6:和解
ヴィズを城内に入れても良いとは言われたものの、元々北領犬というものは、寒さに強い代わりに暑さには極端に弱い生き物である。
そのため結局、ヴィズはそりと共に厩舎へ預けることにして、エーミールとアネッテとエリオットだけ、案内された客間の中へ入る事にした。
客間へ行くと、エーミールはソファに腰掛けるようにと促され、恐縮してしまった。
(ここって、普通ならフェリシアが座ってた席だよな……?)
そう考えるエーミールに対し、フォーゲルンはこのように言ったのだ。
「女神様の特別な引き立てを受けていたと知らなかったとはいえど、これまでの無礼をお許し願いたい」
「い、いやいや……!」
エーミールは慌てて首を横に振ると、思っていた。
(無礼と言われたって。実際、僕ってただの庶民だし、ただの村人だし……)
「お詫びと申し上げてはなんですが」と、フォーゲルンはテーブルを挟んだソファに腰掛けながら、話していた。
「ここアゴナス領地にある全ての神殿において、エーミール=ステンダール殿を最高位神官として任命する触れを既に出してあります。民をご覧になられましたでしょう? 彼らは皆、我が町の神殿に居る神官を介して、あなたの武勇伝を耳に入れているのです。――と言っても、先にお披露目された女神降臨は民の心を動かすには劇的な効果があったようでしてな。元来女神イスティリア様とは、王家の神だと言って、イベントも無いうちに神殿へ祈りをささげる者など珍しいものでしたが。近頃は、賑わいを見せるようになっているとか。お陰で、女神の神官たちは、あなたが最高位神官であることをすんなりと受け入れてくれました。まあ、それもそうでしょうとも。女神ないし女神の御子であられるフェリシア公の寵愛を、これほど一身に受けられているような方です」
「そ、そんな事になってるなんて……」
エーミールは困り果てるしかなかった。
いや、とは言え、このアゴナス地方の状況を知ればきっと、フェリシア的には喜んでくれるだろう。
(僕的には喜べないよ……)と、エーミールは考えていた。
だって、本当なら一端の村人でしかない筈なのに。荷が重いとしか思えない。
ついて行けないというのが、正直な思いである。
そんなエーミールの思いをよそに、フォーゲルンはというと、上機嫌に話をする。
「女神様に選ばれし特別な神官とあらば、フェリシア公の運命の相手であっても何らおかしな事はない。将来、王家に入られる方であるというなら、とうの昔に私にとって主君に等しい存在でしょう。エーミール殿個人に対しても我々は協力を惜しむつもりはありません。何なりと、申し付け頂きたい」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いながらも、エーミールは、やはりどうしたって戸惑っていた。
(フォーゲルン卿だって、立派な貴族様――その上、領主様なのに。そんな人にこうやって畏まった態度を取られちゃうと、なんだか落ち着かないなあ……)
とは言え、ゆくゆくは慣れなければならない環境である。
エーミールはむず痒さを堪えながら、フォーゲルンの、「今夜泊まる部屋を提供させてください」という申し出を、在り難く受ける事にしていた。
その日の夜、エーミールは上等な客間にある、ふかふかのベッドで眠る事になった。
ちょうどエーミールが身を清めて用意された寝間着に着替え終えた頃、「エーミール様」と、部屋に入ってきたのはアネッテだった。
アネッテの手には木製の盆が持たれており、その上に湯気を立てたカップが乗っていた。
「よく眠れるように、ハーブのお茶を淹れてまいりましたから。お疲れでしょうから、今夜はこれを飲んで、ゆっくりお休みください」
そう言ってアネッテは備え付けの丸テーブルの上にカップを置いたため、エーミールは「……あのさ」と、咄嗟に話し掛けていた。
アネッテは部屋を出て行こうときびすを返したところだったが、「如何されましたか?」と言って、エーミールの方を振り返る。
エーミールはテーブルの椅子に腰掛けると、考え込んだ表情になって、お茶を眺めながらアネッテに対して話し掛けてきた。
「アネッテは、僕にとてもよく尽くしてくれているよね?」
おもむろにエーミールに切り出されたのはそれだったため、アネッテは慌てていた。
「わ、私などの奉仕をお褒め頂けるのでしたら、とっても嬉しいです……!」
