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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第四章 変わり往くもの
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1:来訪者

 長らく吹き荒れた吹雪が止み、やがて日差しと地熱によって積もった雪はすっかり溶けた後、カルディア地方の土が再び顔を表すようになる。

 本来なら春の無いグランシェス王国にとって、それはまるで春の訪れの如しだった。

 数日の間雪によって埋もれていた低木や草が生き生きと太陽の日差しを浴び始め、ようやくシンバリの町や城が落ち着きを取り戻し始める。

 町外れに多くの墓石が立ち並び、大規模な慰霊祭が終わった頃――来訪者が訪れる。


「うひゃあ……こ、ここがシンバリの町かあ」


 そう言って車輪付きの犬ぞりから降りたのは、オリーブ色の髪をしており無染色のコートを羽織っている一人の青年。

 シグムンド=アンダソンは、ウインテルの町に住む、新米の北領犬サバーカの訓練士である、十八歳の若者である。


「……それにしても、確かにデカいけど、思っていたのと違って……――」


 シグムンドが言葉を止めるには理由がある。


 シンバリの町は、グランシェス王国の中で唯一雪の無い土地に立つ大都会。

 大きくて賑やかで立派で強固な石造りの町だと聞いていた。

 ……――が、町の入り口にある門の前に立ってみると、その立派な筈の石造りの壁はあちこち崩れ落ちているしボロボロだ。


「な、なんだこりゃ……」


 ポカンと見上げるシグムンドに「戦争があったからですよ」と話し掛けてきた者。

 それは、鳶色の髪をボブカットに整えている可愛らしい顔立ちをしたメイドさん。


 アネッテ=ヴァンブロームは、シグムンドの従弟であるエーミールの専属メイドだと名乗っている。

 それを聞いた時シグムンドは度肝を抜いたものである。


「う、う、嘘だろ?!」と叫んだ後、(いつの間にこんなに出世したんだよ……!!)と呆気に取られた。


 シグムンドにとってエーミールという人物は自分より二つも年下の子供っぽい少年で、優しくて面倒見は良いもののどことなく頼りない。そういった印象しか無かったため、『女神の奇跡によって死の淵から蘇った御子! フェリシア=コーネイル=グランシェス第一王女と共に現れた女神に選ばれし神官!』と、見出しが付いたアゴナスの広報誌を見たときも、当然の如く軽くあしらったほどである。


 思えば彼と最後に会ったのは、謎のフード姿の少女を連れてシグムンドの父が営む店に飛び込んできた時である。

 父はあのフード姿の少女のことを、『あの方は恐らくフェリシア様だ』と言っていた。そんな馬鹿な。と、その時はシグムンドは聞き流していたが……。


 まるで信じていなかった父の推測が裏付けされたのは、専属メイドと護衛の兵士を名乗る二人連れがシグムンドの元に尋ねてきた時である。

「私たち、グランシェス城からやって参りました。エーミール様の使いの者です!」と、彼女たちは名乗った時には、シグムンドは呆気に取られていた。


 話を聞けば、リュミネス山へ向かう途中、女王陛下に急用で呼び出されて、やむなく犬ぞりを置いてエーミールは引き返して行った。しかし、北領犬サバーカを動かせる者はエーミールを除き居ない。だからシグムンドを頼るように言われた。と、彼らは話すではないか。


 王国の使いと聞いて、父は喜んでシグムンドを送り出してくれた。


「おいおい、エーミール、えらく出世したんだなあ。お前も出世してこいよ!」という言葉付きで。


 それでシグムンドは自分自身の犬である、ユードという名前の栗毛の北領犬サバーカにそりを付けて、彼らと一緒にエーミールが放置した犬ぞりの元へ行ったという経緯である。


 カルカロスに到着した後、猛吹雪に見舞われてしまい、思いがけない足止めを食らってしまったものの……二つのそりを連結し、二匹の犬に引かせる事で、なんとかこうしてシンバリの町へ来ることが出来た。


「戦争は、どうやらとっくに終わってるみてぇだな。見たところ侵略された気配も無いし……こりゃやっぱ、エーミール様様ってやつだな」


 そう言いながらシグムンドの方へ歩み寄ってきたのは、馬の手綱を引いている砂色の髪をしたのっぽのグランシェス兵。

 エリオット=フレーリンという男は、シグムンドでも驚くほどに話し方や振る舞いが粗暴である。


(意外と砕けてんだなあ、グランシェス兵って……)


 そう思ったほどである。


「シグムンド様」と、アネッテに話し掛けられ、シグムンドは緊張していた。


「エーミール様がお待ちの筈ですから、参りましょう」


 アネッテに微笑み掛けられ、シグムンドは顔が熱くなるのを抑えられないまま、「わ、わかった……」と答えていた。


 二匹の犬と犬ぞりを後続させる形で、アネッテとエリオットと共にシンバリ入口の門を潜りながら、シグムンドはこっそりとため息をこぼしていた。


(さ、様呼びなんてガラじゃねぇよ……)


 何度呼ばれても慣れないものである。

 しかもアネッテはシグムンドが住んでいたウインテルでは早々見ないような、可愛くて垢ぬけた外見をしている。


(エーミール、まさか、こんな美少女たちに囲まれた生活を送ってるのか……?! まさかまさか、このアネッテちゃん以外にも可愛いメイドさん達をはべらせてるってんじゃないだろうな?! くっ……う、羨ましい。羨ましすぎるぜ……!)


