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10:追う者追われる者

 グランシェス城奪還作戦の裏の貢献者の事は、あまり表沙汰にはならなかった。

 ゴート地方で大規模な囮役を引き受けた人々が居ることを、勝利の美酒に酔いしれて、今は誰もが忘れていた。



 二万の兵に向けて、四万の兵が出兵した。

 その知らせを受けた五日後、行軍してくる兵の姿が遠くに見え始めた頃、ゴート兵団はすぐに白旗を上げていた。


 この作戦は、最初から真っ向から全力でぶつかり合うつもりなど無かったのだ。

 すぐにゴート兵団一同は武器を捨て、砦を放棄して逃げて行った。


 やっとゴート駐在のモレク兵と合流した本隊は、念のためにもぬけの殻となった砦を見に行った。

 そこにあったのは膨大な数のカカシで、モレク王国の国章が入った銃が、砲身に石を詰め込まれた状態で大量に投機されていたのだ。


「我々は、幻の敵兵のために、ここまで来たというのか……! なんということだ! お笑い草ではないか!」


 怒りに打ち震えた一人の隊長が、近くにあった木箱を力任せに蹴り付けていた。


 しかしどれだけ怒りに打ち震えても、暴虐の限りを尽くしてはいけない決まり事が彼らにはあるのだ。

『戦意を失った者、武器を持たない者や逃亡者に、決して武器を向けてはならない』

 そんな、戦神ダンターラの戒律が、今ほどもどかしく感じた事はなかった。


(……――しかし、裏切り者のモレク兵が幻だったとして、ここに大量の銃がある事は事実だ。一体、この銃はどこから来たというんだ……?)


 モレク兵隊長にとって、あと一つ残った疑問はそれだった。

 その疑問を解消するのは、モレク本国に勅使として向かったキャスペル=シェンバーである。





 その頃キャスペルは、ちょうど本国であるモレク王国の首都アスピスに到着していた。

 モレク王国は、北領と比べるとずっと暖かい気候をしている。特に南方に降れば初春の気候が広がっている住みやすい土地だ。

 とはいえ、雪が無いというだけで、大半の地方は寒く乾燥した気候であるが故、世界的に見ると十分に寒い国であると認識されている。


(それにしても、これまで居たカルディアの土地と比べると、十分すぎるほどに暖かく感じるものだな)


 キャスペルが馬に乗り町を行くと、キャスペルに気付いた庶民が手を振ってくる。


「キャスペル様ー!」

「お久しぶりです! お帰りですか?!」


 その、普段と変わらない街並みに、キャスペルは不安と安堵を覚えつつ、城へと急いだ。


 城でもまた、友好的なムードがあり、キャスペルはすんなりと面通りが許された。

 モレク王でありイェルドの父親でもある、ヴィルヘルム=ヴァルストン=モレクは、引き締まった面構えをした、ガタイの良い壮年の男である。

 そんな、誰が見ても畏怖を覚えるようなその王は、謁見の間でキャスペルの姿を見るが否や破顔するようになった。


「久しぶりだな、キャスペル! まさかお前が直々に私の元へ来るとはな。一体どうしたんだ? もしかすると、モレクの気候が恋しくなったのか? ん?」


「…………陛下」と、キャスペルは思わず苦々しい表情を浮かべていた。


「誤魔化さないで頂きたい。私がここへ訪ねに参った理由は、理解しておられるのでは?」


 キャスペルの表情を見て、モレク王はただ事ではないと気付いていた。


「……なんのことだ?」


 静かに問い掛ける王の姿に、キャスペルは戸惑いを覚えたものの、自身がここに尋ねてきた理由を説明していたのだ。





「なんだと?! 五千の銃兵だと?!」


 王が激昂する姿は、帰路についた後もキャスペルの頭から離れなかった。


(あの忌々しいグランシェス人め……!!)


 馬を急がせながら、キャスペルは歯噛みしていた。


 王との話によって、全ての辻褄が合致したのだ。

 決して大規模なモレク人の反乱があったわけではない。また、流入者があったわけでもない。


 近頃治安がひどく物資が滞りがちであるという話を聞いた王は、モレク第二王国へ届ける物資の中に、武器を多く積んで持たせるようにしていた。ただそれだけだったのだ。それに合わせ、色を付けた金を払った上で、物資を守るための傭兵を増やすようにと輸送を頼んだ商人には伝えたが、結局、それらも賊の手に渡ってしまった。


(つまり、賊とグランシェス人が手を組んでいたということか!!)


