14:遅すぎる到着
ルドルフが未だ戻らない頃――謁見の間に、ようやく待ちかねた人物が現れた。
中央を真っ直ぐに伸びる絨毯の左右に立つ、四人の騎士が守っているのは、玉座に腰掛けるフェリシア女王陛下。
その傍らにはパトリックが、その反対側には、エーミールとアネッテが立っている。
彼らを正面に望みながら膝をついているのは、カイを初めとした数十名の毛皮を羽織った兵士たちである。
「……只今到着致しました、フェリシア様」
挨拶の後、カイはすぐに状況を告げていた。
「ここに無事たどり着けた者は、総数およそ三千五百……。他の兵は外で待たせてあります」
そう語るカイの口調も、表情も、重く沈んでいる。その上顔色が青白い。
(まさか――)
エーミールは嫌な予感を覚えると、咄嗟にカイの方へ走り寄って、伏せている彼の頬に手を当てる。
案の定伝わってくる感触に、いつかも味わった事があるような、ゾッとした感覚を覚えていた。
「冷たい……――良くないよ、すぐに医務室へ! 雪の病になっているかもしれない……まさか、他の兵たちも?!」
血相を変えながらのエーミールの言葉を受け、すぐにフェリシアは頷いていた。
「詳しい話は後程伺います。まずは身を休めなさい。長い道中、ご苦労様でした」
「はっ……」と頷いた後、他の兵達と立ち去るカイ達を見て、エーミールはフェリシアの方を振り返る。
「陛下。確か、医務官は少ないんでしたっけ?」
「ええ、そうですね。今は人手不足ですから……医師として診療できる者は一人しか居ません」
フェリシアの言葉を聞いて、「うん、わかった」とエーミールは頷いていた。
「ここを退席させてください。一人じゃ手が足りないはずだ。大勢の兵の検温だって間に合わない。僕も手伝います!」
そう言ったエーミールの言葉を聞いて、フェリシアはかつて自らもされた事のある、雪の病の検温方法をうっかり思い出してしまった。
「……まさか、兵たち一人一人に? 診察をするの?」
ボソッと呟いたフェリシアの言葉を聞いて、エーミールはキョトンとする。
「えっ? ……ああ、そうですね。僕とお医者さんと手分けしてだけど……」
「……なんてむごい」
フェリシアは、兵達の行く末を思うと呟かざるを得なかった。
「……え?」
ポカンとするエーミールに対して、「……なんでもありません」と慌ててフェリシアは取り繕っていた。
「行ってください」
にこっと微笑むフェリシアを怪訝に思いながらも、「行ってきます!」と言ってエーミールは走り去っていた。
そんな彼の後を、「私もお手伝い致します!」と言ってアネッテが追い掛けていった。
二人を見送って間もなく、「――陛下」と話し掛けたのは、傍らに居たパトリックだった。
「……フリストフォン卿の姿が見当たりませんでしたな」
その言葉を聞いて、すぐにフェリシアは表情を引き締め、頷いていた。
「――ええ。それに、元々聞いていたゴート兵団の数は五千だったはず。兵の総数も、相当減っているようです。その上、無事だった兵も随分と疲弊した様子だし……」
「ゴートの件については……あまり良い話が聞けないかもしれませぬ」
沈んだ声で話すパトリックに対し、フェリシアは沈鬱な面持ちで口を開く。
「覚悟しておいた方が良いかもしれません」
「……はっ」と言って、静かにパトリックは頷いていた。
そうしながら、どこか深刻そうな面持ちで黙り込むようになったフェリシアの表情を伺い見る。
(このような事態が重なっているのだ。さすがの陛下もご心労の色が隠せないでいるのだろうか……)
そう考えるパトリックの一方、フェリシアもまた考え込んでいた。
(あの検温方法は精神的に、相当にくるのよね……。一体何人の兵が、人間としての尊厳に痛手を負ってしまうのかしら……)
珍しく見せるフェリシアの憂う表情の真意に気付く者は、誰も居ない。
翌朝、なんとか体調を取り戻したカイは、今回の件の発端者でもあるグスタフを率いて、改めて謁見の間に居るフェリシアの前に姿を現していた。
膝をついて最敬礼を行いながら、先に口を開いたのはグスタフである。
「お初にお目に掛かります、フェリシア様。わたくし、グスタフ=ブロンストと申します」
そう語りながら、グスタフはふと気づいた。女王陛下の傍らに立つ場違いな少年の存在に。
「ぬあっ?!」
咄嗟にグスタフは叫び声を上げると、エーミールの事を指差していた。
「おまっ、おま、お前は!! 昨日はよくも、あんな残酷な治療を……!! 医務官ではなかったのか……?!」
声を震わせるグスタフを、「やめたまえ」と淡々とした声で諫めたのはカイである。
「ここは女王陛下の面前。はしたないと思わないか?」
「そ、それはそうですが……!」
グスタフはグッと言葉を飲むと黙り込んで、改めて姿勢を整えていた。代わりに、エーミールを睨むかのようにしてジッと見据える。
(こいつ……何者だ?!)
