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12:主君の役目

 身なりの良い老爺の前に立ち、数多のパイク兵を率いるこちらを睨み付けてくるのは、黒髪とヘーゼルアイを持つ青年。


「……ほう」と言ってキャスペルは笑みを浮かべていた。


「この境地に、助けてやると言っている主君がありながら、自らが矢面に立つ……――実に勇敢な心掛け。悪くない、悪くないぞ! ――だが」


 キャスペルはカイに向かって、冷ややかに言っていた。


「お前の首にどれだけの価値がある? そこの、ドーシュの名を持つご老人に勝るとでも言うのか?」


「っ……――」


 カイは悔しげに息を飲む。

 そんな物、わかってはいる。自身の首に価値が無い事ぐらい。わかってはいるのだ。

 フリストフォン卿を傀儡の主君として、大々的に祭り上げたその日から。


「しかし、僕が……僕こそが」


 言いよどむカイを、「もう良いのだ」と言って手で制したのはフリストフォンだった。

 フリストフォンはカイの傍らに立つと、カイの胸をそっと押して退き下がらせる。


「まさか、今更責任を感じているとは言うまいな?」


「しかし!!」


 カイは納得する事ができなかった。


「あなたは、まだ死ぬべき人ではない! まだ、フレドリカ様を助けられていないではないですか……!」


 するとフリストフォンはフッと笑みを浮かべていた。


「――なあ、カイよ」と、フリストフォンがおもむろに話し始める。


「私はこれまで、この家名を一瞬たりとも在り難いと思った事は無かった。責務を重ねるだけの、ただ重たいだけの足枷だとすら思っていた。――……しかし。ここで、ようやく役に立つ事ができるようだ」


「そんな事を仰るべきではない……!」


「カイ、そのような顔をしてはいけない。やっと私がこの家名に誇りを持てる時だというのに」


「フリストフォン卿……」


 呆然とするカイに対して、フリストフォンは笑い掛けていた。


「お前、私に対して言っていたな? マイロードと。――ならばこれが私の本望だ。主君とは、キミたちの行動に責任を取るために存在しているのだからな」


「違うッ、フリストフォン卿が悪いわけではない!」


 カイは叫んでいた。


「これは僕が始めた事だ! モレク人の物資を強奪した事も! フリストフォン卿を飾り物の主君として祭り上げた事も……!! だから、この件について責任を取るのは私の役目です!」


「いいや、これは私が行った事だ。これは私の責任だ」と、フリストフォンはキッパリと答えていた。


 二人のやり取りを見て、キャスペルは一瞬、どうすべきか迷った。


(しかし、――いや、このやり取りは面白いではないか)


 そう感じ、パイク兵が歩み出ようとしたのを見ると、スッと手の平で制していた。


「……良い、待って差し上げようではないか。最期の言葉ぐらい言わせてやれ」


 静かに語るキャスペルの言葉を聞いて、パイク兵は動きを止めていた。

 そんな彼らのやり取りに気付かないまま、「フリストフォン卿!」と、カイは叫んでいた。

 しかしフリストフォンは、首を横に振っていた。


「元より老い先短い身だ。ただ少し、死に目が早まるというだけ。――いや、しかし、一点だけ長生きして良かった事があったな。それは、キミのような若者と出会う事ができたという事だ」


