11:本当に優しい人
暗がりの廊下の突き当りで、カイはフレドリカの泣きじゃくりながら語られるとりとめのない話をいつまでも聞いてくれた。
一通り立ち話の後、フレドリカははたと気付いていた。
「あっ……ご、ごめんなさい。執務中だったのに、私ったら……」
暗い面持ちをするフレドリカに、カイは「お気になさらずに」と言って微笑むと、自身の胸をポンと叩いていた。
「なにしろ私は、あなたの騎士ですから。あなたがお困りの時は、何を置いても力になると胸に決めているのです」
「えっ……」と、フレドリカは戸惑いの表情を見せていた。
「あれって本気だったんですか……?」
「ええ、もちろんです。何しろあなたは、フリストフォン卿の忘れ形見。私は」
そう言ってカイはフレドリカの前に恭しく跪く。
「なにを賭してでも、あなたをありとあらゆる苦難からお守りする所存でございます、マイ・プリンセス」
「そしてこの事は、私がお守りすべき苦難の一つではありませんか」とカイが大真面目に言うものだから、思わずフレドリカは吹き出していた。
「普通そういうのって、有事の時のセリフでは?」
「有事ではありませんか!」
そう言った後カイは立ち上がっていた。
「我が主君を悲しませるとは、正直に申し上げて私は今すぐにでもエーミールを剣の錆にしてやりたいところです!」
「か、カイさん。それはおやめくださいね? 私、こうして話を聞いてもらえただけでも十分気持ちが落ち着いたような気がするから……」
そう言ってフレドリカは無理に微笑むが、やはりどうしたって辛さを堪えたようなそんな笑顔しか浮かべる事が出来ない様子なのだ。
「……フレドリカ様」
カイは息苦しさを覚えグッと奥歯を噛みしめていた。
(もし、この僕がエーミールの代わりにフレドリカ様を笑顔にさせてあげられることができるような男だったなら、どれだけ良かっただろうか)
そうやって考えた自分にはたと気付き、カイは慌てて首を大きく横に振っていた。
「って! 僕は一体何を考えているんだ! なにを! この!」
赤くなりながらぶんぶんと大きく首を横に振るカイの姿を、しばらくの間フレドリカはキョトンとして見ていたが、思わずぷっと吹き出すようになる。
「……くすくす。カイさんって面白いですね」
そう話しながら、ふと思った。
(……不思議だな。こんなに苦しいのに、カイさんを見ていると笑っちゃうなんて)
そんなフレドリカに、カイは笑顔を向けてくるようになった。
「そうだ。フレドリカ様!」
いきなり思い付いたように言い出したカイに、「えっ?」とフレドリカは目を丸くさせていた。
そんなフレドリカに対しカイは恭しく手を差し伸べると、ウインクしていた。
「宜しければ気分転換に、今から一緒に夜の散歩へと行きませんか? 私がエスコートして差し上げましょう」
そう言って微笑むカイの姿に、フレドリカは目をパチクリとさせていた。
月と星明かりだけが頼りの夜の闇の中、カイは長毛馬に鞍を置いて仕度すると馬に跨り、コートを羽織って待っていたフレドリカの元へ駆け付けていた。
「お待たせいたしました、姫!」
そう言って駆け付けるカイの姿を見て、急にフレドリカがくすくすと笑い出したからカイはキョトンとしていた。
「……如何されましたか?」
そう言いながらも手を差し出すと、「いえ、その」とまだ笑みを零しながらフレドリカはその手を取る。
「王子様みたいですね」と笑うフレドリカの言葉の意味がわからず、しばらくキョトンとしていたが、間もなくカイは自身が選んだ馬が白馬である事に気付き、赤面していた。
「いやあの、これは……たまたま厩舎の一番手前に繋がれておりまして」
慌てて言い訳を始めるカイに、フレドリカはにっこりと笑顔を向けると「とてもお似合いですよ」と言っていた。
それからフレドリカはカイと馬に乗り、様々な場所へ連れて行ってもらった。
と言っても今は戦時中であるため、遠くへ行くことはできなかったが――シンバリの夜の町並みを一通り見て回った後は、町から少し離れた小高い丘に登って満点の星空を見上げるようになる。
丘の草地に座るフレドリカの傍らに、まるで騎士が控えるかの如くカイが立っている。
その頃にはフレドリカの杞憂も随分と晴れていた。
もちろん吹っ切れたと言えば嘘になる。でも、気持ちが軽くなったことは事実だ。
(……私なんかのために)とフレドリカは考えた後、しみじみと思った。
(……カイさんって、まるでテオドルみたい)
そういえば、かつて執事をしてくれていたテオドルもフレドリカが泣いている事があると執務を放り出してでも慰めに来てくれたものだ。
それが懐かしく思え、やがてフレドリカがポツリポツリと話し始めるようになった。
