6:温泉浴場
「――では、以上で会議を終わります。皆さん、お疲れさまでした」
フェリシアのそんな声によって、会議が終了した頃には日が落ちる頃になっていた。
フェリシアはカリーナに席を引かれる形で立ち上がると、傍らのカリーナに対して、「あれの仕度は済んでいるかしら?」と質問を向けていた。
「ええ、もちろんですとも。なにしろ、我々はこの日の為にこの地を奪還したと言っても過言ではありません!」
カリーナが拳に力を入れて語った事によって、パトリックの表情が変わった。
「陛下――もしや」
「ええ。昨夜は作戦を終えたばかりで、それどころではありませんでしたからね。あなたも楽しみにしていた?」
フェリシアがにこにこ微笑むようになり、「あれって?」と気になったエーミールは質問を向けていた。
エーミールだけでなく、フェリシアとカリーナとパトリックの三人以外は、全員キョトンとした表情を浮かべるようになっている。
「そういえば、この場にはカルディア出身者の方が少ないのね」と前置きの後、フェリシアは説明していた。
「兵士専用もあるから、あなた方もこの後入ると良いですよ。説明はパトリックに任せるとして、きっとカルディア地方が気に入ると思いますよ」
それからフェリシアは傍らのカリーナに向かって「行きましょう」と促した後部屋を後にしたから、この場に弛緩した空気が流れるようになる。
「騎士団長。あれってもしや――」
どうやらルドルフは察するポイントがあった様子で、隣のパトリックに目を向けた。
「うむ。経験はあるか?」
引き締めた面持ちで頷いたパトリックに、「ええまあ」とルドルフは頷いていた。
「傭兵をしていた時代に、カルディア地方で、幾度かそういう物がある宿に宿泊した事が」
「ふむ。ならばお前には作法を教える必要は無さそうだな?」
「そうですね。幾らか経験は積んだつもりですから」
キリッとルドルフまで表情を引き締めるので、エーミールは余計に疑問を深めていた。
「ねえ、何の話をしているの?」
するとルドルフが、腕組みをして「ふふん」と笑みを浮かべるようになった。
「イドの箱入りだった坊ちゃんはカルチャーショックを受けるんじゃないか?」
「な、なに?」
ごくりと息を飲むエーミールに、「それはだな」とルドルフとパトリックは同時に笑みを浮かべるようになっていた。
「「温泉浴場だ!!」」
二人は声を重ねてそう告げるのだった。
カルディア地方の中心地、シンバリの町に聳える、グランシェス城。
シンバリの民家にはどこも浴場がある事で有名であるが、そんな町にある城にだってもちろん、広大な温泉浴場が用意されている。
王族専用――この浴場は広く贅沢な造りになっており、時には来賓を接待する場としても使われる。
兵士専用――この浴場は王族専用と同じだけ広いが、石造りの壁に囲まれただけの武骨な造りである。時間帯によって男女別けられるが、圧倒的に女性の総数が少ないため、午前中の時間を除き、基本的には男性が入浴する時間帯として設定されている。
家臣専用――この浴場は兵士を除いた家臣専用であり、やや狭い造りとなっている。兵士専用と同じく、時間帯で男女が別けられている。
そんな三つ並んで建てられている浴場の一つ、王族専用の浴場。
そこに最初に足を踏み入れたのは、カリーナである。
「さあさあ、姫様! どうぞお入りください!」
にこにこと笑顔で呼びかけるカリーナに従って、フェリシアは浴場に入っていた。片手に持ったタオルで体を隠しながら、もう片方の手にはフレドリカの手が繋がれている。フェリシアに引っ張られる形で、フレドリカもまたおずおずと浴場に入っていた。
「あ、あの、フェリシア様。や、やっぱり私も一緒だなんて、恐れ多いです……」
頬を染めながら、唯一自由になっている片手で、たどたどしくフレドリカは膨らみ掛けの乳房を隠している。
「何を言っているのですか?」と、振り返ったフェリシアは、フレドリカに優しく微笑み掛けていた。
「私にとって、あなたは来賓同然。家臣用と言わず、この浴場を自由に使って良い立場なのですよ。といっても――あなたは、元はグランシェスのプリンセスをしていた時期もあったし、モレク第二王国の時には妃をしていましたよね。だったら言われるまでもなく、とっくに何度も入っているわよね」
「ご、ごめんなさい……」
シュンとするフレドリカの態度を見て、フェリシアは慌てていた。
「謝らなくても良いのよ。ここは時の支配者が所有する場所。その為の場所なのだから」
「……フェリシア様」
優しい人なんだな、なんてフレドリカが思っていたのも束の間。
「さあ姫様、こちらへいらしてください。久しぶりにお背中を流させてくださいまし」
カリーナに誘われ、フェリシアは「そうね」と頷くと、自身のメイドの方へ歩み寄っていた。
カリーナはタオルで体を隠していないが、それはフェリシアにとって珍しくもなんともない光景である。
「ところで、私はもう姫様ではありませんよ」