「…………――」


 絶句するカイに向け、最後にフリストフォンは伝えていた。


「悪いが一つ、頼みたい事がある。どうか、フレドリカに伝えてほしい。『すまなかった』と。『愛しているよ』と……そう、伝えてほしい」


「ッ……しかし、それは、あなたの口から伝えるべきです……!」


「……そうだな。そうできれば良かったんだが……――」


 フリストフォンが見せた微笑は、寂しげなものだった。


「……そろそろ宜しいかな?」


 ふと、キャスペルが声を掛けた。

 そこでフリストフォンはキャスペルの方を振り返ると、頷いて歩み出る。


「いや、歳を取ると話が長くなってな。申し訳ない」


 軽い口調でそう話しながら、自らパイク兵の前まで歩み出ていた。


「宜しい」と頷いて、キャスペルが手を振る。

 すると、ドスッ! と重たい音が響き、パイクの先端がフリストフォンの胸部を貫く。

 どくどくと血が広がって行き、フリストフォンはそのまま前屈みになり、地に伏していた。


「…………」


 言葉を失くすカイをよそに、キャスペルは淡々と周りの兵に伝えていた。


「こいつらの武器を回収しろ」


 その指示の元、兵士たちは放り出されていた折り畳みスコップを次々と回収して行くようになったので、カイは我に返っていた。


「待てッ! フリストフォン卿の犠牲で、我々を見逃してくれる筈では……?!」


「その通り、見逃してやる。――が、武器所持に関しては話が別だ。先ほどお前の仲間が、スコップは武器であると証明してくれたばかりではないか。このまま無罪放免というわけにはいくまい」


 冷ややかに吐き捨てたキャスペルの姿に、カイは絶句していた。


「貴様……! スコップは雪の地を抜ける際の命綱の一つだと知っての暴挙なのか?!」


「気に喰わぬなら、掛かって来ても良いのだぞ?」


 そう言ってニヤリと笑うキャスペルの姿に、カイは激昂する思いだったが、何とか堪えていた。


(クソッ……クソ!! 堪えろよ! 堪えろよ、僕! フリストフォン卿が与えてくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない……!)


 しかし、腸が煮えくり返る思いをしているのはカイだけではなかった。


「クソッ――!!」

「貴様ぁ、よくもフリストフォン卿を!!」


 そう言ってスコップを手にしてモレク兵に飛び掛かろうとした兵士が、一人、また一人とパイクによって殺される。


「待てッ、早まるな!!」


 カイはそう指示を出していたが、それを聞けなかった者は皆殺しにされた。

 結局、半ばほどの兵が殺され、モレク兵はフリストフォン卿の首だけ取ると、去って行ったのだ。


「くそ……畜生おおぉぉ!!」


 カイはその場に膝をつくと、ドンと乱暴に雪で覆われた地面に拳を叩きつけていた。

 そして目の前に伏したままである首を失ったフリストフォンの死体に向けて、頭を伏していたのだ。


「すまない……すまない、フリストフォン卿……! 僕がしっかりしていれば!! この僕が……!!」


 しばらくの間カイは謝罪を続けていたが、やがて震えながらもようやく立ち上がっていた。


(こうしてはいられない……)


 カイは雪原の上、生き残った兵達に告げていた。


「なんとしてでも生きるぞ!! 生きて……フリストフォン卿の無念を晴らすのだ!!」


 カイの言葉に、兵たちは声を重ね、「「はいっ!!」」と応じていた。



 雪の上、足跡を重ねながらゴート兵団は歩いて行く。

 白銀の地でのスコップが無い旅は、迅速にかまくらが作れない事を指している。

 つまり、吹雪に遭えば十中八九は凍死してしまうという事だ。


(それでも僕たちは往かねばなるまい)


 カイはずっと黙り込んでいたが、その目は決して絶望には塗られていない。

 なんとしてでも。何があっても、グランシェス城に行き着くのだと考えていた。

 それは他の兵達も同様の思いだろう。





 こうして、グランシェス城奪還作戦は幕を閉じた。

 犠牲者はグランシェス側だけで、およそ二千名に上る。

 その一方で、モレク側の死亡者数は、数百名だった。


 再び静まり返った雪の上、あちこちに転がる死体の上に、雪がしんしんと降り重なって行く。

 まるで女神が涙を流しているかのように、柔らかな雪がゆっくりと死体を覆ってゆくのだった。





    ―― 第四部・第一章 少年軍師 ―― 終



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