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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第四章 変わり往くもの
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7:風の噂

 私服の上から白いマントを羽織り、胸元に勲章を付けただけでも随分と印象が違って見える。

 シグムンドは姿見に映し出された自身の姿を見ると、「……よし」と表情を引き締めていた。

 腰に吊り下げたバッグには、きちんとエーミールから受け取った書簡も入れた。

 毛布も蒸留酒も貨幣袋も折り畳みスコップも入れられている。


「忘れ物は無いな。……行くか」


 シグムンドはきびすを返すと、客室を後にする。


 厩舎で自身の北領犬サバーカである茶色い毛並みをしたユードに、車輪付きのそりを取り付け、荷を乗せた後、城の門へ行くと、そこにはメイド服の上からコートを身に着け、荷袋を両手に持ったアネッテが待っていた。


 シグムンドは彼女の後姿を見て、緊張していた。アネッテはシグムンドにとって、これまで接点を持った事も無いほどに可愛らしい外見をしているからだ。


「お、お待たせ」と声を掛けると、アネッテが振り返ってくるなり、ぱあっと表情を輝かせるようになる。


「――わあ。それって、犬ぞりですよね」


 にこにこと微笑むアネッテに、シグムンドは頷いていた。


「あ、ああ。乗るのは初めて?」


「はい! エーミール様がお乗りになられている姿は拝見しましたが、その時は私は馬だったので、エーミール様と同じ乗り物に乗れるなんて嬉しいです!」


「相乗りはしなかったの?」


「ええ。エーミール様にそのようなお手を煩わせる事をさせるなんて、恐れ多いですから」


「ふ、ふうん……そうなんだ」


 シグムンドは頷きながらも、内心少しだけ嬉しかった。

 エーミールの先を越せたような気分になったからだ。


(それにしても、エーミールはこんな可愛い女の子にこんなに慕われてるなんてな。羨ましすぎる……でも、なんで手を出さないんだろう? ……まあ、あいつには女王陛下が居るみたいだもんな。あそこまで完ぺきだと、むしろ俺は引いてしまうが……)


 そうこう考えながらも、シグムンドはアネッテの方へ手を伸ばしていた。


「重たいだろ? 荷はこいつに乗せれば良い」


「ありがとうございます!」とアネッテは、シグムンドに荷を手渡したため、シグムンドはそれを犬ぞりに取り付けていた。

 その後、犬ぞりの横板に足を掛けて、立ち乗りしていた。


「じゃあ、アネッテちゃんも乗って」


「はい! ……あ、どこに乗れば良いでしょうか?」


 アネッテはどうやら本当に初体験であるようで、歩み寄っては来たものの困った様子で首を傾げている。


「そ、それじゃあ……」


 シグムンドは自身の汗ばんだ手を服で拭った後、アネッテの方へ差し出していた。

 するとアネッテが手を掴んできたため、シグムンドは内心で酷く感激しながらも、それを表情に出さないように気を付けながら、彼女の事を引っ張り上げて自身の前に乗せていた。

 そうして、自身のドキドキがアネッテに伝わらないか心配しながらも、彼女に伝える。


「初心者ならこの位置が良い。ここなら万が一バランスを崩してもすぐに助けてやれるからな」


「はい! それでは、よろしくお願いいたしますねシグムンド様」


 アネッテは何ら警戒する事も無い素直な笑顔をシグムンドに向けてくる。

 彼女は、エーミールの従兄というだけでシグムンドを信用する気持ちになっているのだ。

 シグムンドは、そんな彼女の笑顔をまぶしく思いながら、「行こう」と伝えていた。


 そして「ユード、ゴー!」と号令を掛けて犬ぞりを走らせる。

 すると滑るようにして流れて行く景色を見ながら、アネッテが「あはっ」と笑った。


「エーミール様と同じような声の掛け方をするんですね。エーミール様も犬ぞりを走らせる時は、『ヴィズ、ゴー』といつも仰っておられました」


「ああ、そうだな。北領犬サバーカは、わかりやすくて簡単な言葉なら人間が何を喋っているか、理解できるんだ。だから単純な命令を、ゴーとか、ハーとか、そういった決まった言葉で伝えるように訓練してあるんだ」


「そうなんですね」


 機嫌良さそうにアネッテが答える。

 彼女の髪がサラサラと風で流れると共に甘い匂いが漂ってくるのを感じ、シグムンドはドキドキとしていた。


(お、俺、これからしばらくはアネッテちゃんと一緒なのか……)


 これからの任務を思うと重責を感じてしまうものの、彼女の存在は別である。


(フェリシア女王陛下、ありがとう!)と、どういう事情であれどアネッテの事を指名してくれた君主の存在に対し、内心で感謝していた。





 シグムンド達を乗せた犬ぞりがアゴナス地方へ向けて走り、エーミールはフェリシアの元で補佐官としての任務に当たる日々が始まる。


 その頃フレドリカは、今日も医務官の手伝いをするために負傷者の元へ足を運んでいた。

 とはいえここ数日ようやく落ち着きを見せるようになってきていた。廊下まで溢れかえっていた患者の数は随分と減ってきているし、今フレドリカが包帯を取り替えている患者も、明日には家へ帰す事が出来るだろう。


