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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第四章 変わり往くもの
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8:貴族の不満

 その日、朝のグランシェス城の謁見の間に、一人の立派な衣服を身に着けた老年の男がやってきた。

 衣服だけでなく、立ち振る舞いにせよ雰囲気にせよ、見るからに庶民とは異なるその様相。


「エスビョルン=ブリューネル卿」と、フェリシアは頭を下げている彼に対して声を掛けていた。


「お久しぶりです。無事で何よりです」


「ええ、陛下も。それにしても――こうして拝見させて頂くのは、“先の婚礼の儀以来”ですな」


 そう言ってエスビョルンは顔を上げるようになる。


「髪もお切りになられて。いっそう益々“美しく映えるように”なっておられますな」


 エスビョルンはにこやかに言ったため、フェリシアもまたにこやかに返していた。


「……ご不満ですか?」


「いえいえ、滅相もない。しかしですな……」


 そんなやり取りを横で聞いていたエーミールは、(えっ?!)と内心で吃驚していた。


(今のって嫌味なの? 貴族のやり取りって難しすぎるよ……! そ、それよりも。ええと、エスビョルン=ブリューネル卿……)


 エーミールは慌ててポケットから手帳を出すと、パラパラと捲っていく。

 これは、補佐官としての仕事をつつがなくこなせるようにとフェリシアに渡されている物である。


 やがてエーミールの手はエスビョルン卿に関する記述を探り当てていた。


(エスビョルン=ブリューネル卿。カルディア地方中位貴族。旧グランシェス時代における元老院の家柄である上位貴族のオーグレン家の親戚筋、と……今はパワーバランス的には貴族の中でも最上位ってところかな? なにしろ……――)


 ぱらっとエーミールは手帳を捲る。


(大半が『銀髪』で占められていた上位貴族の家柄は、先の戦で全滅したからな……。つまりは恐らく、彼は貴族代表として、ここに来たってところかな?)


 そうやって分析していたその時、「――それにしても」とエスビョルンが口を開いた。


「こうして“あの”エーミール=ステンダールとやらを拝見するのは本日が初めてです。……しかしまさか、参謀ばかりか補佐官にまでご指名なさるとは、よもや“あの噂”も信憑性が増して聞こえてくるという物」


「噂、ですか」と言ってフェリシアは微笑んだ。

 フェリシアにとって、ここまでは予定調和である。遅かれ早かれグランシェスの貴族がここへ足を運ぶだろうとは既に予想していた事だ。

 だが、その先が予定調和の外へ飛び出していた。


「ええ、その通りです」と頷いた後、エスビョルンが言う。


「なんでも、情を交わすほどの仲であると仰るではありませんか。その上、牙毛象マンムートになりきりながら、パオンパオーンと鳴き真似までするとの事!」


 次の瞬間、ブホッと吹き出したのはパトリックだった。

 さすがのフェリシアもゲホゲホと咳き込んだ後、「あああああのっ」と、引き攣った笑顔をエスビョルンの方へ向けるようになる。


「下品な御冗談はやめてくださらない? ……と言いますか、牙毛象マンムートって何事ですか?」


「……それ、聞いたことあるかも」と横でボソッと呟いたのはエーミールだった。


「え?」と尋ねたフェリシアに向かって、「女王陛下が大の牙毛象マンムート好きで夜な夜な狩りへ行く程だと私は聞きました」とエーミールは答えていた。


「なんですかそれは……」


 フェリシアは頭を抱えたくなっていた。

 どうやら、随分と混沌とした噂が流れているようだ。


(大袈裟に噂話が流れる事は、ある程度は覚悟していた事だけれど。牙毛象マンムートなんて一体どこから来たのかしら……)


 そう思っている間に、目の前のエスビョルン卿はヒートアップした様子で頭を抱えるようになる。


「ああ、なんといかがわしい……その上、なんて変態的な! これでは我が国の女王陛下として面目が立たないではありませぬか! とにかく、今は戦中であるとは承知の上で申し上げたいが、陛下には一度会食の場を設けて頂き、皆が納得できる事を話して頂きたいのです!」


「確かに……それは、私としても一度会食の場を設けて、早急に誤解を解きたいところですね……」


 どことなく疲労感を感じさせる声色でフェリシアは答えていた。


「御同意頂けて何よりです。できれば早急にお願い申し上げたい。なにしろ陛下とそこのエーミールとの間には……――先の“婚礼の儀の際の件”も御座いますからな」


 そう言って、エスビョルン卿は眉間に皺を寄せながらエーミールの方へ視線を向ける。

 そんな彼の態度を見て、フェリシアは思い知らされた気分になっていた。


(……そうだったわ)と考え、頭を抱えたくなる。


(フォーゲルン卿の誤解を解いてすっかり終わった気持ちになっていたけれど、多くの婚礼を知る王侯貴族にとっては、先の失態も混同されてしまったままになっているということよね……)


