1:迫る軍勢
雪原を更に埋めるように、はらはらと雪が降っている。
やがてその雪が止むのを見るが否や、赤い髪をした男が大きな声を張り上げて叫んだ。
「出陣だ!!」
その、鎧が放つ黒金の光沢は、雪の中において異質なものとしてよく目立つ。
キャスペル=シェンバーは、立派な体格をした大きな短毛の黒い馬に跨りながら、数万の軍勢の先頭に立つ。
「イェルド様の無念、そしてこのふざけた戦地で受けた苦汁!! この私が晴らしてみせようぞ!! せっかく、指揮権の代任を得ているんだ! その上、四万の兵がここには居る! このまま主君の元へ、ただ移動するだけでは兵力が泣くというもの……!」
(見ていてください、イェルド様! あなたが復帰する祝いとして、この私がグランシェス城奪還という栄誉を手土産に致しましょうぞ!!)
そう考え、キャスペルはニヤリと笑みを浮かべるのだった。
キャスペル率いるモレクの軍が、着々とカルディアの地へ向けて進軍してくる。
それは、フェリシア達がグランシェス城を取り戻してから、三週間ほど後の日の出来事である。
その日も白塗りの鎧を身に着けたグランシェスの兵たちは、カルディア南部の平野へと足を運んでいた。
そこでは、あちこちに丸太や材木が積み上げられており、あちこちで兵士たちが作業に勤しんでいる。
穴を掘ったり、柵を作ったり、或いは何かを地中へ埋め込んだり等。
これらはエーミール=ステンダールという名の、女王陛下に参謀として指名されている少年の指示である。
各所をこのようにしろという指示を受け、兵士たちは毎日のように土木作業を行っている。
とは言え――この指示を出した張本人はここには居ない。
つい先日まで、毎日のように顔を出しては視察や指示出しに来ていたのだが。
「……――それにしても」と、作業中の兵の一人がふと口を開く。
「エーミールってのは、変わった少年だよな。こんなものを作れって指示を出すんだ。参謀としての腕はピカイチらしいが……」
「ああ、まったくだ」と相槌を打ったのは、同じく作業中の兵である。
「普通なら、戦場というものは兵が陣を作って正面から打ち合うものなんだがな。こんな作戦、見たことも聞いたことがないよ」
「これなんか、“狩人の知恵”らしいぜ?」
「狩人? あの参謀、狩人なのか? 俺は神官って聞いたんだが……」
「えっ。医務官じゃないの?」
「いやいや、犬飼いだろ?」
「えっ、実は小姓なんじゃないのか? 俺はそう小耳に挟んだ事があるんだが」
口々に兵たちは言い合った後、顔を見合わせて首を傾げる。
やっぱり変わった少年だ。というのが、この場に居る全員が共通して抱いた感想である。
「――しかしまあ」と、やがておもむろに一人が話題を進めるようになる。
「大したものだよな。あの年でそれだけの事ができるんだもんな」
それに対し、「そうだよなあ」と言って、他の兵達はコクコクと頷いた。
「あいつは多分、雰囲気からして十三歳ぐらいだろ? まだ子供なのに……」
「いや、準成人だろ? 十三歳にしては背もあるし、あの外見は十六歳かそこらだろ?」
「は? 準成人であの知識量は無いだろ。俺は多分、童顔の十八歳ぐらいだと思ってたんだが」
その後、しばらく沈黙が流れた後。
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
誰からともなく疑問符だけが口からこぼれた。
結局、掴み所のない謎の少年。という結論が兵の間で実感として染み渡りつつある頃。
もっと前方で、新しい作業現場を作るための仕度をしていたはずの兵数十名が、長毛馬に跨ってこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。
その先頭に居るのは、先日処刑されたグスタフが隊長を務めていた第五隊に所属する班長のうち一人。バターコ=チェンチコフという名の、薄いきはだ色の短髪をした青年である。
その、バターコ班長が、こちらを目視するが否や、「おーい!」と言って片手を振り始めた。
「おーい、今すぐ片付けろっ、現場を片せ!」
片手を大きく振りながら大声を上げつつ、慌てた様子で彼が駆け寄ってきたので、作業中の兵たちはキョトンとしていた。
「なんだ、なんだ?」
「一体どうしたんです?」
ポカンとする彼らの元にたどり着くが否や、馬から降りると、バターコが慌てた口調で話すことは、これだった。
「大変だ。モレク軍がこっちに来てるんだよ!」
「え?」と、それを聞いた兵達は瞬く間に苦笑いの表情を浮かべるようになった。
「なにを言ってるんですか?参謀殿は、次の敵襲は早くて城奪還の日から数えて二か月後だと仰っていたじゃないですか」
半信半疑でいる彼らは、いまひとつバターコ班長のことを頼りないと考えているのだ。
なにしろバターコは、半数以上が元民兵で構成されているグランシェス兵の中において、元ゴート兵だという理由だけで班長として任命されている身である。歳は若く経験も浅い。グランシェス兵はそういった隊が大半であるため、規律の強い一般的な軍――特に、戦神ダンターラを主神とする国家にあるような軍よりも、ずっと砕けた雰囲気を持っている。
