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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第三章 沈黙の戦地
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5:蔓延る迷信

 エリオットが人ごみをかき分けて中を覗き込んでみると、そこには吟遊詩人らしき男が立って人を集めている様子だった。


「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」と男は言った後、早速語り始めたのは、これだった。


「雪に祝福され産まれしは、灰色の髪のイドの御子。女神の寵愛を受けたその者の名はエーミール! エーミール=ステンダール! 女神の娘フェリシア公と共に現れし、救世主! 我らの白き地を取り戻すべく、神託を承りし者――女神の御姿を我らに明かすのは、灰色の若き神官!」


 彼の歌う歌によって民衆は手を叩き、盛り上がっている様子である。


「うおぉ……エーミール、知らないうちに、カルカロスではすげぇ人気じゃねぇか……」


 エリオットは呆気に取られながら、思わずボソボソと呟いていた。

 そして、(シンバリとは大違いだ)なんて、考えていた。


 その時、馬を預け終えたエーミールが、アネッテと一緒にこちらへやって来た。

 エーミール達の後ろを北領犬サバーカのヴィズがそりを引きながら追従する中、エーミールはというと、呑気にも「おーい、エリオットさん」とにこやかに手を振る。


「どうだった? 何か面白いものでもやってるの?」


 にこにこと笑うエーミールの姿を見て、思わずエリオットは「エーミール!」と声を上げていた。

 すると、人だかりを作っていた民衆たちが一斉にエーミールの方へ振り返るようになる。


 一気に大勢の人から視線を向けられ、エーミールは呆気に取られていた。


「えっ? ……ど、どうしたの?」


 偶然かと思いきや、彼らは一向に視線を逸らそうとしない。

 そればかりか、やがて泣き出す者まで出始めたと思ったら。


「「エーミール様っ!!」」と、一斉に群がってくるようになった。


「おお……彼が本物の、女神に寵愛されし神官の……!」

「ありがたや、ありがたや……!」

「聞きましたよ! グランシェス城を奪還したそうじゃないですか!!」

「神官様と女王様さえいれば、我が国に恐れる者はありませんよ!」


 口々に彼らはエーミールを誉めそやしながら、「御利益があると聞きました! ちょっと触れさせてください!」「お手を拝借……」「髪を一本頂きたい! 護符にしたいのです!」「私は毛の先ほどだけで十分で御座います!」などなど言いながら、あちこちから手が伸びてきたもので、エーミールは焦っていた。


「ちょ、ちょっと、待って! 待って!」


 しかし民は一向に待つ様子を見せなかったので、エリオットもアネッテも焦っていた。


「い、いけません! やめなさい!! いたいけな少年の髪をむしり取るなんて、なんて残酷な……! このままではエーミール様の頭髪が全滅してしまうじゃありませんか!!」


 エーミールを庇うようにして慌てて立ち塞がるアネッテと、一方でエリオットもまたエーミールの方へ駆け寄ると、腰の剣に手を添えていた。


「止まれ、近寄るな! エーミールは女王陛下の命を受けて来ているだけだ! 仕事の邪魔をするんじゃねぇよ!」


 威嚇するエリオットの姿を見て、やっと民衆たちはすごすごと離れてくれた。

 代わりに、近くに居た門番のアゴナス兵が歩み寄ってくるようになった。


「も、申し訳ありません! エーミール様でしたか! 民衆を止められずに……」


 恐縮するアゴナス兵に対し、「まったくだ!」と言ってエリオットは腹を立てている。


「なにぼさっとしてんだよ! お前ら、治安維持も仕事の一つだろうがよ?!」


「き、気にしないで……」と苦笑交じりにエーミールは答えたものの、内心、(ああ、びっくりした……)と思って、胸をなでおろしていた。


「……でも、なんでそんなに僕の髪の毛を欲しがるの?」


 ふとエーミールが疑問を口にすると、民衆たちは我先にといった調子で説明してくれた。


「なんでも、エーミール様が若くして奇跡を引き起こせるまでの神官であられるのは、女神様の寵愛を受けているからというではないですか!」

「エーミール様の心身には女神様の御利益が宿っていると言いますから、髪の毛の一本でも十分に、家内安全と商売繁盛、更には恋愛成就や子孫繁栄の効果があるとか……!」

「そんなにたくさん生えていらっしゃるのですから、一本ぐらい頂いても良いではないですか!」


 彼らが口々に話すのを聞いて、エーミールは唖然としていた。


(そんな根も葉もない話、一体どこから湧いてくるんだろう……)