「そうそう、そういえば。フレドリカ様はお聞きになられましたか?」


 包帯を取り替えられながら、ふと患者が口を開いた。


「――え、何をですか?」


 キョトンとするフレドリカに患者が笑顔で言ったのはこれだった。


「僕も昨日家内から聞いたばかりなんですけどね。近頃噂になっているのですよ。なんでも、女王陛下と参謀様が、寝床で抱き合っておられるのを見た者が居るとか。これで跡継ぎも安泰ですね」


 ぶーっとフレドリカは思わず吹き出していた。


「こらこら」と、彼を咎めたのは隣のベッドの患者だった。


「幾らしっかりなさっているとはいえ、フレドリカ様はまだ十二歳だぞ。そんな方に話すには幾らなんでも刺激が強すぎるだろう。……しかし、どういう事かな?」


「何がだ?」


「いや、俺が聞いた話では、御二方が人目を忍んで夜な夜な逢引きしていると聞いたんだがな……」


「――なにっ?! つまり、毎夜の事だと言うのか!」


「おお……なんと大胆な。しかしお若い二人でいらっしゃるからなあ」


「尤もだ」


 ハッハッハと二人の患者が笑っているうちに、フレドリカはガランと手に持っていた医療道具を落としていた。

 ガラガラと転がる桶を見た後、二人の患者が見たのは、青ざめた顔をしてわなわなと震えているフレドリカの姿だった。


「え、え、エーミールさんとフェリシア様がっ……?」


「お、おや?」

「フレドリカ様……?」


 訝しむ二人の姿に、フレドリカはハッと我に返ると、慌てて落としたばかりの物を拾い集めていた。


「わ、私、失礼させて頂きますね!」


 その一言の後、フレドリカがパタパタと走り去るのを見て、二人の患者はキョトンとして目を合わせていた。



(う、うう、嘘でしょ?! エーミールさんが……フェリシア様とだなんて……!)


 意味も無く廊下を行ったり来たりを繰り返すようになってしまったフレドリカは、何もかもを知らなかったのだ。

 そもそも二人が三年前に契りを結んでいる事も知らないし、女神が結び付けたがっているという話も知らない。

 フレドリカにとって、まさにこの噂話は寝耳に水そのものである。


 すぐにエーミールの元へ確認しに行きたかった。

 しばらくお会いできないうちに、何があったんですか?! と、一言ぐらい聞いてみたい。


 しかし今の時間となると、確実に彼の居場所は王の書斎。フェリシアと一緒だろう。

 近頃はアネッテも用事で城を離れており、二人で居る機会が増えていると聞く。


(ど、どど、どうしよう。どうしよう……)


 涙目になるフレドリカに、「……おや?」と通りすがる間際、声を掛けてきた者が居た。


「フレドリカ様ではありませんか。このような場所で、一体どうされたのです?」


 キョトンとしてそこに立っていたのは、ちょうど見回りの仕事を行っていた黒髪の兵士カイ=セリアンである。

 先の件以来、フレドリカにとってカイはなんとなく信頼の置ける人物になっていたから、フレドリカは足を止めて「カイさん」と応じていた。


 一瞬どうしようかと躊躇ったが、やはりどうしても気になって、フレドリカはカイに尋ねていた。


「……あの。カイさんは聞かれましたか? 御二方に関する噂話なのですけど……」


「……ああ、もしかして、エーミールとフェリシア公の?」


「あっ、ええ、それです」


 カイさんも知ってるんだ! と思って、フレドリカは頷いていた。


「なんでも、夜な夜な連れ添って狩りへ出掛けているそうですね。牙毛象マンムートの心臓を狙っておられるとか」


「……あれ?」


 私が聞いた話と随分と違う……とフレドリカは考えていた。

 そんなフレドリカの表情を見て、察したカイはにこやかに話していた。


「フレドリカ様。噂話と言う物は、話半分に聞くぐらいがちょうど良いですよ。民というのは常に娯楽に飢えているものですから、誰もが面白おかしくなるよう広めていきます。特に話題の的がこの国の君主となると、尚更です」


「そ、そうなのですか……?」


「ええ。どうせ合っているのは噂のうちのごく一部だけなのです。私の聞いた噂話から推測するに、恐らくは、そうですね……そうだ。牙毛象マンムート。この一節だけが合っているに違いない。恐らくエーミールが新しい罠でも考案しているのでしょう」


「そ、そうなのですね」


 確かに、自分が聞いた噂話とカイの聞いている噂話との間には随分な乖離があったため、フレドリカはホッと胸を撫で下ろすのだった。





 翌日のことである。

 今日も仕事へ向かうために廊下を歩いていたエーミールの肩を、ポンと叩いたのはエリオットだった。

「……気落ちするなよ、エーミール」と生暖かな目を向けられたため、エーミールはキョトンとしていた。


「えっ、なにが?」


 するとエリオットは「とぼけるなよ」と笑う。


「お前、女王陛下が好きなんだって? しかし陛下は強度の牙毛象マンムートフェチだって言うじゃないか。人間にはご興味があられないとか……しかし尊い身分の方というのは、稀に庶民では理解できないような趣味嗜好を持ちうるらしいじゃねぇか。残念だったな」


「えっ……なにその話」


 呆気に取られるエーミールの肩を、エリオットはバンバンと叩く。


「ま、お前にはアネッテもフレドリカ様も居るんだし十分だろ。ハッハッハ」


 それから笑いながら立ち去るエリオットの後ろ姿を、エーミールは呆気に取られながら見送っていた。


「一体どうなってるんだろう……」


 エーミールはただただポカンとしているしかできなかった。

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