 面倒な事になりそうね……と考えたものの、エスビョルンの言い分は決して荒唐無稽であるとも思えない。


「……わかりました」とフェリシアが頷いたのを見て、エスビョルンは納得した様子だ。


「それでは失礼いたします」と一言の後、エーミールを睨み付けてからこの場を立ち去るようになる。


 そうなった後もしばらくの間エーミールはパラパラと手帳を捲っていた。

 そんなエーミールの傍らで、パトリックとフェリシアが話し始めるようになる。


「陛下……随分な噂が流れているものですな」


「ええ、そうですね……さすがに閉口してしまうわ。度が過ぎているし、野放図にしてはおけませんね」


「どうされるおつもりで?」


「公的に事情を説明するより他無いでしょう。いつまでも沈黙するから、妄想に妄想を重ねられてしまうのよ」


 そうこう話していたその時、やっとエーミールの手帳を捲る手が止まった。


「……あの、陛下。ちょっと良いかな?」


 ボソボソと切り出したエーミールの顔は真剣そのものである。


「なにか?」とフェリシアが問いかけると、「……あのさ」とエーミールは切り出していた。


「さっきから一点、ずっと疑問な事があって。情を交わすって、なに?」


 そう尋ねながら、一切参考になりそうなメモ書きが書かれていなかった手帳を、パタン、とエーミールは閉じていた。

 それは決して彼の無垢さから出た疑問ではない。

 女神に経験させられたアジン王の頃とは言語が随分と変わっているが故に、エーミールは“貴族独特”の遠回しな表現の仕方をされると理解できなかったのだ。


 ところがなにを誤解したか、次の瞬間、フェリシアの表情が何とも言えない物に変わる。


「ああ、あなたという人は……――」


 わなわなと震えているフェリシアの傍らでは、パトリックが目を閉ざしながら天井を仰いでいる。


「なんて田舎者なの……! ああ、本当にそれでも十六歳なの?!」


 そう言いながらフェリシアが口元に手を当てるもので、エーミールはムッとしていた。


「……あの。もしかして僕って、馬鹿にされてる?」


「いいえ、馬鹿になどしていないわ。あなたのそういう所、厄介ではありますが、私個人としては愛しくてたまりません」


 にこにことフェリシアは微笑んでいるため、(……やっぱり馬鹿にしてる?)と思いながら、「はあ……」とエーミールは気の抜けた返事を返していた。

 ふとパトリックの方を見ると、パトリックがうんうんと頷くようになっていた。


「まあ……どうしたものかと考えてはおりましたが、これなら陛下のフィアンセとして安心して認められるというものですな。いやはや、田舎者という物は実に良いものです」


(……やっぱり馬鹿にされてる!!)と、エーミールは呆気に取られていた。





 謁見の時間を終え、食事休憩の後で書斎へ移動した後もエーミールは不機嫌そうだったから、フェリシアは気になっていた。

 そもそもエーミールは実によく感情が表情に出るのだ。フェリシアからすれば、時たま羨ましくなる程である。


「……エーミール、どうしたの?」


 書類を置いたものの、フェリシアは気になってエーミールに声を掛けていた。


「いや……その、さ」とエーミールはばつが悪そうな様子でポリポリと髪を掻く。


「なかなか上手く行かないな……って思ってさ。キミの伴侶に相応しい振る舞いを身に付けなきゃとは思うんだけどね。今朝も田舎者と言われてしまったし。女神様の経験だけじゃ、足りない事が多いみたいだね」


 このままじゃいけないよなあ……とエーミールは思う。


 そもそもフェリシアは冷静に考えれば考えるほど、自分なんかに勿体ない相手である。

 外見は完ぺきだし、知性もあるし、身分もある。仕草や立ち振る舞いも欠点が無く、どこからどう見ても絵に描いたように理想的な王女様だろう。


 それに対して、エーミール自身は。

 パッとしない灰色の髪と、隠し切れない田舎者っぽさ。子供っぽくあどけないとまで言わしめる外見。体格も良くはない。背も高くない。どことなく滲み出る頼りなさ。その上身分も無いときたものだ。


(そりゃフェリシアも頭を抱えるよな……)と、自分でもしみじみ思ってしまう。


 彼女がエーミールの立ち位置がしっかりするまでは伏せておきたがっていた気持ちはよくわかる。一言でいうと、相応しくない。その一点なのだろう。その上今朝も、早速、田舎者を露呈させる言動を取ってしまったようだし。


 うーんと腕組みをするエーミールの姿を見て、思いの外彼が深刻に受け止めている事に気付き、フェリシアは表情を和らげていた。


「……良いではないですか」とフェリシアは言う。


「あなたが成人を迎えるまでには後二年もあります。いずれにせよ、それまでは婚姻関係など結べないのですから、少しずつ学んでいけば良いのです。あなたには私だけではなく、多くの味方が付いております。それに私は先も言ったように、あなたのそういう所、その……嫌いではないのですよ?」


 はにかんだ様子でにこっと微笑むフェリシアの様子を見て、エーミールは目をパチクリとさせていた。

 そんなエーミールに対し、「……まあ」とフェリシアは言葉を繋ぐ。


「とは言え、後の会食の席では幾らかしっかりして頂かねばなりませんが。貴族の噂話ほど恐ろしい物はありません。なんとしてでも、認めさせるのです。そのためにはあなたにみっちりと、作法や振る舞いを仕込ませて頂きます。会食は大神官様をお招きした後になるよう……一月後ぐらいに設定致しましょうか。戦況次第ではありますが、幸いにも今のところ動きは無い様子ですからね。それまでの間、あなたにはなるべく作法を身に着けて頂きますからね」


 そう言ってフェリシアは微笑むのだった。

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