そんな緩い部下たちに知らしめるために、バターコは語気を強めていた。
「しかし、来てるモンは来てるんだ! 良いから、地面に耳を当ててみろ!」
バターコに促されるがまま、兵たちは次々と地面に這いつくばると耳を当てていた。
そして確かに馬脚の音を聞いたのだ。
その地に響くような低音からして、数は――万はくだらないだろう。
さあっと青ざめる兵たちに、バターコは「そらみろ!」と言う。
「この大軍勢、軍以外に考えられん! 俺たちは後方の兵に知らせに行く! お前たちは、早々に現場を畳んで身を隠せ、わかったな!」
それだけ言い残すと、バターコは再び馬に跨り、他の仲間と共に走り去ってしまった。
残された兵たちは、さっきまでの雑談交じりに作業していたゆるんだ空気はどこへやら、無言になると、放り出されたスコップや木材などをいそいそと片付け、端の方にある草地の中に隠し、自分たちは馬に跨ると、いっせいに散り散りに離れるようになる。
人気が無くなってしばらくの後、この場に姿を現したのは、黒金の鎧を身に着けた集団――モレク兵である。
先頭を行くのは、ずらりと隊列を作った馬に跨った騎兵たち。
その騎兵の半ばほどの位置で、銀狼の旗を掲げている赤毛の騎士、キャスペル=シェンバーは馬を歩かせていた。
「……ん?」と、ふと、騎兵の一人が馬を止める。道の先に、スコップが一本転がっているのを見つけたからだ。
それは、先ほど撤収した兵たちが回収し忘れた物だった。
「キャスペル様!」
違和感を覚え、兵は後方のキャスペルに向けて声を上げていた。
「前方にスコップが落ちています!」
それがどうしたと思ったため、キャスペルはこう答えていた。
「それがどうした! スコップ依存の過ぎるグランシェス人が住んでいるような土地だぞ? たまに落ちていてもおかしくはなかろう。構わん、行け!」
キャスペルがそう言ったため、「はっ!」と一言の後、彼らは改めて馬を歩かせ始めるようになる。
と、次の瞬間。
「うわあぁっ!」という悲鳴が、突如として前方で上がった。
先頭を歩く騎兵たちが、ガラガラと突然崩れ落ちた地面と共に、穴の中に落ちてしまったのだ。
その穴は三メートルもの深さがあり、横長に掘られていたようで、先頭だった騎兵たちは右端から左端まで一通り落ちてしまった。
強か地面に叩きつけられ、馬が足を折ったり腹を打ったりして嘶く中、一部まばらに突き立てられた尖った杭の幾つかに、兵が突き刺さった。
「グアアァァッ!」「うううっ……!」という、呻き声や苦悶の声があちこちから響き渡り、穴の手前で立ち止まった、先頭に追従していた馬たちが動揺した様子でブルブルと鳴いて足を持ち上げるようになる。
「おいこらっ、落ち着け!」
「待て、暴れるな!」
騎士たちは慌てて馬を諫めるが、一部の馬はパニックのあまり、自ら穴の方へ駆け寄って落ちてしまった。
そうして瞬く間に混乱するのを見て、キャスペルは慌てて「行軍停止!!」と命じて行軍を止めていた。
「一体なんだ、何事だ!」
キャスペルは馬を混乱させないために、傍らに居た騎兵に旗と自身の馬を任せると、自分は降りて、今もパニックの只中にある前方へ駆け寄っていた。
そしてキャスペルは見たのだ。
故意に掘られた穴の中に落ちて、パニックに至っている自身の軍勢の姿を。
不幸にも杭に突き刺さった兵は、既に息絶えている様子でぐったりとしている。
「グランシェス人め……!」
キャスペルは怒りによってブルブルと震えていた。
「落とし穴を用意しているとは……相変わらず姑息な連中だ……! 戦神ダンターラ様の聖なる戦地を汚す事しか考えていない。けしからん!」
「どう致しますか、キャスペル様?!」
そう訊ねたのは、ようやく馬を諫め終えた騎兵の一人だった。
「決まっている。無事な者を引き上げ次第、行軍を続けるんだ! 馬は……残念ながらもう使い物にならないだろう。捨てて行くしかない……! クソッ……!」
キャスペルは怒り任せに地面を踏み付けていた。
すると偶然、そこに落ちていたスコップの剣先を踏み抜き、ぐるんと起き上がったスコップの取っ手部がガツンとキャスペルの脇腹を叩きつけていたのだ。
「グワァ……!!」
キャスペルは衝撃によってよろめいたものの、ニヤリと笑みを浮かべていた。
「馬鹿な連中め……こんな所にも罠を仕掛けたようだが、鎧を身に着けていたから無事だった……!」
「いえ、それは先ほど落ちていたスコップで……」
言い掛けた騎兵の言葉を遮るように、「やつらめ!」と叫ぶなりキャスペルは拳を振り上げていた。
「このようなふざけた真似をしでかした事を、後悔させてやろうではないか!」
「……はっ!」と騎兵は頷いていた。
「絶対に後悔させてやる!」
キャスペルは改めてそう叫ぶと、険しい表情と共に、グランシェス城が待つであろう平野の先の方向を見据えるのだった。




