16:束の間の滞在
翌日、エーミールは村長に言われるがまま、巡礼団と共にスコップを持って屋形を回収しに行った。
村の入口へと運び込まれてきた屋形はどうやらボロボロに壊れてしまったようで、あちこち穴だらけになり部品も外れているそれを見るなり、エーミールの父は唸っていた。
「これは酷い……引かせるための長毛馬はイド村に居るやつで代用するとして、屋形の代わりを用意する事はできません。修理するために、四日ほどは掛かってしまうかもしれません」
そんな父に対し、パトリックは「ふむ……」と頷いていた。
「予定よりも随分と遅れてしまいそうだな……」
「――まあ、とは言え、仮に屋形が壊れなかったとしても、吹雪にでも遭えば二、三日の延期はざらにある事ですからな。むしろこれまでの旅路、吹雪に遭わなかった事が幸運すぎるほどです」
そう言ったのはヨボヨボと杖を突いている村長だった。
「ふむ、それもそうですな。やむを得ぬ。姫様には申し訳ありませんが……――」
パトリックが視線を向ける先では、フェリシアが屋形の様子を見る為にカリーナと共にやって来ていた。
「いえ、構いません」とフェリシアは答えていた。
「イド村の皆さんさえ良いのでしたら、滞在させて頂きましょう。皆の体力にとっても良い筈ですから」
「構わぬのですかな?」
「はい」とフェリシアは頷いていた。
「急ぐ理由はどこにも無いではありませんか」
「……確かに、それもそうですな」
頷いた後、パトリックは村長に対して伝えていた。
「では、申し訳ありませんが、もうしばらく世話になります」
「おお、おお。幾らでも居てください」
気前よく、そう村長は答えていた。
屋形の修理のために父は数人の騎士と共にこの場に残り、後は解散となった。
エーミールはどうしても気になる事があって、父に話し掛けていた。
「ねえ、父さん。四日も巡礼団の人が滞在するなら、食べ物は足りるの?」
「それなら心配は要らない」と父は手を動かしながら答えていた。
「万が一エーミールが主を狩り損ねた時のために、北領鹿を余分に狩って雪の中に保管してあるからな。後は干し肉や干し野菜を使えば、なんとかなるだろう」
「でも干し肉や干し野菜の方は、吹雪が来た時にやり過ごす用じゃ……」
言い掛けるエーミールの方を振り返り、父は思わず眉間に皺を寄せていた。
気付けば、騎士たちが心配した表情を向けてくるようになっている。
「レナード殿。宜しかったのですか?」
「まさか、我々は御迷惑になっているのでは……」
「いえ、構わんのです。子供が勝手に取り越し苦労をしているだけですから」
父がそう答えたので、エーミールはムッとしていた。
(なんだよ、子供が勝手にって……)
そんなエーミールに、父が「エーミール」と耳打ちをしてきた。
「言って良い事と悪い事の区別を付けなさい。吹雪の時の食糧など、後で幾らでも作り足す事ができるんだ。最悪、隣町のウインテルへ買い付けに行く事だってできる。それよりも今は巡礼団の皆さんに気持ち良く過ごしてもらう事の方が大事だろう?」
「あっ……」
エーミールは言われて初めて自分の失言に気付き、慌てて口を塞いでいた。
そんなエーミールの姿を見て、父は苦笑していた。
「お前はまだまだ子供だな……」
(姫様は十五歳と言うが、成人と聞いても遜色が無い立ち振る舞いに見えた。エーミールはやはり……我々は甘やかしすぎてしまっているんだろうな。優しい子に育ってはいるんだが……)
内心そう思いながら、父はエーミールに伝えていた。
「ここは良いから、キミは母さんの手伝いでも行ってきなさい」
「はーい」と答え、エーミールはすごすごと立ち去る事にした。
エーミールが家へ帰ると、母はカリーナと一緒に台所に立っていた。
聞いてみると、「今日の夕飯を用意しているのよ」との事である。
「何か手伝える事はある?」
エーミールが尋ねてみると、「特に無いわよ」と母は答えていた。
「薪割りも、騎士の人たちが手伝ってくれてるのよ。だから、今日の分どころか、一週間分ぐらい間に合いそうよ。本当、助かるわ」
