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20:身代わり

 フェリシアから、アゴナス地方へ向かうように伝えられたのは、それから数日した後の事だった。


「えっ、リュミネス山……ですか?」


 エーミールが敬語を使ったのは、ここが謁見の間だったからだ。

 フェリシアは朝一番の謁見が始まる直前の時間に、エーミールをこの場に呼び付けたのだ。

 今回もヴィズの世話の途中だったため、アネッテに任せる形で来たため、エーミールは一人で玉座に腰掛けているフェリシアと対面していた。


 フェリシアの左右には、今日もパトリックとカリーナが立っている。


「リュミネス山へ行って、何をすれば良いんですか?」


 エーミールの疑問に、フェリシアは答えていた。


「大神官様をお連れしてください」


「えっ……?!」


 エーミールがギョッとするのも無理も無い。色々と嫌な思い出が詰まっているのだ。大神官には。


「でも、大丈夫かな……」


 戸惑うエーミールにフェリシアが伝えたのは、こんな事だった。


「今のあなたの立場を明白にするには、やはり、大神官様のお力を借りるのが一番良いわ。大神官様なら、グランシェス人が知る限り、正真正銘のイスティリア信仰の最高権力者ですからね。その者の口から直にあなたの存在を証明してもらえる事が、一番信用を得られる形であると思うのよ」


「それはそうでしょうけど、あの人、素直についてきてくれるかな……? もしかして、また『神王様』とか言い出すかもしれないよ?」


「なんとか説得してきてください」


「なんとか?!」


 エーミールは無茶振りだと感じてギョッとしていた。


「だって、色々と考えたけれど、やはりそれが一番早いではないですか」


 フェリシアがそんな風に言うのは、確かに尤もであるとエーミールも感じる。

 しかし、不確定要素が余りにも大きすぎるのだ。下手をすればナイフを向けられかねないし。


「もしダメだったらどうするんです?」


 エーミールの疑問に、フェリシアはこのように答えていた。


「それならそれで仕方ありません。その時は諦めましょう。しかし、ダメ元でも行く価値はありますよ。あなたが大神官様にも認められる正規の神官であると証明する事ができれば、あなたの処分を求める民の声も落ち着くでしょう」


 フェリシアの言い分には筋が通っているとエーミールは思えた。とは言え、大神官が納得するとは到底思えないのだが……。


「……本当に、民を納得させるためですよね? まさか陛下、僕が居ない間に何かするつもりとかありませんよね?」


「……コホン」


 咳払いをしたのはカリーナだった。


(エーミール、鈍い鈍いと思っていたら、変なところで鋭いのね……)


 そう思ったのはフェリシアだけではない。カリーナも同様である。

 しかしフェリシアも曲者で、表情をピクリとも動かさないまま、「もちろん」と言う。


「そのようなつもりはありませんよ。大体あなた、奇跡を頑なに使おうとしないのだもの。アゴナス地方のように、女神様をお披露目すればここカルディアでも一発で済む話なのですよ? 原因の一端はあなたにもあると思って頂きたいのだけど」


 フェリシアにそう言われてしまうと、エーミールはぐうの音も出なかった。

「……それは、そうなんだけどさ」と言って困った風に苦笑しながら、ぽりぽりと髪を掻く。


 そうやって、素朴に笑うエーミールの表情を見て、なにも感じないわけではない。


(……エーミール)


 フェリシアは一瞬、表情が零れかけるが、すぐに微笑を取り繕っていた。


「供にアネッタを。それから念のため、護衛を一人つけましょう。よろしくお願いしますね、エーミール」


 フェリシアの言葉を聞いて、「わかりました」とエーミールは頷いていた。





 翌日、早速出発する事になったエーミールは、しっかりとコートを着込んで、厩舎のヴィズに久しぶりに荷を乗せた荷車を取り付けていた。


「よろしく頼むよ、ヴィズ」


 そう言ってエーミールがヴィズの頭を撫でると、「バウッ!」と張り切った様子でヴィズが一鳴きした。


 エーミールがヴィズと一緒に城門の前に行くと、そこには既に旅支度を終えた二人が待っていた。

 一人はアネッテで、メイド服の上からコートとマフラーを取り付け、背中に大きめのリュックを背負っている。

 そしてもう一人は、既に馬に跨った状態で、「よう!」と笑い掛けてきたのは。


「エリオットさん?!」


 エーミールが驚きの声を上げると、その、白塗りの鎧の上から毛皮のサーコートを纏っている砂色の髪をした長身の兵士は、ケラケラと笑った。


「おう。エーミールの護衛役を誰が引き受けるかって話が来るじゃねぇか? もちろん、俺が志願したってことよ」


「いや、でも。エリオットさんって、隊長だよね?」


 困惑するエーミールに対し、「べつに良いじゃねぇか」と言ってエリオットは笑う。


「細かいことは、副隊長に任せときゃ良いんだよ。どうせあと一ヵ月弱は戦だって無ぇんだろ? 見回りや土木作業は、俺にとっちゃ退屈でしゃーねぇんだよな」


「土木作業って。みんなそう思ってるのかな? シンバリを守るには大事な事なんだけどなあ……」


 困った様子で髪を掻くエーミールに対し、「まあまあ!」とエリオットは答えていた。


「良いじゃねぇか。こうして陛下も、俺の同行を認めてくれたわけだしさ!」


「うん……そうだね」


 頷きながら、エーミールは内心で思っていた。


(……まさかと思うけど、エリオットさんも邪魔だったとか無いよね? エリオットさんって、お喋りだもんな……いやでも、フェリシアはその気は無いって言ってたし。信じてあげないと悪いよね、うん)