「……まるで縁起物みてぇな扱いだな、エーミール……」


 エリオットから苦笑いを向けられ、「あはは……」とエーミールは乾いた笑いを返すしかなかった。

 そんなエーミールに対し、「あの、ところで……」と恐る恐る声を掛けてきたのは、門番だった。


「もちろん、フォーゲルン卿の元へは立ち寄って頂けるのですよね? 領主様はエーミール様の事を、とても気に掛けておられましたので、出来れば城へ行って頂きたいのですが……――」


「えっ、そうなの?!」と、思わず声を上げたエーミールは、もちろんそんな予定、考慮に入れていなかった。


(できれば早くリュミネス山へ行って、早くお城に帰りたいんだけど……)


 そう考えるエーミールに耳打ちしてきたのはアネッテである。


「エーミール様、ここはお誘いを受けている以上、立ち寄らねば失礼になってしまいますよ」


「そ、そうだよね……」


 エーミールはため息をつきたくなったものの、やがて、頷いていた。


「……仕方ない。わかった、行くよ」


「ありがとうございます!」と、門番は答えた後、「――ところで」と言い足した。


「宜しければ、私にも髪を一本頂けるなどということは……――」


「ありません」と、冷たく応じたのはアネッテである。


「……ですよね」と言って、門番はすごすごと引き下がった。





 こうして、エーミールはアゴナス城へ立ち寄る事になってしまった。

 エリオットが警戒している事もあって、もう民衆が近付いて来る事はない。しかし、遠巻きにひそひそと囁き合っている。


「おお、あれが噂の……」とか、「前に姫殿下の演説の時に見たぞ! 本物のエーミール様だ!」「馬鹿言え、今は女王陛下なんだろ?」とか、聞こえてくる。


「……まったくそれにしても」と、エーミールの傍らを歩くアネッテは不機嫌そうである。


「皆さん、図々しすぎます! まさか町に入っていきなり、髪を欲しがられるとは思いませんでしたね」


「ホントにね……」


 肩を落としながら頷くエーミールに対し、「私だって我慢しているのに!」とアネッテ。


「……え?」


 思わずエーミールは疑問符を口に出していた。


「な、なんでもありませんよ?」


 アネッテは慌てた様子で取り繕っていた。

 そんな彼女を見てエーミールは、(深追いするのはやめておこう)と胸に誓った。


 それにしても、カルカロスに入ってからというもの、エーミールは急にどっと疲れたような気分になっていた。

 髪の事もさることながら、よくよく聞いてみると、彼らはエーミール達の後方をついて歩いているヴィズにまで珍妙な噂を流している。


「おい知ってるか? なんでも、あの北領犬サバーカなんぞ、女神様から承った神獣だとか」

「おお、すげえ……! 言われてみればあの白い毛並み、銀色に輝いているように見える! さすが神獣!」


(また適当なこと言い出したな……)と、エーミールは考えていた。


(多分こうやって女神の教えや古竜のことも、これまで湾曲されて伝えられてきたんだろうな……。伝説が歪んで行く経緯を目の当たりにしてる気分だ)


 エーミールの半ば呆れが入り交じる心境をよそに、民衆たちは民衆たちで大いに盛り上がっている様子だ。

 半ば祭りのようになる町の様相は、あっという間にフォーゲルン卿の耳に届いたようだ。


 エーミール達が城門の前に到着する頃には、そこに領主であるフォーゲルン=モスコフ=アゴナス卿本人が立って、待っていた。

 その傍らには、領主補佐官であるヴィーノ=ヴァルゴーダ卿も立っていた。


 フォーゲルンはエーミールの姿を一目見るなり頭を下げて、「これはこれは、エーミール殿」と自ら声を掛けてきた。


「お元気そうで何よりですな。先のグランシェス城奪還作戦、実に鮮やかであったと伺っております。我が兵も役に立っていれば良いのですが」


 にこやかに話し掛けてくるフォーゲルン卿は、これまでエーミールが抱いていた、エーミールを小姓と呼んで不快そうな表情を浮かべていたイメージとは大違いである。それに戸惑いながらも、「は、はい」とエーミールは頷いていた。


「お陰様で、なんとか」


「そうですか」と、フォーゲルンは微笑んだ。


「ところで、立ち話もなんですから、どうぞこちらへ。我々は神官殿の訪問を歓迎致しますぞ。もちろん、そこのお付きのそり犬も一緒にどうぞ」


 そう言ってフォーゲルンは、エーミール達を城内へ案内してくれた。



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