そう言った母に対して、「いえいえ」と応じたのはカリーナである。
「数日の滞在をお願いする上に、新しい長毛馬まで用意して頂けるのですから、これぐらいはしなければ。遠慮せず、ビシバシとご用命くださいね!」
「ホント、助かるわ」
母はニコニコと上機嫌である。
「そっか。じゃあ、僕はコーダの遊び相手でもしてこようかな」
エーミールがそう呟くと、「そうだ」と母が振り返ってきた。
その手には水筒が持たれていた。
「さっき、王女様が散歩に行くと仰られて出て行かれたのよ。念のため、水筒を持って行った方が良いと思って用意したんだけどね。私が持って行くつもりだったけど、せっかくだし、あんた暇なら持って行ってちょうだい」
「うん、わかった」
エーミールは気前よく頷くと水筒を受け取ると、玄関ドアの前の石畳へと行く。
コート掛けからコートを取って羽織ると、「行ってきます!」と一言、家を後にしていた。
イドの村を端から端まで繋ぐのは、踏み均された雪の道である。毎朝、村の高齢者が雪踏みという道具やスコップ等を使う事によって、この村は日々不便無く歩き回る事ができるようになっている。
その道の中をのんびり歩くのは、厚手の白いドレスの上から、コートとケープを羽織った、白銀の髪の少女。
「お姫様!」とエーミールが彼女の背に声を掛けると、彼女は振り返ってきた。
「あら、エーミールではないですか。どうしたの?」
穏やかに微笑むフェリシアは、雪の景色が良く似合っている。
エーミールは緊張してしまう自分を感じたものの、駆け寄っていた。
「あ、あの。母さんがこれをお姫様にって……」
エーミールが差し出したそれを見て、フェリシアは首を傾げていた。
「水筒?」
「うん」と頷いた後、彼女は水筒を持ち歩く理由がわからないのだという事に気付いたため、エーミールは説明していた。
「こうやって水筒の中に暖かくて甘いスープを入れて持ち歩くんだよ。体が冷えたり、喉が渇いたりした時に飲むんだ。そうしたら、雪の病になりにくいからね」
「そうですか」と言ってフェリシアはエーミールから水筒を受け取っていた。
「お心遣い、ありがとうございます」
「うん」
にこにこと笑うエーミールに、「そうだ」と思い付きでフェリシアは言っていた。
「良ければこれから、散歩に付き合ってもらえるかしら? この村を案内してほしいのですが」
フェリシアの提案を聞いてエーミールは目を丸くさせたものの、嬉しくなって、すぐに頷いていた。
「良いよ」
「では、よろしくお願いしますね」
「うん。……あ、ちょっと待っててね。しばらく外を出歩くなら、念のためにカバン持ってくるから」
そう言ってエーミールは走って家に帰ったかと思うと、すぐに腰のベルトに大きなカバンを吊り下げて引き返してきた。
「そのカバンは? そういえば、イド村の皆さんは外を出歩く時はいつもカバンを持ち歩いておられるようですね」
フェリシアの疑問に、エーミールは頷いていた。
「うん。何かあった時のためにね、毛布と火打石と携帯コンロと、それから折り畳みスコップは常に持ち歩きなさいって父さんから言われてるんだ」
「そうなんですね。シンバリでは無い事ばかりだから、とても新鮮よ。それに、ここまで深い雪を見るのも、アゴナス地方に来て初めてだったし」
「そうなの? シンバリって、地熱があるから暖かいって聞くけど、そんなに違うの?」
「ええ、そうね。少なくとも雪がこんな風に積もったりはしないわね」
「えっ、ホントに?!」
エーミールの驚く様子は実に無邪気であるため、フェリシアは微笑ましくなって「ええ」と頷いていた。
そうして二人で歩きながら、エーミールの知らない首都シンバリの話や、片やフェリシアの知らないイド村での暮らしについてを話しながら、和気藹々と散歩をするのだった。
それはお互いにとって何から何まで新鮮で、知らない事ばかりだった。