「いや、なんていうかさ……」と、エーミールは苦笑していた。
「どうしてそんなに僕に尽くしてくれるのかな、って思って」
ぼそ、とエーミールが言ったのはそれだった。
アネッテはキョトンとしたものの、すぐに熱く語り始めていた。
「それはもちろん、エーミール様が立派な神官様だからです!」
「立派な神官?」
「ええ、そうです! 女神様の寵愛を受けておられながらも、驕り高ぶることなく謙虚に振舞われる、その気質! まさに聖者様ではありませんか! 私は、あなたのような方にお仕えする事ができて光栄に思っております!」
「聖者……か」
エーミールは何とも言えない表情を浮かべるようになっていた。
「今日の町の人や、フォーゲルン卿も、僕の事をそんな風に思っているのかな?」
「それはもう!」と、アネッテは答えていた。それが特にこれといって問題があるとは感じなかったせいだ。
「そっか」
エーミールは苦笑いすると、カップに手を添えていた。
そして、「……僕はそうは思えないな」と呟いていた。
「僕の知っている僕は、ただの村人で。……でも、女神様から与えられた僕は、王様で。そして民衆が望む僕は、聖者のような僕……か」
エーミールはゆっくりとカップのお茶を揺らしていた。
そして紅茶色の水面に自身の顔を映しながら、ぽそぽそと話していた。
「可愛い妹のようなフェリシアを助けてやりたい一心でここまで来たけどさ。でも、実際にはフェリシアは妹ばかりか、ホントに女王様として凄い人で……頼りないどころか尊敬できるような人で。そんな彼女を助けてやれるなんて考えていたことを、おこがましかったと感じてしまう。フェリシアは良くやっているし、少しも頼ろうとしてくれないし……僕なんか不要じゃないかなって、たまにそんな気がするんだ。僕は時々、ここに居る僕自身がなんだか場違いなような……そんな気がしてしまうよ」
「……エーミール様」
立ち尽くすアネッテの姿に、エーミールは慌てて笑顔を繕っていた。
「って……ごめん。急にこんな話されても、困るよね?」
「……いえ」
アネッテは拳を握りしめると、エーミールに対して力強い声でこんな風に言っていたのだ。
「私は必要だと思いますよ、エーミール様のこと」
アネッテは迷いの無い、真っ直ぐな目をエーミールに向けていた。
「私だけじゃありません。ここに居る市民も、フォーゲルン卿も、フェリシア様だって、みんなエーミール様のことを必要としています! ちっとも場違いなんかじゃありませんよ。みんな、あなたにここに居てほしいと思っているのです! 私自身、こうやってお側でお仕えさせて頂いていますけど、少しも幻滅するような事が無いんですよ。エーミール様のこと、尊敬できる凄い人だなって、毎日のように思っているんです!」
アネッテはそこまで言い切った後、にっこりと太陽のような笑顔を向けてくるようになった。
「元気出してください、エーミール様! そりゃあ確かに、エーミール様ほどの立場ですから、私の知らないような重圧もあるのかもしれません。でも、きっと良い事だってありますよ。私も、エーミール様のお力になれるよう精一杯お手伝い致しますから! だから、明日からまた頑張りましょう、ね!」
「……アネッテ」と言って、エーミールはやっと微笑んでいた。
「ありがとう。なんだかキミの笑顔を見ると、元気が出るよ」
するとアネッテは赤面すると、でれでれとした笑顔を浮かべるようになっていた。
「へへ……そ、そうでしょうか? エーミール様にそう言って頂けるのは光栄です……! ああ! 幸せな今のうちに、このまま死んでしまいたい!」
「いや、それはちょっと……止めた方が良いともうよ?」
苦笑いするエーミールに対し、「エーミール様っ!」と、アネッテはずいと身を乗り出した。
「私、これからもたくさんたくさん、エーミール様に喜んで頂けるよう、精一杯尽くしますから! なんでもご命令くださいね!」
目をキラキラと輝かせながらそう言った後、「よーし、私も頑張るぞ!」と、張り切りながらアネッテは部屋を出て行った。
「あ、あはは……」
エーミールは半ば呆気に取られながら見送った後、一人になった部屋で、ふうとため息をついていた。
「……僕も、頑張らなくちゃな。あんなに精一杯慕ってくれてるんだ。アネッテを幻滅させちゃ悪いもんな」
エーミールはそんな風に呟いた後、弱気になっていた心に鞭打ち、表情を引き締めると、「……よし」と頷くのだった。




