22:ダンターラの戦士
祝福か――或いはそれは、呪いだったのか。
モレクの騎士キャスペルは、ルドルフに何度切られても起き上がって剣を構えた。
その一方でルドルフは、長引く戦闘のせいですっかり息が上がってしまっている。
しかし血の量は元通りとは行かないのか、何度も切られているキャスペルもまた苦しげにしており、明らかに動きが鈍るようになっていた。
とは言え、積み重ねられるダメージは確実にルドルフの身を蝕んで行く。
とうとうキャスペルの振り払った剣がルドルフの肩を走り、ルドルフの二の腕からばっと血が迸った。
「ぐううっ……」
汗をびっしりと掻きながら表情を歪めるルドルフを見てキャスペルは笑みを浮かべる。
「……なんだ。貴様は痛みには慣れていないのか? 随分と辛そうに見えるぞ」
「っざけんな!!」
ルドルフは勢い任せに切り込んだが、それはキャスペルにかわされた。
そうやって泥沼となる戦いを城郭の上から見て、エーミールはゾッとしていたのだ。
(……なんだ、これは)と考える。
(竜のブレスを神に落とし込んだのは……――世界の均一を崩さないため。そして何よりも、人がこの世界で生きるための助けとする為だったんだ。だというのに、なのに……)
エーミールはグッと唇を噛む。
(苦しめているだけじゃないかッ……! いつまでも訪れない死と終わらない戦地。人間を苦に追いやっている……)
しかしキャスペルは笑みを浮かべているのだ。
それが苦であると知らないかの如く。それが誇らしげな事であると言わんばかりに。
「……こんなの間違ってるよ」
ボソボソッとエーミールは呟いていた。
「常に勇猛で強くなければならない? 撤退は重大な背信行為だって……? そんなもの……――」
エーミールは叫んでいた。
「神の意志と全然関係ない場所で、キミ達が勝手に自己満足でやってるだけじゃないかッッ!! それでどれだけ多くの犠牲者を出した?! どれだけの人を不幸に貶めたッ?! 結局のところ――」
エーミールはキャスペルを指差していた。
「キミ達は勇猛果敢なんかじゃない!! キミ達こそが卑怯者の背教者じゃないかッ!!」
「――イスティリア信仰の貴様に、ダンターラ信仰の何がわかるッ!!!!」
聞き捨てならなかった様子で、戦いの途中であると言うのにキャスペルはエーミールの方を振り返るようになった。
憎悪の目を向けられても尚、エーミールは口を閉ざさなかった。
「確かに僕は、今のキミたちが抱えるダンターラ信仰の何たるかはわからない。でもね……――これだけはわかるよ。“それ”は勇敢さではない。“それ”は正々堂々ではない。何故ならさ――」
エーミールは城郭の上から真っ直ぐキャスペルを見下ろしながら伝えていた。
「キミたちが戦神ダンターラの加護を受けながら戦っている以上、それは決して正々堂々にはならないんだよ! だって――そうだろ? 戦地の加護を得ない僕たちと、加護を持つキミたち。そのどこに対等性がある? キミたちは――」
エーミールの指がスッとキャスペルの方へ向けられた。
「僕たちにとって、ただの『弱い者虐めをする虐殺者』でしかないんだよ」
「グッ……い、言わせておけば……ッ」
キャスペルは今やルドルフの方を向いていなかった。
エーミールの方へ向き直ると、「貴様らこそッ!!」と叫んでいた。
「卑怯者ではないか!! この戦地にて、どれだけの卑劣な手を使った?! どれほどに我々を欺き愚弄したか……――自覚が無いとは言わせぬぞッ!!」
「そうさ、僕はありとあらゆる卑怯で卑劣な手段を使う! 敵に打ち勝つならどんな手段だって構わない!」
エーミールはそう断言した後、続けて言っていた。
「――僕たちの戦争は誇りじゃないんだ!! 僕たちはね、この土地で生きるか死ぬか! ただそれだけだからだよ!! 誇りは僕たちを生かしてはくれない!! 僕たちを生かすのは――」
エーミールはスッと自身の胸に手を当てていた。
「『生きようとする覚悟と意志』それだけだ!!」
「――そんな物」と、キャスペルは呟く。
「貴様らの驕りでしかない! 我々を生かすのは『神』だ! そして私は『ダンターラ様の戦士』だッ!! だからこそ私は――」
「死の間際まで誇りを捨てぬ! それが私の迷いを払い、私に強さを与えるのだから!!」と、剣を高らかと掲げて語ったその時だった。
スッと割り込むかのようにしてルドルフの巨体がキャスペルの正面に立ち塞がる。
「いつまでもよそ見してるんじゃ……ねえッ!!」
ルドルフが剣を振り払っていた。
それはキャスペルの胸を鎧ごとバックリと断ち切っていた。
未だこれ程に流れる血があったのかと思うぐらい、キャスペルの胸部からどくどくと大量の血が吹き出るようになる。
「ぜえ、ぜえ……くそっ、もう――」
ルドルフはどっと地面に座り込んでいた。
(げ……限界だ。血が出過ぎたか? 立つのも辛いぐらいだ……)
そうやって考えるルドルフの目の前では、未だにキャスペルが剣を掲げたまま立っている。
(……くそ。やっぱりダンターラの信徒ってヤツは強いな。さすがに俺も……終わりか……?)
