13:獣の道
エーミール一行は、犬ぞりと馬に乗りながら、雪深い雪原の上を順調に進んでいた。
あと一日も走れば、リュミネス山のふもとの町であるウインテルに到着する。
(そうなれば、僕たちの旅も、あと一息で目的地に着くことができる)
そう考えると、エーミールのそりの手すりを掴む手に力が入る。
(大神官様、どうなるだろう……。下手したら説得だけで何日も掛かったりして)
エーミールは正直、そればかりが億劫だった。
そんなエーミールの気持ちがどうやら表情に出ていたようで、「どうしたんだよ、エーミール?」と、傍らの馬上からエリオットが声を掛けてきた。
「急に湿気たツラになってるじゃねぇか。何か悩み事か? うん?」
「悩み事というか……」と、エーミールは苦笑する。
するとそれを必要以上に深刻に捉えたアネッテが、真面目な顔をして、馬の上から「エーミール様っ」と声を上げる。
「お悩みの事があるなら、なんでもこの私にお話ください! 私はいつでも今すぐにでも、エーミール様がお望みとあらば、この馬上からでも犬ぞりに飛び移ってでも、駆け付けてみせますよ!」
「……駆け付けるほどの距離感は無いような」と、エーミールは呟いていた。
アネッテはエリオットと相乗りしているものの、正直、少しそりを寄せればあとは手を伸ばせば届く距離である。
とは言え、そんな危ない真似をしたいとは思わないが。
「心配しないで。大した事じゃないんだ、ホントだよ」
放っておけば本気で飛び移ってきかねない気がしたので、エーミールはアネッテに対してそう答えていた。
「そうですか……?」と、心配そうな表情を浮かべながらも口を閉ざすアネッテは、猪突猛進ではあるものの、とびきり素直で聞き分けが良いのだ。
(こういう妹も捨てがたいよなあ。でも、アネッテは僕と同い年なんだよな)
内心そう考えながら、「うんうん」と言ってエーミールがにこにこと笑っていると。
「……――!! …………!!」
なにやら遠くから、声……のような、地に轟く獣のような声が聞こえてくるような気がした。
「……ん……?」
聞き間違いかな? と思って首を捻るうち、その音はだんだんと近付いて来て、それが人の声であることを認識できるまでになる。
「エーミールううぅぅぅぅ!!!!」
「えっ……呼んだ?」
咄嗟にエーミールが振り返ったのは、エリオットである。
エリオットは無言で首を横に振っていた。
「……?」
首を傾げるエーミールの耳に、また声が届く。
「エーミールっ、待てええぇぇっ、止まれええぇぇ!!」
その、余りにも切羽詰まった声を聞いて、エーミールは息を飲んでいた。
「な、なに? なになにっ?!」
慌てて振り返るエーミールと、同じくエリオットも後ろを振り返る。
するとエーミール達の後ろを猛烈な勢いで追いかけてくるのは、鞍も何も付けていない裸馬に跨った……――
「熊……? いや、あれは……!」
エーミールは気付いていた。
ボロボロの囚人服の上に、北領鹿の形そのままの毛皮を羽織っている。
短く刈られた髪はボサボサ、濃くなった髭もボサボサ。泥や埃や擦り傷にまみれた状態で、鬼気迫るような表情をこちらに向けている男。
「ルドルフ?!」
思わず呆気に取られた声を上げたエーミールに対し、ルドルフはというと。
「止まれええぇぇッ!! 待て、エーミールううぅぅ!!!!」
物凄い形相をして怒鳴り付けてくるもので、「うわあぁぁ――!!」と、思わずエーミールは叫んでいた。
「……殺るか?」と呟いて、エリオットが腰の剣に手を添える。
「おい! 待て待て!」と、慌ててルドルフは叫んでいた。
「久しぶりに会った仲間だというのに、その反応は酷すぎやしないか?!」
「いや、でも! 逃げたくもなるよ! なんでルドルフ、そんな恰好なのさ?!」
思わずエーミールは言い返していた。
それでもやっとエーミール達は足を止めたので、ルドルフはようやく追いつく事に成功していた。
「初対面の時も怖そうな人だなって思ったけど……。今日のルドルフは一段と邪悪そうだね……。なんか、一犯罪犯した帰り道みたいな恰好になってるけど、どうしたの?」
エーミールの疑問に、「聞いてくれ、エーミール!」と、ルドルフが相変わらず鬼気迫る表情を向けてくるようになる。
「シンバリに向けて、モレク軍が侵攻してきたんだ!!」
「えっ?!」
瞬く間にエーミール達の表情は青ざめていた。
「そ、そんな! 侵攻だなんて……」
「嘘だろ……?」
アネッテとエリオットが、それぞれ唖然とした面持ちになっている。