「……あなたを見ていると私は、まだ優しかった頃のお爺様やテオドルの事を思い出します」
ぽそりとフレドリカが言ったのはそれで、カイはキョトンとしていた。
彼女の言う『お爺様』が誰なのかはわかったが、テオドルは初めて聞いた名だったからだ。
「テオドルとは?」
「テオドル=イサクソン。私の執事だった者です。まるで本当の祖父のように私に接してくださっていて……私は彼の事が大好きだったの。でも……」
フレドリカはため息をこぼす。
「……グランシェス城が最初にやられた時に、彼は亡くなってしまったけれど。私を庇ってしまって……私が『助けて』と言ったばかりに」
フレドリカの目は、いつの間にか悲哀の色を覗かせるようになっていた。
「私は、いつも私自身のせいで大切な人を失くしてしまいました。あなたも……こんなにも私に尽してくださるなんて。このままでは、あなたもいつか……テオドルのように」
カイに向けられるフレドリカの目は悲しげな、そして怯えたような眼差しをしていた。
だからカイはすぐに表情を引き締めると、膝を折ってフレドリカの目を覗き込む。
「私は死にません」
カイはそう言っていた。
フレドリカの目を真っ直ぐ見つめながら、迷いの無い口調で。
「私はあなたの元でずっとあなたをお守り致します。女神の名に掛けて、そのように誓ったのですから」
「……カイさん」と言ってフレドリカは微笑んでいた。
不思議と彼の言う言葉は、嘘じゃないんだ。本当なんだと――そのように思えたからだ。
「……じゃあ、私の事を守ってくれる?」
フレドリカの質問に、「もちろんです!」とカイは大きく頷いていた。
「私は生涯を賭して、あなたの為の騎士であり続けます。マイ・プリンセス」
そう言った後、カイはそっとフレドリカの手を取ると、そこに口付けを落としていた。
フレドリカは微笑むと、「ありがとう」と囁くのだった。
「カイさんは……優しいですね」
フレドリカの呟きに、「はっ?」とカイは目を丸くさせた後、慌てて赤くなった顔を俯ける。
「め、滅相もない。私はただ、あなたに笑顔になってほしいだけで……」
「……いいえ。優しいです。私なんかに……」
(お爺様も、テオドルも……)
ふとフレドリカは考える。
(私の周りは、みんな本当は優しくしてくれる人ばかりだった。私は彼らの優しさに気付けなかったけど……)
「……きっと『本当に優しい人』って、あなたのような人のことを言うんだね」
ぽそぽそと呟かれたフレドリカの声が良く聞こえず、「はい?」とカイは聞き返していた。
するとフレドリカは満面の笑顔を向けると、「なんでもありません!」と笑う。
満天の星空の下、そうやって溌剌とした笑顔を見せるあどけない少女の姿に、カイは思わず魅入ってしまうのだった。
翌日のことである。
今日も城内の廊下を歩き回って見回りを務めていたカイの肩を、ポンと叩く者の姿があった。
振り返ると、そこにはエリオットがニヤニヤと笑いながら立っていた。
「お前……」
言葉を溜めるエリオットの姿に不穏なものを感じ、カイは身を引いていた。
「な……なんだよ?」
するとエリオットは笑顔で大声で話した。
「昨日、フレドリカ様と逢引きしたんだって?! 兵から聞いたぞ! いやあ、益々ロリコンに磨きが掛かっちゃってまあ!!」
バンバンと背中を叩かれ、それが耳に入ったらしき通りすがりのメイドたちがゲッと言わんばかりの目を向けてくるようになる。
「お、お前という奴は……!」
カイはわなわなと震えていた。
相変わらずエリオットはデリカシーに欠いた人物だと感じたからだ。
しかし怒りに震えたのも束の間、カイは思い直していた。
(いいや……何をためらう事がある、この僕は! フレドリカ様の騎士になると誓った身ではないか!)
そう思ってエリオットに向き合ったから、エリオットは「おっ?」と目を丸くさせるようになる。そんなエリオットにカイは堂々と。
「僕はロリコンでは無い! フレドリカ様一筋だ!」
「ロリコンじゃねーか!」と、思わずエリオットは言い返した。
途端、ざわめき立つ廊下のメイド達。
そんな光景を見掛けたのは、今日も治療の手伝いのために廊下を歩いていたフレドリカだった。
「カイさんって、エリオットさんととっても仲良しですよね」
そう言ってフレドリカが話し掛けたのは、共に現場へ向かっていた傍らの医務官である。
「フレドリカ様」と、医務官は真顔で淡々と言った。
「カイ隊長には、くれぐれもお近付きにならない方が宜しいかと」
「え?」
「危険です。獣です」
「……え?」
「ロリコンです」
強調される医務官の言葉を聞いて、「……はあ」と、フレドリカは目を丸くさせたまま頷くのだった。