ルドルフはがっくりと項垂れていた。そのまま目を閉じると、死を待った。
しかし――
いつまで経ってもキャスペルは剣を振り下ろそうとしない。
それどころか、何かものを語ろうとすらしない。
「な、なんだ……?」
ルドルフはゆっくりと顔を上げる。
キャスペルは剣を持ち上げたまま、未だに立っている。
「……死んでるよ」
ぽそっと城郭の上でエーミールが呟いた言葉を聞いて、ルドルフはギョッとなっていた。
「は?! ま、まさか――」
「……迷いが生じたんだ。きっと……僕の言葉によって、心の奥深くで自身の勇気を疑ってしまったんだ。それが彼の加護を打ち消してしまった。でも……」
エーミールは俯くと、ギュッと拳を握りしめていた。
「……あなたは本物のダンターラの戦士だった」
エーミールはくるりと背を向けると、立ち去る間際、すっかり黙り込むようになった兵に告げていた。
そして手厚く弔うようにと伝えた後、この場を後にするのだった。
その頃、雪が積み重なる純白の景色の中、冷たい風を切りながら雪の地に軌跡を残しながら四人の男たちが馬を走らせていた。
黒金の鎧を身に着ける彼らはモレク兵。
ゴート地方の北側にあるコイヴの町より五日ほど掛けて馬を走らせ、やがて彼らが到着した場所は、エルマー地方の主都ウェストザート。
うっすらと雪が積もった石畳の道が家屋の立ち並ぶ町のあちこちを升の目のように繋いでいる。
そこはモレク兵の本隊が駐在している土地であり、今やウェストザートの中心部に聳える城は内戦の責任を取るべく処刑された領主に変わって、王の為の場所となっていた。
石造りの家屋が立ち並ぶ町のあちこちをモレク人の警備兵たちが巡回し、旧グランシェスの土地にありながら、もはやこの町の住人は七割もがモレク人によって占められている。
後の三割の土着の民であった筈のグランシェス人は、先の内戦事件によって肩身の狭い思いをしながらなんとか生きながらえる事しかできない状況だった。
町の一部は未だ戦争の後を思わせる壊れた家屋が多く立ち並ぶ区画が存在しており、今もモレク兵の手によって細々と修復作業が行われている。
そのような町並みを抜け、四人の兵は真っ直ぐに城へ向かう。
彼らが向かう先は彼らの主君たるイェルド=ヴァルストン=モレクの袂。
(キャスペル様の御言葉、必ずやイェルド陛下の元へ届けねば……)
彼らは道を急いでいた。
それは一人果敢に死地へ赴いたキャスペルへ同行できなかった事に対する罪滅ぼしなのか、或いは弔いの為か。
どちらでも良い。どちらでも良いが、託された書簡を届ける事こそが彼らにとって重要な使命なのだ。
「……キャスペル様の意志、必ずやお届けいたします」
四人のうち誰の声か、道を急ぎながら兵はそう呟くのだった。