 とは言え、銃を知らない彼らが銃兵を五千も用意できるとは考え難い。

 銃の扱いを手引きする事ができるような、裏切り者のモレク人が居る事は事実なのだろう。


(絶対に許さぬぞ、戦地を汚す卑怯者め! 徹底的に叩き潰してみせようではないか!!)



 しかし、キャスペルがゴート地方へ入る頃には既に、ゴート地方の戦は終わっていた。


「撤退しただと……?!」


 キャスペルは放棄された砦の一つで、ゴート地方に来ていた兵団の長である兵団長の話を聞き、驚きに目を見張っていた。


「はっ。我々が到着する頃には、白旗を上げ中はもぬけの殻に……――二万の兵も、見せかけだけで大半がダミーだったようで……」


「あいつら、我らの主力である銃兵を囮扱いした上、我らの信仰までも利用したという事か! どこまでもふざけた連中だな!」


 怒りに身を震わせるキャスペルに恐れながらも、「その上――」と、兵団長は打ち明けていた。


「昨日の明朝、グランシェス城が落城したとの知らせが。イェルド様は重症、本隊はエルマー地方へ移動したそうで。イェルド様は指示を出せる状態ではないとのことで、我々はキャスペル様の指示を仰ぐようにとの報告が……」


 それを聞いた時、キャスペルはクククと笑いだしていた。


「フフフ、ハハハハ……!! やってくれるじゃないか! 弱い民と神の分際で、これほどにコケにされた事は初めてだ!!」


 キャスペルが笑い出す時というのは、よほど激怒した時であると知っていた兵団長は、表情を強張らせていた。

 そんな兵団長にやがて、キャスペルが出した指示はこれだった。


「ここで囮をした連中は、まだ近くに潜伏しているのだろう? だったら、探せ」


「し、しかし、敗走者に武器を向ける事は戦神ダンターラ様の教えに反してしまいます」


「だからと言って、やられたままで済ませられるか! 誰も殺せとは言っておらん! 探すのだ!!」と、キャスペルは言いつけていた。





 その頃、砦を放棄したカイ達ゴート兵団は、人知れず樺の森の中へ集っていた。


「それにしても――」と口を開いたのは、集団の先頭に立つカイだった。


「まさか、これほどまでに上手く行くとは。本当に大丈夫なのかと心配していたが……実際、やつらは追って来ない上に、探そうともしない。どうやらあの神官が言っていた事は本当だったようだな。戦神ダンターラの信徒には、武器を捨てて撤退した敵を攻撃してはいけないという制約がある――と」


 カイは独り言のつもりでそう言ったが、「そのようだな」と返事が返ってきた。

 それは、カイの傍らに居るフリストフォン卿だった。


「あの少年、城で会った時はずっと場違いだと思っていたが……――見た目と違って頼りになるようだ。どこで知り合ったか知らぬが、フェリシア公の眼力は大したものだな」


「フリストフォン卿」と言って、カイは苦笑していた。


「まだ気を緩めてはいけませんよ。後は我々がここから無事に撤退を終えるまでが作戦です。ここまでは、人目を避けて徒歩で来ましたが……――なんとか、馬を手に入れなければ。カルディア地方へ走れば良いとあの神官は言っていたが、果たして、グランシェス城奪還作戦も上手く行ったのかどうか。情報が全く入って来ません」


「まあ、情報が無いのは仕方がない。我々は逃げる身だからな。しかし、ここまで来たのだ。こうなれば最後まで信じるしかあるまい」


 フリストフォンの言葉に、カイは頷いていた。

 そして仲間の方を振り返ると、「さあ、もう一息だ」と声を掛ける。


「しかし、この先の上手く行くかわからない。ここは視界の悪い森林だが、もう少しすれば森も切れる。念のため、幾つかの隊に別れて、散り散りに逃げた方が良いだろう」


 カイの指示に、ゴート兵団たちは言葉を発さずに頷く事によって意思を示していた。


「よし」とカイは頷いた。


「では、百名ずつの分隊に別れ、以後は別行動を取る事にする。目的地はカルディア地方、シンバリだ! ――無事を祈っているぞ。女神様の祝福があらんことを!」


 カイの言葉に、一同は応じるようにして、胸の前に腕を掲げていた。



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