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16:忘れ形見

 近頃フレドリカは退屈だった。


(最近、エーミールさんが遊んでくれない……アネッテも、忙しいと言うし……)


 フェリシア様の補佐をしている聞くけど、一体何をしているんだろう?

 そんな事を考えながらフレドリカは、今日もグランシェス城の中庭を散策していた。


 今はアネモネの花が植えられているこの庭であるが、かつては一面、プリムラの花が飾られていた。

 しかし、ここがモレク第二王国の物になると同時に、全て引き抜かれてしまったが。

 代わりに植えられたのが、アネモネの花である。中でも白と青と紫色の花弁を咲かせるものをイェルドは好んで植えさせたようで、今となっては庭は、まるで深い湖面に雪を散りばめたかのような様相を醸し出すようになっている。


(……何故、イェルド様はこの花を植えようと思ったんだろ……?)


 フレドリカはふと、花壇の傍らにしゃがみ込むと、花弁の一つに手を伸ばしていた。

 すっと手で撫でながら、考え事をしていた。


(こうして一人きりで居ると、嫌な事ばかりを思い出してしまう……)


 ……――でも。と、フレドリカは目を細めていた。


(エーミールさんと一緒の時は、不思議と嫌な事が浮かんでこない。いつもある不安が、スッと消えて無くなってしまう。きっと、とても優しい人だから……きっと安心する事ができるんだと思う)


 そう考えながら、フレドリカは頬を染めていた。


(はあ……早く会いたいな……)


 そうこう考え、物憂げにため息をこぼす少女の姿を、渡り廊下の方からぼうっと眺める者があった。


「あれは……」


 ボソッと呟いたのは、少し上等なモノトーンカラーの私服を身に着け、腰に剣だけ吊り下げている黒髪の青年。

 カイは、中庭に一人の少女の姿を見つけ、思わず足を止めていた。


 フェリシアに休暇を与えられたものの、何もせずにいると欝々としてしまうから、城内の造りを覚えるのも兼ねて散歩をしている途中だったが……。


(銀色の髪をした、十二歳の少女……間違いない。彼女が……――)


 ――フレドリカ=ドーシュ。と、カイは口の中で呟いていた。


 なるほど、確かにあの少女は――フリストフォンの面影をどこか伺わせる雰囲気を纏っている。


 しかし、顔立ちそのものは母方に似ているのだろうか?

 歳相応のあどけなさを持ちながらも、どこか他者を惹き付ける、不思議な色気を帯びている。

 妖艶な美しさと無垢な幼さが共存する、アンバランスな魅力を秘めた少女。

 それがカイにとっての、フレドリカ=ドーシュの第一印象だった。


(あの子が、主君の忘れ形見か)


 カイは、なんとなく懐かしさを覚えていた。

 まるでフリストフォンが、あの少女の中のどこかで生きているような。そんな懐かしみを感じていたのだ。


(……フリストフォン卿)


 主君に思いを馳せながら、しばらくそうやって足を止め見つめていると――やがて、その視線にフレドリカが気付いた様子だ。

「誰ッ……?!」と言って、慌てて立ち上がるなり振り返って、不安げな表情を向けてくるようになった。


「だ、誰ですか、あなたは……」


 怯えながらも、フレドリカは警戒しきった眼差しを向けてくるようになった。

 その恰好を見るからに、相手はグランシェス兵。怖いけれど、嫌と言えば居なくなってくれるはず……。そう思って、おずおずと口を開く。


「ど、どうして、私のことを見ているのですか……?」


 するとカイはハッとして、慌てて首を横に振っていた。


「……申し訳ありません。あなたの姿を見掛け、主君を思い出したもので……――つい」


 膝をつき頭を垂れるカイの姿に、フレドリカは目を丸くさせる。


「……主君?」


「はい」と頷いた後、フレドリカに伝えていた。


「我が主君の名は、フリストフォン=ドーシュ卿です」


「フリストフォン=ドーシュ……」


 フレドリカは唖然としていた。


 先の戦の時に死んだとばかり思っていた祖父の名を、目の前の青年が告げている。

 その上彼は祖父を、主君と呼ぶのだ。


「……ドーシュ家は。専属の兵を持ってはいなかった筈ですが……」


 ボソボソと呟くと、「はい」とカイが頷いた。


「グランシェス王国が陥落した後のこと。我々ゴート地域の残党兵は寄り集まってゴート兵団と名乗り、フリストフォン卿を主君としていたのです」


「お爺様を……?!」


 フレドリカは呆気に取られていた。

 寝耳に水とはこの事である。――しかし、でも。


「じゃ、じゃあ、お爺様は生きていらっしゃるの?! 今はどこにおられるのですかっ?!」


 居てもたっても居られない様子で目を輝かせるフレドリカの姿を見て、カイは胸を痛めていた。


「フリストフォン卿は……――」


 沈鬱な面持ちで黙り込むようになったカイに、フレドリカは怪訝な目を向けていた。


「……? どうして急に黙ってしまうのですか?」


 するとやがてカイはゆっくりと伝えていた。


「……我々の主君は……――この城を奪還するための作戦の末、亡くなられました」


「ッ……――」


 立ち尽くすフレドリカに対し、カイはもはや口を止める事ができなくなってしまった。

 堪えていたものを吐き出すようにして、膝をついて俯いたまま、せきを切ったように話し始めていたのだ。


「申し訳ありません……! 我々のせいだ!! 我々のせいでフリストフォン卿は、あなたの祖父君様は……! この償いを、どうかさせて頂きたい……!」


 そんなカイを目の前にして、フレドリカは俯きながら呟いていた。


「……――ません」


「はっ?」と聞き返したカイに対し、フレドリカは両耳を抑えると、大きく首を横に振っていた。


「そんなこと、聞きたくありませんッ!」


 それからフレドリカは走り去ってしまったため、カイは呆然とした面持ちのまま、見送るしかできなかった。


「フレドリカ様……」


 呟いた後、カイはハッとなっていた。


(何やってるんだ、僕は! 主君に頼まれていた言伝を伝えていないじゃないか……!)


