17:足掻き
謁見の間に戻ったフェリシアは、しばらくしてから、カリーナに連れられて姿を現したルドルフの姿を見るなり、ため息をこぼしていた。
どうやら身を清めさせられ、髪や衣服を整えられたようで、やっときちんとした騎士の格好に戻るようにはなっていたものの、ルドルフに渡していた筈の、副騎士団長を現す階級章が見当たらない。
「……一体何があったのです。といいますか、あなた、アゴナス地方へ行って何をしていたの? 私はそのように命じてはいなかった筈ですよ。副騎士団長ともある者が、この有事に独断で遠出なんてしているなんて。一体どういうことです?」
そんなフェリシアの傍らで、「……うむ」と渋い表情で頷いたのはパトリックである。
「そ、それにつきましては……!」と、真っ先に口を開いたのは、ルドルフではなく、彼の横に居るカリーナだった。
「わ、私の勝手でお願いしたのです……」
ばつが悪そうに告げるカリーナの姿に、「カリーナが?!」と、目を見開いたフェリシアは、驚愕を隠せなかった。
「あなたほど忠実な家臣は居ないと思っていたのに。あなたともあろう者が、一体なぜ……?」
「だって」と、カリーナはフェリシアの事を真っ直ぐ見ていた。
「フェリシア様は無理をされているご様子でした……! フェリシア様の為なら、エーミールくんが絶対に必要だと思ったんです!」
「…………」
フェリシアは呆気に取られた後、すぐに首を横に振っていた。
「……なるほど、わかりました。カリーナや……特にルドルフ、あなたには言いたい事が山ほどあるけれど……例えば、副騎士団長の階級章をどこへやってしまったの? とか。どうしてアゴナスの囚人服を着ていたのかしら? とか。……とは言え、今は時間がありません。ひとまずこの件は後回しにしましょう」
「も、申し訳ありません……」
特に階級章に関してはまずいことをしたという意識があったため、ルドルフは項垂れていた。
そんなルドルフに対し、「あなたに現状を話しておきましょう」と、フェリシアは前置きしていた。
「今やモレクの軍勢は目前まで迫っています。明日には籠城戦が始まってしまいかねません。……――が、モレクには砲兵が居ます。明日がもし雪の日としたら、しっかりと籠城さえしていれば延命はできるかもしれません。……でも、明日もまた晴れならば、この城は……」
フェリシアは思わず途中で言葉を止めてしまった。
そうやって黙り込む女王陛下の表情は、切羽詰まったものを押し殺すかの如くで、周囲に居た家臣達は一瞬、息を飲んでいた。
しかしそれも間もなくで、フェリシアはふうと息をゆっくりと吐き出した後、冷静に話を続けていた。
「……晴れならばこの城は、陥落したも同然です。何故なら我が城郭は、あの国の砲を前にすると瞬く間に壊されてしまうからです。強固な筈の籠城が、あっという間に脆弱なものとなってしまう。ですから本来なら、城にたどり着くよりも先に、前もって殲滅しておく必要があったのですが……」
「……殲滅できなかったんですか」
ルドルフの呟きに、フェリシアは小さく頷いていた。
「減らす事に成功した兵は、たったの四千……奇襲戦法は特に騎兵にとって効果的だったみたいで、騎馬隊は全滅した様子だけど、ですが、今や残された罠も無く、後の我々に残された手段は……――総力戦のみ」
「…………」
ルドルフは言葉を失くしていた。フェリシアが言いたい事がよくわかったからだ。
(総力戦とは……戦神ダンターラの信徒の土俵で戦うようなものだな)
ルドルフの脳裏に、とある景色が蘇る。
それは、かつて見たグランシェス城陥落の日の光景である。
ルドルフはあの日、囚われの姫フレドリカを助けるべく一人馬を走らせた。
多くの兵が積み重なり地面を血の色で濡らす景色を、今でもよく覚えている。
あの場にエーミールやフェリシアを連れて来なくて、本当に良かったと感じたものだ。
(……あれが再来するというのか? 今度は、フェリシア公を主君とする形で……)
「……前王の二の舞では」
いや、それよりももっと深刻な事態だろうとルドルフは考えていた。
先ほど、パトリックとカリーナに説教を受ける一方で、現状を予めある程度聞いていた。
モレク軍が三万六千兵居るのに対し、自軍は残り六千兵ほどまで減らされてしまったというではないか。
つまり、こちらの兵力は、ロジオンが指揮をしていた先の戦いよりもずっと数が少なく、片やモレクの兵力は、以前と同じだけ揃っているという事になる。
(先の戦でも多く死んでしまったが……更に死ぬというのか? この土地で……)
ルドルフは拳を固く握りしめていた。
そんなルドルフに対し、フェリシアは「ルドルフ」と話し掛ける。
「副団長たるあなただからこそ、今、私はこうして我が軍の現状を包み隠さず打ち明けました。この現状になっても、兵達の士気が落ちないのは何故だと思いますか? ……――それは彼らは、女神イスティリア様の奇跡を信じているからです。でも、私は……――」
フェリシアは俯くと、ギュッと手すりに指を立てていたのだ。
「……そんな彼らの期待に応えることが出来なくて悔しい。私は、自分自身の存在が……口惜しい」
それはフェリシアが家臣の前で漏らした、数少ない本音だったのだろう。
沈黙するようになったフェリシアの姿に対して、やがて「……違いますよ」と言ったのはカリーナだった。
「……え?」と、顔を上げたフェリシアの目をジッと見つめ、カリーナは伝えていたのだ。
「兵の、私たちの士気が落ちないのは。……女神様の加護を信じているからじゃありません。そりゃ、そう言う方もいらっしゃるでしょうけれど。ですが、きっと、大半は。あなただからこそ。……そうやって、家臣を慮ってくださるフェリシア様が国王だからこそ、あなたの存在を誇りに思い、付き従いたいと考えている者が多数なのです」
「……――」
驚いた表情になって息を飲むフェリシアに対し、カリーナは微笑んでいた。
「だから、頑張りましょう? 最後まで。私たちも一緒に戦わせてください、フェリシア様」
「…………カリーナ」
フェリシアは涙ぐむが、すぐに目尻を拭うと頷いていた。
そして今度は決意に満ちた面持ちを浮かべ、フェリシアは告げていたのだ。
「出来うる限りの事を行いましょう。持てる限り、全ての力を使って敵を迎え撃つのです。我々には情報があります。これまでのモレク行軍に対処してきた事によって得られた情報の数々が。明日は……――総力戦です!」
フェリシアの宣言を聞き、この場に居た家臣一同は声を重ね、「「はいっ!!」」と応じていた。