やんわり言いながら、フェリシアは椅子に腰掛けると、ずっと隠すために使っていたタオルを膝の上に置いていた。
すると、服を身に着けていた時よりも豊満に見える二つの膨らみがあらわになり、フレドリカは息を飲んでいた。
「……良いなあ」
ボソッと呟いたフレドリカに、「そうですよね」と答えるカリーナはすこぶる上機嫌である。
「心配せずとも、フレドリカ様だって今にこのようになりますよ! なにせ銀髪! イスティリアの子! イスティリアの子の女性の見た目は超一級であるとは、昔からの“お約束”ですからね」
「そ、そうなんですか?」
目を丸くさせながらも、フレドリカもまた体を洗うために洗い場に腰掛けるようになった。
「そうですよー。ふふ、それにしても」
フェリシアの体を洗いながらカリーナが微笑んでいるので、「どうしたの?」とフェリシアは尋ねていた。
「いえいえ。幸せを噛み締めているのです。フェリシア様のお体は、障り心地もシルクの如く柔らかで、すべすべで……ああ、夢なら一生覚めなければ良いのに……」
うっとりとした表情を見せるカリーナの様子に、「ふふ、相変わらずですねカリーナは」と言ってフェリシアはにこにこ笑っている。
それによってギョッとしたのは、傍らに居るフレドリカの方である。
「え……相変わらず?」
思わず聞き返したフレドリカに、「ええ、そうですよ」と言ってフェリシアは微笑んでいる。
「カリーナは昔から忠義の高いメイドで。私にとって、家臣の中で最も信頼できる相手でしたから」
「そ……そうですか」と応じながら、(忠義の問題なの……?)と内心疑問を感じつつ、フレドリカはタオルに石鹸を乗せながら、傍らのフェリシアとカリーナを恐る恐る伺い見る。
フェリシアは全く気付いていない様子だが、カリーナときたら、「今日もお美しいですよ、陛下!」「太もものラインもまた絶妙になられましたね!」「お胸の張りも良くお育ちになって、幼少の砌よりお世話をさせて頂いたわたくしめと致しましては、嬉しい限りです!」等等。
ちょっと目の付け所がオヤジ臭いのではないかとフレドリカに思わせるような褒め方をしている。
だというのにフェリシアは、にこにこ微笑んで「ふふ、相変わらずですね」「ありがとう」で全て済ませてしまっている。
フレドリカなら羞恥心が掻き立てられていたたまれなくなってしまいそうだが、フェリシアはその辺り恐ろしく鈍感なのだろう。
万が一自分がこの立場になればと恐ろしい想像をした後、フレドリカは心底しみじみと思っていた。
(よ……良かった。恥ずかしいからって断ってて良かった……)
フレドリカ自身、姫だった頃にカリーナに『入浴のお世話を致します』と言われたことがあるのだが、その時は断っていたのだ。
私は子供のころから自分で洗っていたし、今更恥ずかしいから一人で構いません。と。
一通りフェリシアの体を洗った後、カリーナがふと振り返ってきたせいでフレドリカは目が合ってしまった。
まさかと思ううち、カリーナがにっこり笑うようになる。
「フレドリカ様。宜しければ、あなたも私が――」
「い、いいいいえっ!」と、フレドリカはすぐに慌てて首を大きく横に振っていた。
「そうですか?」
しょんぼりとするカリーナを、「フレドリカはきっと恥ずかしがり屋なのよ。あまりしつこくしてはいけませんよ」とフェリシアが嗜めている。
(そ、そういう問題じゃ……。というか、フェリシア様、ホントに気にならないのっ?!)と、フレドリカは内心思うより他ならなかった。
一方その頃、兵士専用浴場では。
「うおお、すげえぇ! なんだこりゃ!!」
そう言って目を輝かせるのは、エリオットである。
「ふむ……これが噂に聞く温泉浴場か。大したものだな」
ハンスが感心した声を上げ、「そうですね」とロバートが同意して頷いているが、彼の掛けている眼鏡はすっかり曇っている。
「……見えているのか?」
ハンスが疑問を口にする一方で、「よーし、お前たち!」とルドルフが仕切り始める。
「まずは身を清めろよ! 湯船はそれからだぞ!」
ルドルフはそう言ったが、はしゃいでいるエリオットは全く聞いていなかった。
「行くぞエーミール! ここが俺たちの楽園だ!」
言うが否や、脱衣室から出てきたエーミールの腕をむんずと掴む。
「え。え?」
目を丸くさせるエーミールを担ぎ上げると、「そーら行ってこい!」とエリオットは湯船目掛けてぶん投げていた。
「うわあぁっ!!」
叫び声を上げるエーミールに続き、「俺もいくぜぇー!」とエリオットが自ら飛び込んでゆく。
腰にタオルも巻かないうちに慌てて脱衣室から飛び出したのは、パトリックである。
「おいまてお前たち! なにを勘違いしているか知らぬが、湯船は底が――」
言い終わらないうちに、バシャーン!! という水の撥ねる音と、ゴッという鈍い音が聞こえてきた。
「あーああ……」
頭を抱えるルドルフ達の目の前で、ぷかーっと二人分の尻が浮き上がってくるのだった。