グスタフは警戒していた。
昨日はてっきり、医務官の下積みか何かと思っていたのだが。
そのわりに偉そうだし、目上の筈である医務官に対しても礼儀が悪いし、鼻持ちならないガキだと元々思っていたのだ。
そんなグスタフの感情をよそに、フェリシアが穏やかな態度で話し始める。
「無事で何よりです。ゴートの動向と合わせて、あなたに関する話は伺っております」
そう前置きの後、フェリシアは「楽にしなさい」と二人に対して告げる。
それに応じる形で、カイとグスタフが立ち上がった所で、フェリシアは本題に入ることにした。
「それで、何があったのです? あなた方はゴート地方で、囮役を引き受けていた筈でしたね」
「はい、その通りです」とカイは頷いた後、これまでの経緯を説明していた。
「そこの神官――エーミールが立てた作戦通り、途中までは順調に行っていたのです。ですが――」
カイの言葉を聞いて、グスタフはギョッとしていた。
(じゃあ、このガキがカイ副兵団長に、あんな珍妙な司令を出した張本人だというのか?! どうなってるんだ……!)
そんなグスタフの一方で、カイはすっかり沈鬱な面持ちに変わっていた。
「ダンターラの信仰者は、武器を捨て逃げる者には武器を向けないとのことでしたが、しかしやつらは……隊を別けカルディアへ逃げようとした我々を囲むと、所持していたスコップを武器と言い張り、言いがかりをつけ……――」
カイは震える拳を握りしめながら、悔しげに吐き捨てていた。
「……我々を逃がすために、フリストフォン卿は……――我が主君は、犠牲になりました……」
「……――」
絶句するフェリシア達に向け、カイは尚も話していた。
「しかし、主君の死は……! 我々の命を救ったが、やつらはスコップを最後まで認めてくれなかった! 我々がここまでたどり着くことができたのも、奇跡に近い。イスティリア様の神意が凪いでいたのでしょう。そうでなければ我々は――恐らく、雪の中で伏していたに違いない……」
それからカイは黙り込んでしまったため、この場には沈黙が流れるようになる。
そんな中、やがてカイは沈んだ声で言ったのだ。
「……結局、我々の判断のせいで、フリストフォン卿をあのような窮地に追いやってしまった」
「――待ってください、お言葉ですが」
とうとう我慢ならなくなって、おもむろにそう声を上げたのはグスタフである。
グスタフの目は真っ直ぐにエーミールの事を睨み付けたままになっていた。
「副兵団長が気に病む事ではない……! そもそもが、そこのうさん臭い子供がでたらめを言ったせいではありませんか! 我々はそれを信じて行動しただけです! 『武器を捨てた者には武器を向けない』という、単純で子供っぽい思想に振り回された神官とやらの! どこの馬鹿が信仰通りに振舞うというのか! 神々の戒律など、悪意を前にすればたちまち簡単に逆手に取られ、曲げられてしまうものです! 何故フェリシア様は、このような慧眼を持たない子供の意見を尊重しているのか?! 我々は、増してや副兵団長は、兵として間違った事は何一つしていませんよ!」
「グスタフ!」と言って、部下を諫めたのはカイの声だった。
「それ以上言うな……そもそもが我々の失態が招いたこと……! 咎めが無いだけ在り難いと思うべきなのだ! それを忘れるな!!」
そう言った後、すぐに「……申し訳ありません、フェリシア様」と言ってカイは俯くようになってしまう。
(副兵団長……)
グスタフは沈黙していた。
あれから、カイがすっかり無口になってしまっている。
あの、カイお得意の、ナンパまがいの口振りすら聞けなくなってしまったのだ。
(本心では一番許せない筈だ。フリストフォン卿を最も慕っていたのは、カイ副兵団長なのだから)
そのようにグスタフは考えていた。
そうやって沈黙するようになった二人に対し、やがて「……わかりました」と静かに言ったのはフェリシアである。
「……あなた方の無念な気持ち、痛いほど我が胸に伝わって参ります。惜しい者を失くしてしまいました……。我々はなんとしてでも、この無念を晴らさねばなりません」
フェリシアは優しい声色で二人にそうやって話し掛けた後、「……心労が重なっていることでしょう。今はもう少し休養を取ると良いでしょう。下がりなさい」と、伝えていた。
「……はっ」とカイは敬礼の後、グスタフを促すと、謁見の間を後にしていた。




