに済んだなら。気が合ったかもしれんな。俺はそんな気がする」
(剣を交えたからこそわかるんだ。お前の意志は本物だったと……)
そう考えてルドルフは一人静かに目を閉ざす。
その時だった。
「あっ、こんな場所に居た! ルドルフさん!」
そんな風に声を掛けられ、ルドルフは振り返る。
そこではカリーナが、腹を立てた面持ちながらも丘を登り歩み寄ってくる途中だった。
「ずっと探し回ってたのよ?! まったく、こんなに遠くまで来ているだなんて!」
カリーナは腰に手を当てると、ぷりぷりと怒った調子で言う。
「また怪我も治らないうちに歩き回って! いい加減に少しはゆっくり休む事でも覚えたらどうなの?!」
「――なーに」と言ってルドルフはニヤリと笑った。
「こんな怪我、二日三日もあれば治る」
「確かにあなたって、馬鹿みたいに頑丈だものね。まるでモレク兵を見てるみたいよ」
ため息の後、カリーナはふと墓石に気付いていた。
「…………」
(……ここに敵将が眠っているのね……)
そう思って沈黙するカリーナの複雑な感情を、ルドルフが感じ取ったのか否かは定かではない。ただ、ルドルフがぽつりと呟く。
「……寂しそうだったんでな。良ければお前も手を合わせてやってくれないか?」
「……まあ、構わないけれど……」
カリーナはそう言うと墓石の前にしゃがみ込んで手を合わせた。
そうしながら、カリーナは思っていた。
(彼はこの人を『殺すには惜しい大した敵将だった』と言っていたけど……あなたが負けてくれなくちゃ彼は死んでいたのよ。私は……ホッとしているわ。あなたが無事に死んでくれて。でも……――)
カリーナはチラッとルドルフの方へ目を向ける。
(……この人の寂しそうな顔を見るのは……少し、辛くなるわね)
その時、「なんだ?」とルドルフは眉を持ち上げるようになった。
「俺の顔に何かついてるのかよ? ジロジロ見やがって……気持ち悪いな」
「なっ……」
カリーナはカチンとくると、慌てて立ち上がっていた。
「人がせっかく心配して探しに来てあげたのに、言う事はそれ?! まったく、心配して損したわ! あなたなんか絞首刑にでも戦死でもどうにでもなっちゃえば良いのよ!」
「は?! 見事に敵将を退けた“救世主”に向かってそこまで言うか?!」
「何が救世主よ! エーミールくんの作戦を台無しにした戦犯の間違いじゃないの?」
そうやってやいのやいのと言い争いながら二人はこの場を後にする。
その時、サーと風が吹いて墓石を撫でて行った。
女神イスティリアの加護を受ける地は、無人の丘の上にて静かに眠る異教徒の亡骸を、ただ静かに受け止めている。
吹き付ける風が灰色の髪をサラサラと撫でて行くのを、エーミールは一人城郭の上で頬杖を突きながら見送っていた。
勧められるがまま、昨日に続いて今日も休暇を取ったものの。
「信仰……か」
あれ以来エーミールはずっと考え込んだ様子だった。
(形を変えて曲げながらも、人は真摯に神を仰ぎ続けているんだな。僕は……)
エーミールはため息をこぼしていた。
「原初のあるがままを押し付けるだけじゃ、きっといけないんだろうな……」
ぼんやりと、そう呟くのだった。
―― 第四部・第四章 変わり往くもの ―― 終