無邪気にフェリシアに色々な話を聞きだそうとするエーミールの姿に、(この子って可愛いわね)とフェリシアは改めて思っていた。
(こんな弟が居てくれたら良いのに)
庶民の姿を見て、心底からそんな風に思うのは、生まれて初めてだった。
そうしてのんびりと過ごすうちに、一日が経ち、二日が経ち――
四日目になって、ようやく屋形の修理が終わると出発の日となった。
「……お姫様」と村の大人たちの先頭に立って話し掛けてきたのは、この数日ですっかり親しくなったエーミールである。
「もう行っちゃうんだね」
エーミールは寂しそうな表情をしていたから、フェリシアまでガラにもなく寂しさを覚えていた。
しかしここで寂しそうな表情を出すのは王族の威厳を損なうため、フェリシアは我慢していた。
「巡礼の旅の途中でしたからね」
そう言ってエーミールに対して頷いた後、フェリシアは十人にも満たない村人たちを見回して、感謝の言葉を述べていた。
「世話になりましたね。あなた方の献身、私共は生涯忘れは致しません。と言っても……帰りも半日ほど、立ち寄る事にはなるでしょうけれど」
そう言い足して微笑むフェリシアに、村人たちからも笑顔が毀れる。
その中から村長が歩み出て、深々とフェリシアに頭を下げていた。
「このイド村に住まう者一同、あなた方の旅の安全をお祈りしております」
「ええ、ありがとう」と言ってフェリシアはにこりと笑った。
それから屋形に乗ろうとして背を向けるフェリシアの元に、「お姫様!」と言って駆け寄ってきたのはエーミールだった。
エーミールはフェリシアの手をギュッと握ると、振り返ったフェリシアの青い瞳を真っ直ぐに見つめる。
「僕たち、また会えるよね。また会った時、色んな話を聞かせてくれるよね?!」
エーミールは真剣な表情をしてフェリシアを見ていたため、フェリシアは罪悪感を覚えていた。
「え……ええ、そうね」
そうは答えたが、そんなわけが無いことはフェリシアが一番良く知っている。
何しろ随分と遅れを取っているため、帰りは本当にのんびりと停泊するような予定も無く、旅に必要な資材の調達だけをして早急に帰還する手筈になっている。
「…………」
思わず沈黙したフェリシアの気持ちを汲み取ったのは、傍らに立つメイドのカリーナである。
「……姫様」
心配そうな表情を向けるカリーナに、フェリシアは微笑を向けていた。
「気にしないで」と小声で答えた後、フェリシアはエーミールに話し掛ける。
「……また会えるように、女神イスティリア様にお祈りをすれば良いわ。そうすればきっと、あなたの願いを聞き届けてくれる」
「…………」
エーミールは彼女の態度にどこか事務的なものを感じて、そっと手を離していた。
そうして、「……お姫様」と呟いていた。
「僕と指きりして」
「……?」
「こうやって小指を絡め合わせて約束をしたらね、きっとそれは叶うんだよ。そういうおまじないが、庶民にはあるんだ」
エーミールが差し出した小指に、フェリシアは小指を絡めていた。
「また会おう、約束だよ」
エーミールは微笑んでいた。
「……そうね」とフェリシアもまた微笑んだ。
それがきっとこの少年の、最後のワガママなのだろうと思ったからだ。
ならばそれを聞き入れるのが、民衆の上に立つ王族としての仕事だろう。
「姫様。そろそろ……」
ふと隣からパトリックに話しかけられる。
出発の時間なのだ。
「じゃあね、エーミール」
フェリシアはエーミールに微笑みかけた後、くるりと背を向けていた。
「またね、お姫様」
エーミールの声を背中に聞きながら、フェリシアは屋形のドアを騎士に開けてもらうと、乗り込んでいた。
「またね――!」
少年の声を遠くに聞きながら、やがて動き出す屋形の中でフェリシアは膝を抱え込んでいた。
(またね……か)
寂しくないと言えば嘘になる。
あどけなく無邪気なあの少年が、フェリシアは嫌いじゃなかったから。
しかしフェリシアは王女で、エーミールは庶民なのだ。
もう二度と交じり合うことは無いであろう未来を思い、フェリシアは口を噤むと顔を上げていた。