 そう思い直した後、ヴィズの荷車に足を引っ掛けると乗っていた。


「アネッテは、馬か犬、どっちの方が良いかな……」


 呟いたエーミールに、「ご心配なく!」とアネッテは答えていた。


「エーミール様のお手を煩わせるわけにはいきませんから! もちろん、エリオット隊長にお願いします!」


「へーへー。……しかしエーミール、お前、馬にしなかったのか? 犬ぞりなんぞより、馬の方が足が速いのによ……」


 アネッテから受け取った荷を馬の腹に括り付けながらのエリオットの疑問に、「良いんだよ」とエーミールは答えていた。


「僕たち狩人は、相棒と決めた北領犬以外は乗らないと決めているんだ。そうじゃないと、ヴィズに示しがつかない。北領犬サバーカというのは、信頼関係を何よりも大事にしているんだ」


 そう話しながら手を伸ばしてヴィズの背を撫でるエーミールを見て、エリオットは目を丸くさせていた。


「……お前ってヤツは。狩人だったり神官だったり参謀だったり、わかんねぇヤツだな。その上、医務官もできるんだもんな。ただの村人だって言い張るヤツも居るけどよ。俺はもっとトンデモナイ可能性をお前に感じてるぜ! ……まあ、細かいことはよくわかんねぇけどさ」


 そう言ってエリオットはあっけらかんと笑っている。

 そんなエリオットを見て、エーミールは表情を綻ばせていた。

 エリオットはエーミールにとって、幾らも年上だが、なんとなく同年代のような親しみやすさを感じるのだ。


「それじゃあ、出発しようか」


 アネッテが馬に乗り終えたのを確認すると、エーミールが言う。


「おう!」「はい!」と、二人はそれぞれ返事をするのだった。



 エーミール達が走り去るのを私室の窓から見送った後、フェリシアは「――さて」と振り返っていた。


「モレク人は選び終えているわね? 早速、処刑の準備を致しますよ」


「はい」と頷いたのは、カリーナだった。





 こうして、フェリシアの指示の元、一人のモレク人が選び出され、更にその三日後には、処刑人の手によって喉をつぶされた後、シンバリの町の広場に設置した処刑台に上げられる。

 予想以上に多くの観衆が駆け付ける中、フェリシアが下した刑は実に残酷な物だった。


「罪人を柱に取り付け、鞭打ちを百度。その後、民の投石を許可致します」


 その言葉に従って処刑台に上げられたのは、エーミールとは似ても似つかない。草色の髪をした痩せこけた若者である。

 無罪だと声を放とうとして、咳き込む若者を木の柱に括り付けた後、処刑人の手による鞭打ちが始められた。


 まるで祭りの如く騒ぎ立てる民衆たちを、フェリシアはバルコニーの上から眺めていた。


(処刑風景はきっと、エーミールが話していた時代とあまり変わらない)


 フェリシアはバルコニーの手すりをギュッと握り締めていた。


(残酷であるとわかっている。それが、むごたらしい光景であるとも……――しかし、成さねばならぬ時もあるのです)


「……私はこの国の王ですから。常に民の期待に応えることの出来る者で在らねば」


 誰に言うでもなく、フェリシアは呟いていた。


 王としての権威を笠に着て、民の言論を封じることも出来ないわけではない。

 しかし、それをして長く続く王家をこれまで見たことがないと、語る父の姿を覚えている。


(今や銀髪の者はコーネイル家とドーシュ家を除いて居ない。民は私を除き立てる事のできる王を持たない)


 ――私がなんとかするしかないのだ。と、フェリシアは考えていた。


(私がなんとかしなければ。北領の民は再び平和を取り戻す事ができない)


 そのためならば、ありとあらゆる事をしても構わないとフェリシアは思っていた。

 例えそれが心身を蝕んだとしても、死の間際まで民にとって良き王を保ち続ける必要がある。


(……私が、発端だから)


 フェリシアの胸の内には、未だに罪悪感がくすぶっていた。

 女神の導きであったと聞いても、自分が成した結果、始まった戦なのだという思いが拭い去れない。


 だからこれは贖罪なのだ。

 あらゆる罪を負い、責務を負い、咎を引き受けること。


(それが私の役目だから)


 フェリシアはただじっと、処刑の光景を見据えていた。

 自身が犯したその罪を胸に刻み込むように、忘れ去らないように。


(屍の上に王は立つ。……その覚悟も出来ずに何が女王ですか)


 フェリシアは吐き気を堪えながら、ただじっと処刑の様相を眺めていた。



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