 内心シグムンドは歯噛みしていた。





 アネッテ達に案内されてたどり着いたグランシェス城も、それはそれは立派な物だった。

 シグムンドは、アゴナス地方の主都カルカロスにあるアゴナス城こそは見た事はあったものの、グランシェス城を見るのは初めてである。

 アゴナス城よりも何倍も立派な佇まいをした石造りの巨大な王宮を前にして、当たり前のような顔をしながらアネッテは門番の兵士に「ご苦労様です」と声を掛け、その一方でエリオットもまた、「よう」と砕けた挨拶を行っている。


「これはこれは、エリオット隊長! お帰りですか?」


 敬礼を行う門番に対し、「ああ」とエリオットは頷いているものだから、これに対してもシグムンドは内心で驚いていた。


(エーミールの護衛って聞いてたから、下っ端かと持ったら――隊長だったのかよ?! ど、どれだけ特別扱い受けてんだろう、エーミールのやつ……)


 一体どんな人物になっているんだろうか? っていうか、俺の知ってるエーミールじゃなかったらどうしよう?! なんて不安を抱きながらも、シグムンドはアネッテ達に案内される形でいよいよグランシェス城の庭へと足を踏み入れる。


 最初にアネッテが案内してくれた先は厩舎で、そこに馬や犬を預けた後、「こちらです」と言われ、謁見の間に足を運ぶこととなった。

 アネッテ曰く、この時間、遅いながらも午前中であるため、少なくともフェリシア公は謁見の間に居る事は確かなのだと言う。



 謁見の間へ続く両開きの扉の左右にも兵士が立っていて、アネッテは彼らに面談中ではないかどうかだけ確認を取った後、ドアを開けていた。


 長い絨毯を歩いて行った先、謁見の間の玉座にはフェリシアが。その右手にはカリーナが、左手にはパトリックが立っていた。


「只今戻りました」と言ってアネッテがその場に膝をつき、同じようにエリオットも膝をつくようになったから、シグムンドも慌てて礼を行っていた。


「ご苦労様です。長旅で大変だったでしょう?」


 落ち着いた声でそう声を掛けたのはフェリシアだったため、顔を伏せたままシグムンドは驚いていた。


(こ、この方が、フェリシア様……)


 声だけの印象であるが、やはりどうしたってシグムンドは、以前に会ったことがあるフード姿の少女と結びつけることができなかった。

 少なくとも目の前に居る方は、この上無くやんごとない御方であるという気がして、ガチガチに緊張してしまう。


「楽にしてください」


 フェリシアがそう言ったため、アネッテとエリオットは敬礼を止めて立ち上がるようになる。

 シグムンドも彼らに倣って立ち上がると、やっと正面に居る三人へ目を向けていた。

 そうして息を飲んでいた。


(う、うわー……アネッテちゃんもとびきり可愛いと思ってたんだが……)


 目の前で悠々と微笑むフェリシアは、目を奪われるほどに美しい容姿をしていた。髪の長さは王族のイメージと少し違うが、目の前にいる彼女こそが女神イスティリアなのだと言われたら、信じてしまうだろう。


(え、エーミール、ホントにこんな方と一緒に居るってのか……?!)


 ごくりと息を飲むシグムンドに、フェリシアが話し掛けてくる。


「初めまして。あなたがシグムンド=アンダソンですね? エーミールからあなたの事は伺っております。といっても……――実はお会いするのは二度目ですが」


 そう言って微笑むフェリシアの姿に、シグムンドは畏まりながら頷いていた。


「はっ、はい。……その、以前に父の店に来られた事がありますよね……?」


「ええ。やはり覚えておられましたか。あれから元気にしておられましたか?」


「は、はい、お陰様で! 父も元気に商売やってます」


「ウインテルまでは、先の貢租の影響はあまり無かったのかしら?」


「貢租……あの、モレク第二王が科したってやつですよね? 話は聞いてました。でも、ウインテルは狩人が多いですから、食べるには困りません」


「……そうなのですね」


 フェリシアは納得した様子で頷いた後、「――ところで」と本題に入るようになった。


「ヴィズをここまで連れて来てくださったそうですね。あなたの働きに感謝いたします」


「あ、在り難き幸せです」


 慌ててシグムンドは背筋を伸ばしながら答えると、フェリシアは笑みを深めるようになった。


「緊張しているの? もう少し、楽にして良いのですよ。あなたはエーミールの御友人ではないですか」


「そ、そうですが。……そういや、エーミールは?」


 ふと口を突いて出たシグムンドの疑問に、フェリシアは「そうですね……」と首を傾げるようになる。


「この時間でしたら、いつもならフレドリカの遊び相手をしているのだけど……」


 そう言いながらフェリシアが何の気なしに目を向けたのは、傍らのカリーナだった。

 主君の言わんとする事に気付くと、「ええ、そうですね」とカリーナはフェリシアに対して頷いていた。


「近頃フレドリカ様は慌ただしくお過ごしになられていますからね。でも、エーミールくんの事ですから。やっぱり医務室か、もしくは地下牢辺りに居る可能性が高いんじゃないでしょうか?」


「医務室か地下牢?」


「はい。昨日か一昨日か、それぐらいの頃、医務官に手伝ってほしいと呼ばれていましたよ。ほら、あの……捕虜の件で」


「……ああ」


 フェリシアは頷いた後、シグムンドの方へ目を向けていた。


「エーミールの居場所なら、医務室の医務官に聞いてみると良いですよ。積もる話もあるでしょうし、しばらくはゆっくりして行ってください。あなたが寝泊まりするための客間を用意しておきましょう」


「あ、ありがとうございます」とシグムンドは答えていた。



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