「……嘘じゃない」と、ルドルフは深刻な声で答えていた。
「それで今、フェリシア公が直接司令官として総指揮をされている。しかし、フェリシア公では……不足なんだ。危ういんだ。だからエーミールを連れ戻すようにと、カリーナから頼まれてな」
「それで一体、どうしてそんな恰好に……?」
固唾を飲むエーミールに対し、ルドルフはため息をこぼしていた。
「……それが。カルカロスに着くが否や、アゴナス兵共ときたら、俺をエーミールを付け狙っている賊と勘違いしてな。あっという間に投獄されてしまった。誤解を解く時間も惜しいから、こうして脱獄した足でそのまま適当な馬を捕まえて、追い掛けてきたんだ。この毛皮は、囚人服だけでは余りに寒かったもんでな。道中で調達した物だ。まあ、身から剥いだ物をそのまま着たせいで、多少生臭くはあるが……無いよりはマシだろう?」
「多少というか……おい、ルドルフ……かなり臭うぞ……? いやちょっと待て。それよりも、身から剥いだだと?! まさか、素手で……?!」
引きつった表情を浮かべるエリオットの様子を見ても、大した事は無いとルドルフは判断したようだ。
「エーミール!」と、ルドルフは馬に乗ったままエーミールに迫ってきた。
「急いで俺の馬に乗るんだ! 犬ぞりじゃ間に合わん! すぐにシンバリへ引き返すぞ!」
「えっ……る、ルドルフの馬に?!」
エーミールは怖気づいていた。
しかし、ルドルフの話が本当ならば確かにのんびりと犬ぞりで帰っている場合では無いだろう。
(仕方ない……腹を括るしか……!)
「……エーミール様……」
不安げな表情を向けるアネッテの方を振り返ると、「……アネッテ」と、エーミールは話し掛けていた。
「キミに頼みがあるんだ」
エーミールの言葉を聞いて、「は、はいっ!」とアネッテは慌てて頷いていた。
「私に出来る事なら、なんなりと!」
「ヴィズを頼みたい」と、エーミールが言ったのは、それだった。
「時間が無いみたいだから、僕は一足先にシンバリへ行くよ。アネッテはこのままエリオットの馬に乗って、一度ウインテルの町まで行ってほしいんだ。そこに、シグムンド=アンダソンという名の僕の親戚が居る。彼は北領犬の扱いが上手いから、ヴィズのそりに乗ることができる。北領犬は認めた人間以外は絶対にそりに乗せてくれないし、そりを走らせてもくれないんだ。だから……」
「わ、わかりました、エーミール様。その、シグムンドという方に頼んで、ヴィズをシンバリへ連れて帰ってもらうようにすれば良いのですね?」
頷いたアネッテに対して、「そういうこと」と答え、エーミールは微笑んでいた。
「ヴィズにはしばらくの間、ここで待っていてもらう事になるけれど……。ごめんね、ヴィズ。頼んだよ」
そう言ってエーミールはヴィズの頭を撫でた後、そりから降りていた。
その後、ルドルフの方を振り返る。
「……行こう、ルドルフ」
エーミールは声を掛けると、ルドルフの手を借りてルドルフの後ろ側に乗っていた。
それから改めて「頼んだよ!」と、アネッテとエリオットに頼むと、ルドルフと共に元来た道を引き返して行ったのだ。
「……とんでもない事になったみてぇだな」
エーミールの背中を見送りながら、ボソッと呟いたのはエリオットだった。
「エーミール様……無事なら良いんだけど」
アネッテは不安な気持ちを消すことができなかった。
とは言え、エーミールに仕事を頼まれた以上、それを全うする事がアネッテの存在意義である。と、アネッテ自身は考えている。
「私たちもすぐに参りましょう、エリオットさん!」
アネッテの言葉に、「おう!」とエリオットは頷くと、彼もまたウインテルの方向に向けて馬を走らせていた。
エーミールを後ろに乗せながら、ルドルフは全速力で馬を繰る。
そうしながら、後ろのエーミールに話し掛けていた。
「エーミール、良い近道を知ってるんだ。とは言え、多少悪路になるから、しっかり捕まっていろよ!」
「あ、悪路?」と尋ねながら、エーミールは恐る恐るルドルフの背中の毛皮を掴んでいた。
「ああ。直進すれば距離も短くなる」
「……直進?!」
ギョッとした声を上げるエーミールに対し、ルドルフは頷くと表情を引き締め。
「さあ、今から獣道に入るぞ! しっかりと気合いを入れろ!」と、後ろのエーミールに対して言っていた。
「ええええ――っ?! そ、それ、人間が走る道じゃないよ……?!」
「良いから、捕まっていろ!」
焦るエーミールをよそに、ルドルフは上体を前に倒して体を低くするのだった。