 そう考えると、立ち上がってフレドリカが去って行った方向に目を向けていた。



 フレドリカは両耳を塞いだまま、廊下を走っていた。


(そんな……そんな! お爺様が……やっと会えると思ったのに……!)


 フレドリカの両目には涙が溜まっていた。

 やがてフレドリカが訪れた場所は、居住棟の中にあるエーミールの私室である。


 ドアの前に立ち、ノックしようとして気付いていた。


(そうだった。エーミールさんは、今はお仕事中で……)


 フレドリカはしょんぼりとして手を降ろすと、とぼとぼと元来た道を引き返す。

 悲しい気持ちを吐き出して慰めてもらおうと思ったのに、これではどうにもならない。


(フェリシア様はエーミールさんを独り占めして、ずるいな……)


 そんな事を考えながら俯きがちに歩いていると、前を見ていなかったせいで、ドンと誰かにぶつかってしまった。


「はわっ――ご、ごめんなさ……――」


 謝ろうとして、慌てて顔を上げると、そこにはあの黒髪の兵士が立っていたのだ。


「フレドリカ様、一つ言い忘れたことが」


 そう話し掛けるカイを目の前にして、フレドリカはひっと息を飲む。


(な、なんでこの人ここに居るの?! まさかついてきたの?!)


 フレドリカは蒼白になると、じりじりと後退りを始めていた。

 そうやって強張った表情を浮かべるフレドリカに気付かないまま、カイは真面目な表情をして伝えていたのだ。


「これだけは聞いて頂きたいのです。それは――」


「結構です! 聞きたくないと言っているでしょう?! ついて来ないでくださいッ!」


 フレドリカはカイの言葉を遮ると、すぐにまた走り去ってしまった。


「あ……!」


 カイは呆気に取られながら見送ったものの、すぐに表情を引き締めていた。

 せめて、フリストフォンから預かった大事な使命をまっとうしなければ、償うもへったくれも無いではないか!


(これだけは聞いて頂かなければ!)


 そう考えて、カイはフレドリカを追い掛ける事に決めたのだ。





 その後、行く先行く先で何度もカイと遭遇した末、フレドリカが最後に向かった場所はというと。


「エーミールさんっ!!」


 バタンとドアを開けるなり、王の書斎に駆け込んできたフレドリカの姿を見て、ちょうど執務中だった三人が動きを止めていた。

 羽根ペンを片手に書類を広げてデスクに向かうフェリシアの傍らで、エーミールはアネッテと手分けをして本を運んでいる途中だった。


「フレドリカ?」と、最初に声を上げたのはフェリシアだった。


「どうしたの? 急に入ってくるなんて、作法的に良くありませんよ。それに、今は仕事中です」


 やんわりとそう言ったフェリシアの顔を見るなり、フレドリカはまたじわっと涙を浮き上がらせるようになる。


「フェリシア様、ごめんなさい。でも、どうしても怖くて」


「フレドリカ様、どうしたの?」


 そう尋ねながら歩み寄ってきたのはエーミールで、途端、フレドリカはホッとしたような表情を浮かべるようになった。


「エーミールさん……!」


 フレドリカが急にギュッとエーミールにしがみついたため、ちょうど書類にサインの途中だったフェリシアは、ガリッとペン先を紙の端へと滑らせていた。


「……あ」


 書類へ目を落とし、ボソッと呟いたフェリシアの独り言が聞こえていたのだろう。

「書き損じましたね……」と、傍らに本の束を置きながら、アネッテが呟いていた。


 そんな二人が見えていないのか、フレドリカはぎゅーっとエーミールに抱き着きながら涙目で訴えている。


「さっきからずっと、変な人につきまとわれて困っているんです……! 恐ろしくて恐ろしくて、ご迷惑とはわかっていたんですが……」


 そうやって怯えるフレドリカが可哀想だったため、エーミールは彼女の頭を撫でていた。


「よしよし、もう怖がらなくて良いからね。僕が守ってあげるからね」


「はいっ、守ってください……」


 そんな二人のやり取りを見て、ため息をついたのはフェリシアである。


「……あのね、フレドリカ? イスティリアの子はそう易々と異性に抱き着いて良いものではありませんよ」


 そう忠告してもフレドリカは離れなかったため、フェリシアはため息交じりに、「それよりも」と続けていた。


「城内に、そのような変質者紛いの者が居るというのは頂けませんね。部外者かしら? それとも、城内関係者? フレドリカ、相手の特徴は覚えている? 後で厳重注意しておきましょう」


 フェリシアはフレドリカに対しては優しくそう話し掛けた後、「あと」と、エーミールに対して冷たい声を向けてきた。


「エーミールは昼のうちに今書き損じた書類を書き直すこと」


「えっ?!」


 思わず嫌な声を上げたエーミールに対して、フェリシアはにっこりと微笑み掛けていた。


「あなた、補佐官代理ですよね?」


「そ、それはそうだけど」


 うっと言葉を飲むエーミールをよそに、「……ところで」と、傍らでフェリシアの手元を見ていたアネッテがボソッと言った。


「また書き損じています、陛下」


「…………」


 フェリシアは無言で書類を手に取った後、ポンと傍らに置いていた。


「こちらも頼みますね」


 にこっと微笑んだフェリシアに対し、「ひどいよフェリシア!!」と思わずエーミールは言い返すのだった。



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